【書評/要約】マイ仏教(みうらじゅん 著)(★5) 仏教をより身近に感じられる良書人生で大切なことはすべて仏教が教えてくれ

マイブームゆるキャラなど、独特な感性で人々の心に刺さるブームを巻き起こす天才 みうらじゅんさん。

数々のマイブームをお持ちのみうら少年の夢は「お坊さんになる」こと。幼少期より、仏像に魅せられ、お寺通いをしたり、仏像をはじめとする仏教関連品を収集したり、本で学ぶなど、まさに、子どものころから、マイブーム=マイ仏教を実践されてきたわけです。

今回紹介の著書「マイ仏教」では、少年期からみうらさんが幼少期からの様々な体験を通じて学んだ仏教の教えを紹介。これが面白い!しかもためになる!人生を幸せに過ごす、気づきが満載です。仏教への「おもしろい」の取り入れ方が絶妙です。

今回は、みうらじゅんさんの「マイ仏教」からの学びを紹介します。

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みうら少年と仏教

みうら少年と仏教:【書評/要約】マイ仏教(みうらじゅん 著)

少年時代に仏教の魅力に取りつかれたみうら少年。きっかけは、幼少期に怪獣と同じカッコよさを仏像に見出してしまったから!その後、仏像を見に行ったり、買ってもらったり、お寺の瓦を集めたり、仏教系の学校に進学したり…。

みうら少年の仏教ブーム歴を読んで感嘆するのは、みうらさんの「感性」普通の人とは異なる着眼点が、マイブーム、ゆるキャラの生みの親たる理由だと大いに納得できる点です。

以下では、そんなみうら青年のおもしろ面白マイ仏教歴をいくつかピックアップして紹介します。とにかく、笑えます。そして、ためになります。

中学2年生、ジョン・レノン「イマジン」に仏教を見出す

将来の夢は住職。どんな寺を目指すのか―――。 ビジョンが固まったのが中学二年生のころ。そのきっかけはなんとジョン・レノンの「イマジン」。

仏教 般若心経の一説「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」は、この世のあらゆる存在は実体を欠いていて、生じることもなく、滅することもなく、汚れたことも、浄らかなことも、増えることも、減ることも、ないという教えです。一方、イマジンは、天国なんてない、地獄もない。国境もない、所有しているものもないと歌います。

みうら少年はイマジンは確実に仏教の大ヒット・チューンである「般若心経」から影響を受けている!とインスパイア。つまり、「これもない、あれもない」という主張に共通項を見出すのです。そして、色即是空=「〝ある〟ように見えていることが〝ない〟」というのは一体どういうことなのかと、さらに仏教沼にはまっていくのです

なお、ジョン・レノンにインスパイアされて名付けた、将来の重職となるためのお寺の名前は「イマ寺院」。う~ん、素晴らしいネーミング。洒落が効いています。この辺の感性が素晴らしいですね。

般若心経が面白く学べる本

般若心経は、長く読み継がれる世界的ベストセラー。たった262文字に、仏教の教えを見事に表されているのがその理由です。笑い飯哲夫さんの解説本なら、面白く般若心経が学べます。

邪念が生じた中学3年生、拓郎にお釈迦様が重なる

中学三年生ぐらいになると、仏教一筋だった心に「邪念」が生じます。「仏教好きでは異性にモテない」という決定的な事実に気付いてしまうのです。

悩み、こじらせた挙句に代替としてたどり着いたのが「吉田拓郎」。仏教と拓郎? どうしてこの2つが結びつくのか、ここにもみうらさんの感性が光ります。

お釈迦さんは、菩提樹の下で悟りを得た後、悩んだ挙句、自分の悟りを皆に普及する道を選択。新しい教えで、「仏教への帰依」を説いて回りました。一方、拓郎はこれまでとは異なるフォークソング「結婚しようよ」で、フォークギター一本で自分の思いを素直に歌い上げ、多くの人の気持ちをつかみました。この両者が、重なって見えたそうです。

高校時代、ヤンキー修行に明け暮れる

進学した仏教学校の1/3の生徒は寺のあと取り。彼らは、高校を卒業するまでの6年間、暴れられるのは今しかないとばかり、パンチパーマで「ヤンキー修行」という荒行に明け暮れます

仏教道から逃れる道を進むも、お釈迦様と同じ髪型…。ここから、みうら少年は、どんなつっぱろうが、所詮「お釈迦さんの手の平の上」と悟ります。

当時、みうら少年は、ツッパリにいじめられないために、「燃えよドラゴン」にはまり、空手を学んでいつかブルース・リーのように強くなって学園を変えようと決心します。しかし、家に遊びに来たクラス一のいじめられっ子に「通信空手って、やっていない奴より弱そうやな」と言われ🥀。「暴力には暴力をもって制するという稚拙な考え」に終止符を打ちます。

デッサンを通じ「色即是空」を理解する

月日は流れ、美大に進学したいと思ったみうら青年。しかし、試験は不合格。

その後、美大の予備校で、デッサン修行に明け暮れる中、ブルータスの石像が落ちて倒れて粉々に壊れるのを見て、「色即是空」を理解するに至ります。

形あるものは一時的な状態に過ぎなくて、それは即ち、〝ない〟ことと一緒。
デッサンも、形でものを見てはいけない、感じるんだ――
と…

色即是空が腹落ちした結果、次の美大受験には合格。う~ん。深い…。この後も、仏教とシンクロしながら、みうら青年は成長していきます。

仏教を知るに当たって押さえておきたい「四法印」

みうら少年と仏教:【書評/要約】マイ仏教(みうらじゅん 著)

仏教は「世の真理」。お釈迦さんの教えには、幸福に生きるための教え、教養が詰まっています。そんな仏教を学ぶ上でまず先に知っておきたいのが、仏教の根本にある4つの概念(思想)である四法印です。

諸行無常(しょぎょうむじょう):あらゆる現象の変化してやむことがない

われわれの認識するあらゆるものは、直接的・間接的なさまざまな原因(因縁)が働くことによって、現在、たまたまそのように作り出され、現象しているに過ぎません。人間存在を含め、作られたものはすべて、瞬時たりとも同一のままではありえません。

諸法無我(しょほうむが):いかなる存在も不変の本質を有しない

すべてのものは、直接的・間接的にさまざまな原因(因縁)が働くことによってはじめて生じるのであり、それらの原因が失われれば直ちに滅し、そこにはなんら実体的なものがありません。我々の自己として認識されるものもまた、実体のないものでしかなく、自己に対する執着はむなしく、誤れるものなのです。

一切皆苦(いっさいかいく):人生思い通りにならない=苦行

世の中や人生は自分の思い通りにはなりません。私たちは、「よりよく生きていきたい」「楽に生きたい」という当たり前の欲求を持っていますが、思い通りにコントロールできることは決して多くありません。つまり、「苦行」の連続です。

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう):煩悩を消せば悟りの境地に

煩悩をなくすことで、はじめて悟りの境地に(涅槃)到達し、苦しみから逃れた悟りの境地に達することができます。

どの言葉も深いですね。確かに、「世の真理」です。

みうら流、マイ仏教:自分なくし✕ご機嫌取りのすすめ

みうら流、マイ仏教:【書評/要約】マイ仏教(みうらじゅん 著)

さて、みうら少年のブーム歴や、マイ仏教のとらえ方を読んで、私のような凡人にとって非常に参考になるのが、「目の付け所」です。「目の付け所が違う人」と呼ばれる人たちがいますが、まさにみうらさんはそんな一人。着眼点が凄いです。だからこそ、サブカルチャーのヒットメーカーたりえたのだと納得。ここでは、みうらさんのオリジナリティある感性の一部を紹介します。

あきらめる覚悟で、生き方がが変わる

現代社会は、モノは豊かになり、ヒトは自己顕示に一生懸命。みうらさんは、仏教の教えでもある諸行無常―「形あるものはいつか無くなる」という感覚が鈍くなってきていると感じると言います。

モノは壊れ、ヒトには、必ず最後に「死」が待っています。「人間には死があり、死んだら何も残らない」と、自分に言い聞かせるのも修行のひとつです。このような修行は、人生をあきらめているようにも感じますが、もともと「あきらめる」という言葉は仏教用語。真理を明らかにするというのが語源です。

現代では悲観的に用いられることが多い「あきらめる」ですが、「人はいつか死ぬ」と覚悟=あきらめた上で生きようと達観すれば、生き方も変わってきます。

「死ぬことを前提にして、いかに生きるか」――。 それが大事です。

「自分探し」より「自分なくし」のすすめ

現代社会では、「自分探し」が大事と言われます。旅に出たり、写経したり… しかし、「本当の自分とは何か?」「自分らしさとは何だろう?」に応えられる人はほとんどいません。

仏教では、「無我」つまり「本当の自分」なんてものはない、と2500年前から説いています。だから、自分探し」より「自分なくし」が大事と、みうらさんは説きます。

「自分なくし」という言葉はネガティブワードですが、その真の意味するところは、「自分を変えること」を恐れない、ポジティブな精神です。

私たちは目指す道を見つけた時、まずは、リスペクトしている人をお手本にマネします。「その人のようになりたい!」と思って頑張ります。必死で頑張っているとき、自分はなくなっています。

この「自分なくし」ができるのは、若い時の特権だと知っておくことも大事です。年を取ると、積み重なった「自分らしさ」が邪魔をして、すんなり他人に憧れることもできず、また。自分を変えることにも抵抗を抱くようになってしまいます。つまり「自分らしきもの」が邪魔をして、頑固になって変われなくなってしまうのです。

お釈迦さまは、もともとは釈迦王国の王子様。しかし、29歳の時に出家してすべてを捨てました。これは、いわば究極の「自分なくし」です。仏教のスタートは「自分なくし」からスタートしています。

「ご機嫌を取り」のすすめ

「ご機嫌取り」も、「自分なくし」と同様、ネガティブにとらえられがちです。

しかし、これは、人よりも気が付くということ。「相手のことを思って行動する」のは、人間関係の基本です。家庭でも恋愛でも、人間関係が上手くいっていないとき、得てして相手の機嫌を取ることを怠っています。飲み屋でよく聞く「家に帰ると、女房の機嫌が悪くてさあ…」という愚痴はその典型です。冷静に聞くと、どこか他人事で無責任だと思いませんか?

「ご機嫌を取る」ことに対して、「なんで俺がそんなことをしなくちゃならないんだ!」と憤慨する人もいるでしょう。このような考えを抱く方は、往々にして、「俺の周り、バカばっかりなんだよね」と口にします。では、その「俺」は何様ですか?自分もその中の一人に過ぎません。

人間関係は修行です。修行と思って、機嫌を取れば、人間関係はスムーズになります。そして、相手も喜び、回り回って自分もご機嫌・幸せでいられます。愛されキャラは、まさに、この天才です。

見返りを求める「僕」を撲滅!「僕 滅運動」

「ご機嫌取り」は簡単そうで難しい。なぜなら、人は「相手のためにこれだけ尽したから、きっとこれだけの報酬を得られるはず」と見返りを求めてしまうからです。そして、見返りがないと腹を立てたりします。だから、あくまで、人を幸せにするご機嫌取り修行が大事です。

この人の見返りを求める姿勢に対し、みうらさんは、「僕滅運動」を訴えます。人に腹を立ててしまうのは、「僕(俺)がある」からです。「僕(ボク)を滅(滅亡)」して、ご機嫌取りに励めば、世界平和は無理でも、「周囲の平和」は実現できます。

飲み会の席で「いや、~」とか「でも、~」を言わないのも、ささやかながらも大切な「僕滅運動」。こんなとき、「なるほど」とか「そうだね」と話を受けた方が、圧倒的に場はなごみます。周囲の平和につながります。

自己表現はすべて「ご機嫌取り」から逃れられない

音楽でも文学でも美術でも、「何かを表現・発表する」という行為は、「自分を売買」する行為。「お客さん」という他者が存在する限り、彼らの機嫌を無視できません。これは、「表現の根本にあること」と言えます。単なるSNS一つとっても、言葉という表現です。

すべては接客という苦行「接客行」。「人に何かを見せたい」なら、「ご機嫌を取る」ことから逃れられません。

「煩悩」と「ほどほど」

なぜ、人生は苦しいのか。その原因は「煩悩」です。しかし、多くの凡夫にとって、欲望は、人間が何かを行う原動力です。また、悲しいかな、欲望すら維持し続けることは難しく、多くの人は、途中で挫折します。

欲望で突っ走ると、大体、最後は失敗します。そうならないためには、仏教のいう「中道」、つまり「ほどほど」が大事です。

でも、「お金」ひとつとってみても、「ほどほど」で欲望を押さえることが難しい。ただ、私は、著書「DIE WITH ZERO」を読んで、以前より「お金はほどほどでいい」と思えるようになって、生きるのが楽になりました。私の人生を変えた本です。幸福に生きるために「ほどほど」は大事と、実感します。

非核三原則をもじって、比較三原則

この世に自分しかいなければ、比較もしないし、苦しみも生まれないかもしれません。比較は苦しみを生む原因の一つであることは間違いありません。

〝他人と過去と親〟どうにもならないこれら3つを比較してしまうことを、みうらさんは「比較 三原則」と命名して、早く気がつこうと教えます。この世界が諸行無常で諸法無我なのだとしたら、比較しても仕方がありません。不幸を生むだけです。

ポジティブに生きる!念仏戦法

私たちは、他人がいて、それを比較する「言葉」があって、はじめて自分の立っている位置を認識し、劣等感に苛まれたり、優越感で傲慢になったりします。しかし、この言葉の作用を、逆手に取れば、言葉を上手に使ってポジティブになれます。

みうらさんは、どんなに辛いときも「そこがいいんじゃない!」と思うようにしているそうです。

例えば、ゆるキャラ。正直、しょうもないキャラクターたちです。でも、「ゆるい」という、従来マイナスに思われていた要素を、「けど、おもしろい!」をつけ加えることで、一気に人気者に反転させています。着原点の転換、見方一つで、ポジティブに早変わりです。

みうらさんは、「そこがいいんじゃない!」と発声する訓練をしておくと、そう発言した瞬間から、脳が「そうなんだ」と思い始めてくれるとアドバイスします。これは、ネガティブを逆手にとってポジティブになる生きる知恵「念仏戦法です。

最後に

今回は、みうらじゅんさんの「マイ仏教」からの学びを紹介しました。

ネガティブなことも一気にポジティブに転換してしまう、着眼点が素晴らしいですね。テレビでみるみうらさんは、とても人生が楽しそうです。みうらさんのような考えの人がたくさんいれば、世の中は、もっとご機嫌に、楽しいものになるに違いありません。

本書は、上記でまとめた以外にも、いろいろな気づきのある本でした。本書自信が「ゆるいけど、面白い!」の実践書であり、しかも、「ためにもなる。幸せにもなれる」思考法で満ちています。ある意味、お釈迦さまも実現できなかった「万人に開かれた仏教」があります。

本書を読んで、一気に、みうらさんのファンになりました。是非、多くの人に本書を読んでほしいです。