【書評/要約】世間とズレちゃうのはしょうがない(養老 孟司、伊集院 光著)(★4) 世間のズレとどう折り合いをつけて生きるか

同調圧力の強い日本。世間とズレていることに不安を感じたり、枠から飛び出したいけど勇気がないという方は多いと思います。

そんな、悩みのある方に救いの手を差し伸べてくれるのが、養老 孟司さん、伊集院 光さんの対談本世間とズレちゃうのはしょうがない」です。

伊集院さんは、人間からはじき出されないことを願う理論派。一方、養老さんは最初から世間からはみ出している超越派。そんな考え方の異なる二人が、世間との折り合いのつけ方を、自由な対談で探っていきます。

そもそも世間って何なのか、なぜ世間からズレると不安なのかなど、お二人の考えには、生きづらい現代を気楽に生きるヒントが散らばっています。そして、何より、二人の対談・思考の仕方を知ることが、「物事を見る目」を広げてくれます。

今回は世間とズレちゃうのはしょうがない」からの学びを紹介します。

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人間は、外観上異質な存在を排除する生き物

【書評/要約】世間とズレちゃうのはしょうがない(養老 孟司、伊集院 光著)

見た目が大きいにも関わらず、小さい時から「世間からはじきだされることが怖かった」と告白する伊集院さんは、不登校=世間からズレた経験をお持ちです。一方、養老さんは「はじめから世間から外れていた」タイプ。そんな二人が、世間とのズレを論じます。

中の人、外の人

多くの人は、集団からズレることを嫌います。あるいは、少しズレながらも、ズレすぎないように注意を払って生きています。

「人の間(あいだ)」と書いて「人間」。これは、別の言葉で言えば「世間」と言い換えられますが、世間には常識・ルールがあり、そこからズレ出るものを、あまりよしとしません。

養老さん曰く、世間のような概念があるのは人間だけです。虫、犬の間にあるのは、「個々の違い」だけです。仲間との共通点などは気にしません。

戦後世代:コツコツで100%が目指せると教わった世代

伊集院さんが不登校で世間からズレてしまった理由は、「コツコツ積み上げて100%を達成せよ」を世間から教えられてきたのに、勉強すればするほど分からないことが出てきて、行き詰まりを感じてしまったから。学べば学ぶほど、頭が悪くなっていく感じがして、学校に通うのがしんどくなってしまったからです。

伊集院さんは、自分を含む戦後組と敗戦経験組とを比較して、「敗戦経験者組には勝てないと感じる部分がある」言います。それは、具体的には、「ガラガラポン」に対する抵抗力です。

戦争経験組の強さ

太平洋戦争・敗戦を生き抜いた世代は、強烈な「ガラガラポン」を経験しています。昨日まで、授業で習ってきたことが、理屈ではじゃなく、思いっきり覆される経験を乗り越えています。

人間はどこか「人生攻略して成功したい」「100%攻略を目指したい」という思いを持って生きています。この100%攻略・達成の夢が脆く崩れ去っても、そこから立ち直って、新たな道を踏み出せるか――

このような局面で見せる「肝の座り方」が、戦争・敗戦経験者にはあります。

しかし、それでも努力はやめてはいけない

ただ、コツコツやっても100%を目指せないと思っても、やっぱり、やり続けなければいけません。すると、ある時、追い求めていた世界はとても奥が深い世界で、実は、ゴールがない、無限大の世界だったという、もう一歩先の境地に行きつくことができます。

物事とはそういうものです。これに気づくと、自分の能力なんて微々たるものだと気づけます。そして、それが別の力となって自分をドライブする原動力となります。

人が世間から完全にズレるとき

【書評/要約】世間とズレちゃうのはしょうがない(養老 孟司、伊集院 光著)

人が、世間から完全にズレるとき。それは、「死んだとき」だと養老さんは言います。これってどういうことでしょうか。

死なない限り、世間からは抜けられない

人は死んだ途端に、「人としての資格をはく奪」されます。葬式から帰ると、自宅に入る前に「お清めの塩」で身を清めますが、清める必要があるのは、衛生上からではありません。亡くなった相手を「穢れ」として見ているからに他なりません。「死んだ奴は我々の仲間ではない」というルールを暗に示しているのです。

また、かつて、農民や町人よりも「さらに低い身分」を「非人」と呼びましたが、まさに人扱いをしていないネーミングです。彼らは、人・動物などの遺体を扱う職業の人たちを含んでいましたが、これもやはり、「死人」や「死人を扱う人」をズレた人として排除してきたことを物語っています。

逆から見れば、生きているかぎり、人は世間からは抜けられなせん。たとえ、ヤクザだろうと、塀の中に行こうと、世間からは完全に抜けることはできません。

ただ、一方で、自分の家族が亡くなったときに、故人を「死体」と表現する人は一人もいません。故人を名前で呼んで忍びます。つまり、まだ生きているわけです。なお、その人が死んでいるかどうか、その線引きは、あくまで、生きていた間のその人との人間関係で決まります。

このあたりの話は、養老先生の著書「死の壁」を読んでおくと理解が深まります。多くの人とは違うズレた価値観が、様々な気づきを与えてくれます。

都市では、意識で扱わないものは排除される

都市は、人間の意識で考えられたことに基づいてつくられた場所です。

都会では、自然は、意識下で「扱えないもの」「分からないもの」として排除されます。また、都会の人たちは、都心に向かうほど=土から離れれば離れるほど、農業を嫌ったり、ともすれば見下したりする風潮が強まります。

人の意識がすべてを支配していると思いたい人間

一方で、私たちは、進化するAI・ロボットに対して「人はAIに仕事が奪われる…」とビビっています。これは、自然やその他のモノに対する脅威とは明らかに異なっています。

例えば、人は、たとえどんな速い車が登場しようがビビりません。しかし、将棋でAIが勝つとビビってしまう。

これは、「人間はの知識は特別」、「人間の意識がすべてを支配している」と暗に思っているからです。だから、機械が人間の頭脳には勝つと都合が悪いのです。

でも私たちは寝ているときに意識はありません。完全に無意識です。寝ている人生の1/3の時間は無意識ですし、起きていても、心臓の動きすら意識的にコントロールしていません。呼吸も、深呼吸や瞑想タイムなどを除けば、無意識に行っています。

人の8割、9割は無意識です。人は「意識ですべてを支配している・コントロールしている」と考えるのは、人間の奢りです。

人は無秩序を嫌がる

人は意識的に秩序を作りたがります。「空気を読めない人」を世間が排除したがるのも、彼らは秩序を乱すからです。だから、空気の読めない人を追い出そうとする力学が働きます。

また、人は他人を笑わすのは結構好きです。しかし、笑われるのは大嫌いです。人を笑わすのが仕事の芸人さんも、意図して人を笑わせることは快感ですが、自分が意図しない笑いは極めて心地が悪い。お笑いも、理論・秩序の中にあるのです。

秩序と無秩序

一定のルールの上に成り立つ「秩序」。しかし、秩序と無秩序は、完全に表裏一体の関係であるとお気づきでしょうか?

「熱力学の第二法則」は、宇宙はどこかに秩序が発生したときは、必ずどこか別なところで同量の無秩序が発生することを示す法則です。

例えば、掃除をすると、掃除機の中でごみはランダムに散らばり、それがゴミ箱に捨てられ、ゴミ収集車に運ばれ、焼却機で燃やされると、分子に奈良けてCO2、H2Oとなって、空気中に散らばり、完全に無秩序になります。人間はモノをコントロールしたつもりでも、実は、その反動が、無秩序を生み出しています。。人間のコントロール力などたかだか知れています。

生きている人と死んでいる人、都市と自然、意識と無意識、秩序と無秩序。これらはすべて、世間の内と外に対応しています。このように見てくると、その内外を分ける「塀の上」を歩いて生きていける人はある意味で芸。偉人と言われる人はこの塀の上を器用に歩いている人です。ズレすぎず、

世間とのズレとうまく折り合いをつける!ラクに生きるヒント

ラクに生きるヒント

世間の中からズレないように生きようとすると、生きることが窮屈になります。しかし、ズレすぎるとまた生きにくい。では、どんな風に生きると、もっと楽に生きられるでしょうか。

ここからは、参考になるヒント5つを紹介します。

「分からない」と素直に言ってみる

私たちは、他人に「分からない」と言うというのが苦手です。それは、自分のレベルが低いことを認ることになるからです。

しかし、多くの場合「分からない」というと、たとえ、相手がしょうがないなぁと思ったとしても、ズレた烙印を押されて放り出されることはありません。むしろ、素直に分からないと自分の弱みを明らかにした相手をに信頼感を感じ、より丁寧に教えたり、面倒をみたりします。

そもそも「分からない」と言える時点で分からないことがわかっています。最も危険なのは分からないことさえ分からない状態です。わかると嘘をついたり、分からないことさえ分からないズレた状態こそ、問題であり、その後、リスクに陥る可能性も高いのです。

分からない場合は、素直に「分からない」と声に出してみましょう。

価値観は変わる

これまで我々は、「他人に迷惑はかけない」「苦労したら報われる」「我慢した分幸せになれる」というような価値観の中に生きてきました。しかし、この価値観も、変わりつつ変化を見せています。

例えば、かつて安定と言われた職業の方が、不安定になったりしています。だから、今、真面目な人こそ、努力しても報われない社会の変化に、柔軟に対応できずに戸惑いを感じています。

時代は価値観をガラガラポンしながら移り変わっていきます。その歴史、進化は繰り返しです。だから、考え方変えましょう。他人に迷惑をかけてもいい。我慢しなくても幸せになる方法はある 等、価値観の変化を少しずつでもいいので受け入れましょう。

効率・損得だけを求めない

世の中、ただ効率、要不要だけを考えていくと、どんどん生きづらい世の中になっていきます。それを多くの人は感じているはずです。

人付き合いでも、「他人に優しくなるほうが得」なことはよくあります。究極の損得の追求は、実は、「優しさ」や「愛」なのかもしれません。

猫を見よう

思いつめる傾向がある人は「猫」が救いになるかもしれません。猫は、自分の都合で生きていて、犬のように人間のご機嫌を取ることはありません。飼い主も含め、周りも猫はそういう存在であることを認めているが故に、厳しいことは言われません。そして、気まぐれな猫がすり寄ってくれることに、その愛らしさに癒されます。

猫から、もっと自由に生きていいと教わると、生きるのが楽になります。

二軸を作って生きよう

都会と田舎など、人は、二軸があった方が生きやすい。一軸から外れたとき、つまり群れからはぐれたとき、もう一方の軸でやり過ごしたりできると、生きやすくなります。

また、2つ軸を持っていた方が、考え方も広がり、創造性が発揮されます。別の軸から改めて物事を見返すことで、新たな発見があれば、人生も楽しくなります。

最後に

今回は、養老 孟司さん、伊集院 光さんの対談本世間とズレちゃうのはしょうがない」からの学びを紹介しました。

いろんな、価値基準が一つしかないと、逃げ場がなくて、苦しくなります。本書に限らず、人のいろんな考え方を知ると、こんな考えもあるのかと、自分が辛い時に軌道修正しやすくなります。読書は、考え方のバリエーションを増やす最高の方法です。

まずは、本書をきっかけにしてみてはいかがでしょうか。対談本なので、サラサラ一気に読めるばかりか、考え方・視野も広がりますから。