【書評/感想】いのちの初夜(北條 民雄 著)(★5) 死の病に絶望した著者が描く「いのち」は、読者の心を強く打つ 文学界賞 受賞作

いのちの初夜』は、北条民雄の短編小説。文豪・川端康成にその才能を見出され雑誌『文學界』(1936年2月号)に掲載。第2回文學界賞、さらに、芥川賞の候補にもなった作品です。

NHK 100分de名著』でも取り上げられた名著です。この100分de名著の解説冒頭でも述べられているように、本作は、
人間にとって
・いのちとは何か
・病とは何か
・絶望の中で希望を見出せるのか
という重いテーマを、真剣に、自分の命を懸けて追求した作品です。

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第2回文學界賞
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非常に短い小説ですが、死について、さらには、生き方について考えさせられる深い言葉が随所に並んでいます。名著は、文の量ではない。短編でも名著は、人を深く考えさせる力があることを思い知らされる1冊です。

今回は北条民雄の『いのちの初夜』のあらすじ、および、感想を書評として記します。

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いのちの初夜:あらすじ

いのちの初夜:あらすじ

『いのちの初夜』を読むに当たって、まず理解しておきたいのが作者・北条民雄(1914-1937年)と病・時代背景についてです

作者・北條民雄とハンセン病

北条民雄に不幸が襲い掛かったのは18歳の時。ハンセン病に罹患し、世間から隔絶された療養所生活を余儀なくされます。

ハンセン病は伝染病の一種。癩(らい)菌の皮膚への寄生により引き起こされる病気で、現在は、療法が確立され、感染力も低いとされます。しかし、北條が発病した1930年代では、感染が恐れられ、世間から隔離される病。一族からの感染者が出たことを隠すために、家族から離縁されることもあるような病で、会えないばかりか、心の支えにもなってもらえません。

さらに、病状は、最初は皮膚のただれで始まるも、じわじわと病が進行し、顔・体が朽ちていく….。長い時間をかけてじわじわと自分が朽ち果ていき、行動の自由も自尊心も奪われる中で、死を待つしかない病なのです。

私小説『いのちの初夜』

ハンセン病と立ち向かいながら、そして、自分の生きる希望として紡ぎ出されたのが『いのちの初夜』です。

直接に経験したことがらを元に書かれた私小説で、ハンセン病を患った主人公・尾田が、世間から隔離された療養所にやってきた最初の1日目を描いています。

尾田は、感染を告げられて以来、何度となく死のうと自殺を試みます。しかし、死のうとするたびに「いのち」が「死」を拒む。死のうと思っても、最後の最後に、「体」「心」がそれを拒むのです。

入院初日、尾田は患者の先輩・佐枝木との出会います。そして彼の言葉に、自分の「いのち」と再び向き合うのです。

※あらすじは、感想の中でより詳しく語っています。

角川文庫版には、その他7編が収録

角川文庫から発売の『いのちの初夜』には、以下の7作品も収められています。

・眼帯記
・癩院受胎
・癩院記録
・続癩院記録
・癩家族
・望郷歌
・吹雪の産声

どの作品も、ハンセン病の隔離施設が舞台となっています。それらからも、患者の置かれた環境、そして、苦悩が伺い知れます。

いのちの初夜:感想

いのちの初夜:あらすじ

死に立ち向かうとはどういうことか」「絶望の中でどうしたら希望を見出せるのか」。
ココからは、物語を引用しながら、死を前に人はどうなるのか、どう気持ちを整えるのかを考えてみます。

死の宣告、人は死しか考えられなくなる現実

病気の宣告を受けてからもう半年を過ぎるのであるが、その間に、公園を歩いている時でも街路を歩いている時でも、樹木を見ると必ず枝ぶりを気にする習慣がついてしまった。

木を見れば、その枝で首つり自殺できるか考える。薬局の前を通れば、睡眠剤で安楽往生できないと考える。海に飛び込めばあっさり死ねるのではないだろうかと海に出向く。

本書を読み始めてまず最初に気づかされるのは、「死の宣告」を受けると、人は「死」しか考えられなくなるということです。どん底に叩き落された気持ちを、再び、前に向けることができない限り、「死への恐怖」と「今すぐ死にたい衝動」という気持ちに苦しみ続けることになります。

とりわけ、ハンセン病の場合は、発病から死に至るまで時間を要します。しかも、どんどん体が朽ち、動けなくなってしまいます。そんな状態になるくらいなら、いっそ..と「自殺衝動」が何度となくやってくることもうなづけます。

「自殺」と「人間の本能」

隔離病院へ入らなければ「生を完うすることのできぬ惨めさ」を感じて自殺を試みるも、その度に、以下のことに気づかされます。

日夜死を考え、それがひどくなって行けば行くほど、ますます死にきれなくなって行く自分を発見するばかりだった。(略)どうしても死にきれない、人間はこういう宿命を 有(も)っているのだろうか。

第153回芥川賞受賞作 羽田圭介さんの小説「スクラップ・アンド・ビルド」には、死にたい口癖の祖父をラクにしようと、主人公がお爺ちゃんをに手をかけるシーンが登場します。ここでも、『いざ、命が奪われるとなると、激しく抵抗して「生」にしがみつこうとする人間の姿』が描かれています。これが人間の本能なのだと思います。

院内は化け物屋敷。そして、再び…

病院に入った尾田は普通の病院とはまるで異なる様子・光景に、さらに心が動揺します。ショックはいろいろありましたが、究極のショックは、重病室の正常な人間としての「体(てい)」を成していない化け物のような患者たちを目の当たりにしたことです。

「自分もやがてはああ成り果てて行くであろう」と、恐怖と絶望でいっぱいになります。そして、尾田は、再び、死のうとします。しかし、やっぱり「いのちは死を拒む」のです。

心と肉体がどうしてこうも分裂するのだろう。(略)俺には心が二つあるのだろうか、俺の気付かないもう一つの心とはいったい何ものだ。

先輩患者・佐枝木は語る

同じく患者で顔が半分つぶれかかった佐枝木は、尾田の入院当日の様子を見ていました。患者の先輩として、自殺しかけた尾田に次のように語ります。

尾田さん。死ねると安心する心と、心臓がどきどきするというこの矛盾の中間、ギャップの底に、何か意外なものが潜んでいるとは思いませんか。(略)
尾田さんきっと生きられますよ。きっと生きる道はありますよ。どこまで行っても人生にはきっと抜け道があると思うのです。もっともっと自己に対して、自らの生命に対して謙虚になりましょう。

尾田は「この壮絶な世界で生きろ」という佐柄木の言葉に驚くとともに、「自分はどう生きる態度を定めたら良いのだろう」と考えます。そして、改めて、ぬるぬると全身にまつわりついて来る生命、逃れようとしても逃れられない生命の粘り強さに気づくのです。

一回死んで、再び復活せよ!

さらに、佐枝木は言います。

尾田さん。あの人たちは、もう人間じゃあないんです。生命です。生命そのもの、 いのちそのものなんです。(略)誰でも癩になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。

けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、再び人間として生き復るのです。復活、そう、復活です。びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです。

新しい人間生活はそれから始まるのです。尾田さん、あなたは今死んでいるのです。死んでいますとも、あなたは人間じゃあないんです。あなたの苦悩や絶望、それがどこから来るか、考えてみてください。一たび死んだ過去の人間を捜し求めているからではないでしょうか。

挫折・ショックのない人生はありません。人生の最後には、本物語のように「死を宣告」を受けることもあるでしょう。

しかし、どんなどん底に堕ちようと「生きている」。もし、立ち直れないとすれば、それは、「過去の自分」を基準にしているからです。

大事なのは、過去をいったん断ち切って新しい自分としてスタートすること。そうすれば、再び、前を向いてスタートできる!

非常に大事なことを、物語を通じて教わりました。

最後に

今回は、北條民雄さんの『いのちの初夜』の感想を紹介しました。
忙しいビジネスマンの中には、小説を娯楽と思って読まない方もいますが、小説を通じて、人間の苦悩、追体験ができるのが小説の良さです。これは、ビジネス書では決して味わえません。

短い小説です。人は必ず死にます。これだけは何をどう頑張っても避けられません。是非、言葉をかみしめながら読んでほしいです。

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第2回文學界賞
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死の追体験には、小坂流加さんの「余命10年」もお勧めします。映画になったのでご存じの方も多いと思いますが、作者の小坂流加さんはガンで命を落とされました。体験者しか描けない「迫りくる市の恐怖」が描かれています。小説で読むことをおすすめします。号泣必至です。