鉄道ファンに乗り鉄・撮り鉄があるように、銭湯ファンも旅行・サウナ・建築など多種多様 ~著書「銭湯学」に楽しみ方を学ぶ
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最近、銭湯に行ったことありますか?

何年も行ったことがない人が多いと思うのですが、サウナ男子サウナ女子にとっては、銭湯巡りはなかなか楽しい趣味です。私は、週6回程度サウナに行くサウナ女子。つい先日もおしゃれににニューあるした堀田湯に行ってきました。

温泉に行く時間とお金はない。そんな人も、銭湯に行くとちょっとした非日常が味わえる。少し足を延ばして遠征して、レトロ銭湯、おしゃれ銭湯+地元グルメを楽しめば、ちょっとした小旅行気分も味わえます。

今回は、サウナ女子の私が、銭湯を愉しむとガイドブック【懐かしくて新しい「銭湯学」】から、銭湯の歴史や愉しみ方・雑学を紹介します。

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なぜ銭湯に惹かれるのか、銭湯の魅力

ぜ銭湯に惹かれるのか:銭湯学(書評)

今、東京に何軒銭湯があるかご存じですか?

最近の銭湯事情

東京都の情報サイト東京くらしWEBによると、2021年12月末時点で、都内にある銭湯は480カ所

本書によると、東京の銭湯数は最盛期が昭和43年で2,687件。現在は2割を切り、18%弱になっています。これは全国的な傾向です。

そのような中でも、多くの銭湯ファン、そして時代のニーズに合わせて施設を改装するなどの努力を重ねている銭湯経営者の方がいらっしゃいます。特に、最近は、サウナブームもあって、特に特色のある銭湯は若い利用客が多い。コロナ前とは客層が様変わりしています。

銭湯の愉しみ方

私はサウナが好きで、少し足を延ばして銭湯に行ったりしますが、当然ですが、銭湯の愉しみ方はサウナだけではありません。

鉄道ファンに「乗り鉄」「撮り鉄」といったジャンルがありますよね。

これと同じように銭湯ファンにも「入浴そのものが好き」「建築学的な面白さに惹かれる」「昭和レトロが好き」「旅行・サ旅が好き」「サウナ大好き」など様々。

自分なりの趣味の対象を持つと銭湯巡りが断然楽しくなります。

ちなみに私の銭湯(サウナの楽しみ方)はいかにまとめています。

スーパー銭湯にない銭湯の魅力とは

単に施設だけで比べるならスーパー銭湯の方が色々なお風呂サウナ、休憩所などがあって楽しめます。

しかし、銭湯は日本人の美意識や宗教観が凝縮された空間であることや、地域の人々の交流の場であることなどがあり、それはそれ面白いと著者の町田忍さんはアドバイスをしてくれます。

それを知るために、以下では「銭湯の歴史」を見ていきます。

銭湯の歴史

ぜ銭湯に惹かれるのか:銭湯学(書評)

さて、ここからは、より銭湯を愉しむための雑学です。銭湯の歴史を知ると、日本・日本人のいろんなことが見えてきます。

入浴習慣はいつからあったか

実は、入浴の歴史は神道や仏教と関係が深いってご存じですか?

入浴習慣の始まりは、神に祈りを捧げる時に心身を清める神道の「禊(みそぎ)」に遡ります。

そこに、仏教伝来で、修行として身を清める「斎戒沐浴(さいかいもくよく)」の考え方が入ってきました。仏教伝来で、寺院に浴室が設けられるようになり僧侶が身を清めました。やがて、寺院に集まった民衆の心身を清めたり治療するために浴室を解放する「施浴」が行われるようになります。

つまり、元々、体の汚れを落とす目的ではなかった入浴でしたが、入浴のもたらす清潔さと病気治癒の効果と相まって行ったのです。

商売としての銭湯

寺院・神社ではなく、街中で料金を取って入浴させる商売としての銭湯が登場するのは、記録でわかっているところでは、「平安時代末期」です。

そして、より銭湯が増えたのは「江戸時代」。江戸の町では銭湯が増えましたが、そこには「江戸の家事」が大きく関わっています。「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉がありますが、江戸の町は「火災都市」と呼称されるほど、頻繁に火事がしました。そんな江戸の町に自宅風呂があったらさらに火災は増えてしまう。だから、豪商宅でも自宅に内風呂がなかったのだそう。もちろん、お湯を沸かすのにお金がかかるのも大きな要因でした。

江戸の銭湯の始まりはサウナ!?

江戸の町では最初は「戸棚風呂」と呼ばれる、深さ30cmほどの浅い風呂で蒸気浴「蒸し風呂」形式の銭湯が一般的でした。上半身を蒸らし、浴槽に膝の高さ程お湯を入れ、下半身を浸す方式で、蒸気を逃さないように周囲を板で囲い、入浴するときは引き戸を開けて入る。今でいうところのサウナですね。

サウナーとしては、江戸時代からサウナが楽しまれていたというのは、なんだか嬉しい。

やがて時代が下るにつれて「湯船に浸かる入浴」が一般的になっていきました。

江戸時代は混浴が一般的

江戸時代初、入浴目的する目的とは別に、「湯女風呂」と言われる風呂も隆盛しました。これは、「湯女」と呼ばれる女性が客の赤をこすり、髪を洗い、湯上がりに茶屋酒を接待し、さらには、枕を共にすることも。今でいうところの、「風俗法」が関わってくるような施設ですね。

いつの時代も、風俗はお盛んです…
しかし、明暦3年(1657年)、幕府は風紀上の理由から、江戸の街において、湯女風呂を禁止しました。

ちなみに、江戸時代は「男女混浴」が一般的です。明治になってしばらくしても、銭湯の2階に、男性客と女性がじゃれ合ったりするような場所があったようなので、禁止しても風俗は完全には取り締まれなかったということなのでしょう。現代と変わりません。

明治時代に現代に通ずる銭湯が誕生

明治時代になると(明治10年頃)、神田にそれまでとは異なる構造の先頭が開店します。「改良風呂」と言われた、現在の戦闘の基本構造と同じお風呂で、現代の私たちが「昭和レトロ」で思い出すよな銭湯です。

浴槽は板間に沈めて湯をたっぷり入れ、さらに洗い場を広く天井を高くし、開放的な清潔感のある銭湯になりました。

また、明治2年には、外国人などからの批判を受け、政府は東京都における「混浴禁止令」を出しました。しかし、長年の習慣もあって混浴はなかなかなかなくならず、政府は度々お触れを出したそうです。最終的に混浴が消えたのは明治12年「湯屋取締規則」が制定されてからと考えられています。

大正時代、「宮造り銭湯」が広まる

大正時代になると、さらに銭湯は近代化。板張りの洗い場や木製の浴槽は姿を消し、タイル張りとなりました。また、水道が普及すると浴室に水道式のカランが取り付けられ、衛生面も向上しました。

さて、現代において「昭和レトロ」を感じさせる銭湯は、神社や寺院のようなつくりをしている社寺風建築が多いですよね。これは「宮造り銭湯」というそうですが、大正時代に東京を中心に広がりました。

郊外では農地の中にポツンと新しい銭湯ができると、周囲に住宅が建ち、まるで門前町のように町が形成されていきました。

銭湯は街の形成にも役立っていたのですね。

昭和40年代に銭湯はピークアウト、その理由は…

その後、戦時中は空襲や燃料不足なので銭湯の廃業が相次ぎ、1945年の終戦時には都内の銭湯は400件ほどに減りましたが、戦後復興を遂げると急速に増え、昭和43年に東京の銭湯は2,687件でピークアウトすることになります。

理由は簡単。昭和40年代、日本が高度経済成長期に入ると住宅事情も変化し、各家庭に内風呂が登場したからです。これにより、都内の銭湯の数は1968年の2,687件をピークに減少し、2021年12月時点で480件まで減少しています。

しかし、ここにきてのサウナブーム。燃料の石油高騰で廃業する銭湯がある一方、サウナブームもあって、リニューアルで再起を図る銭湯も生まれています。

入浴料金の変遷

ぜ銭湯に惹かれるのか:銭湯学(書評)

サウナや温泉に行くと「入浴料」というものがとられますよね。

昭和21年以降、銭湯の入浴料金は物価統制令に基づき都道府県ごとに定められています。

東京都では知事から諮問を受け、学識経験者、利用代表者、業界代表者、関係行政機関から構成される「東京都公衆浴場対策協議会」が料金を検討しその意見をもとに決定されています。
利用者の負担を軽減するため原価計算された料金よりも低く設定されています。

料金の変遷、および、料金事情は過去記事にてまとめているので、是非、ご確認を。
最近の銭湯料金は、日常で銭湯に行くのは厳しい料金だなぁ…と考えさせられます。

最後に

今回は、銭湯をより愉しむためのガイドブック【懐かしくて新しい「銭湯学」】を紹介しました。

なお、本書には、全国の特徴ある銭湯も紹介されています。

例えば、ロケ地になったり、建築物としても素晴らしい銭湯など、北は北海道から南は沖縄まで全国の銭湯も紹介されています。サ旅のガイドブックとして手に取ってみるのも面白いと思いますよ。

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