【書評/要約】日本のいちばん長い日(半藤一利 著)(★5) 終戦日、日本の中枢で何が起こったか。24人それぞれの"日本人的忠誠心"描く不屈のノンフィクション

日本のいちばん長い日。

それは、今から77年前、昭和20年8月14日正午から翌15日の正午、天皇陛下がポツダム宣言受諾をを国民に伝える「玉音放送」までの激動の一日のこと。

この1日に日本の中枢で起こっていたことを描いたのが、半藤一利さんのノンフィクション日本のいちばん長い日」です。

昭和40年、敗戦から約約20年、今より戦争の記憶が鮮明であったであろう時代に、徹底的な資料分析、そして、存命当事者、関係者への綿密な取材と証言をもとに構成されています。

これ以上、「国民の死」を増やさないように早期終戦を実現しようと動くものがいる一方で、「それでも貴様たちは男か!」とあくまでも戦争を続けようと画策し、ポツダム宣言受諾の聖断を周知を阻止すべくクーデターを起こす青年将校がいるなど、まさに激動に揺れ動いたのが「玉音放送までの24時間」です。

本書を読むと、当日、日本の中枢部にいた者たちの、それぞれがもつ〝日本的忠誠心〟のぶつかり合い、その「緊迫感」がひしひしと伝わってきます。

それと同時に、「(文字で)歴史を残す・刻む」というのは、こういうことなのか、と、半藤一利さんの取材・執筆のすごさを感じずにはいられません。

今回は、本書「日本のいちばん長い日」のあらすじ(構成)、および、私の感想をまとめます。

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日本のいちばん長い日:あらすじ

【書評/要約】日本のいちばん長い日(半藤一利 著):あらすじ

近代日本の“運命の一日”を描いた不朽の名作。太平洋戦争を終結させるべく、天皇の「聖断」に従い和平への努力を続ける首相鈴木貫太郎をはじめとする人々と、徹底抗戦を主張して蹶起せんとした青年将校たち──。
玉音放送を敢行しようとする政府関係者に対して、陸軍の一部軍人は近衛連隊を率いて皇居に乱入した。
そのあまりにも対照的な動きこそ、この一日の長さを象徴するものであった。玉音放送が流れた昭和二十年八月十五日正午に至る一昼夜に繰り広げられた二十四幕の人間ドラマ。
──── Amazon解説

描かれる24人

本書で描かれているのは24人。

昭和天皇や鈴木貫太郎首相、阿南陸軍相などの政権の中枢で戦争終結に向けて動くものから、
徹底抗戦を主張し、実力行使・クーデーターを起こすに至った陸軍の若手将校たち、
さらには、放送局員など「玉音放送」を国民に伝えようと準備を進める人たち 等

誰が主役というわけはない。
何がいい、悪いでもない。
当時を一生懸命生きていた人たちの、それぞれの〝日本的忠誠心〟そして、それに基づいて自分の使命を果たそうとする者たちの発言・行動が描かれています。

本書の章構成

十四日
正午────午後一時 〝わが屍を越えてゆけ〟 阿南陸相はいった
午後一時────二時 〝録音放送にきまった〟下村総裁はいった
午後二時────三時 〝軍は自分が責任をもってまとめる〟 米内海相はいった
午後三時────四時 〝永田鉄山の二の舞いだぞ〟 田中軍司令官はいった
午後四時────五時 〝どうせ明日は死ぬ身だ〟 井田中佐はいった
午後五時────六時 〝近衛師団に不穏の計画があるが〟 近衛公爵はいった
午後六時────七時 〝時が時だから自重せねばいかん〟 沼武官長はいった
午後七時────八時 〝軍の決定になんら裏はない〟 荒尾軍事課長はいった
午後八時────九時 〝小官は断固抗戦を継続する〟 小園司令はいった
午後九時────十時 〝師団命令を書いてくれ〟 芳賀連隊長はいった
午後十時───十一時 〝斬る覚悟でなければ成功しない〟 畑中少佐はいった
午後十一時──十二時 〝とにかく無事にすべては終わった〟 東郷外相はいった

十五日
零時───午後一時 〝それでも貴様たちは男か〟 佐々木大尉はいった
午前一時────二時 〝東部軍になにをせよというのか〟 高嶋参謀長はいった
午前二時────三時 〝二・二六のときと同じだね〟 石渡宮相はいった
午前三時────四時 〝いまになって騒いでなんになる〟 木戸内府はいった
午前四時────五時 〝斬ってもなにもならんだろう〟 徳川侍従はいった
午前五時────六時 〝御文庫に兵隊が入ってくる〟 戸田侍従はいった
午前六時────七時 〝兵に私の心をいってきかせよう〟 天皇はいわれた
午前七時────八時 〝謹んで玉音を排しますよう〟 館野放送員はいった
午前八時────九時 〝これからは老人のでる幕ではないな〟 鈴木首相はいった
午前九時────十時 〝その二人を至急とりおさえろ!〟 塚本憲兵中佐はいった
午前十時───十一時 〝これから放送局へいきます〟 加藤局長はいった
午前十一時───正午 〝ただいまより重大な放送があります〟和田放送員がいった

24人の1時間を見て頂いただけでも、玉音放送までの1日がいかに「激動」であったのかを、ご理解いただけるのではないかと思います。

日本のいちばん長い日:感想

【書評/要約】日本のいちばん長い日(半藤一利 著):感想

一度起こった戦争の終結の難しさ

玉音放送」と聞いても、戦後に生まれた人は、昭和天皇の「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び…」の部分しか、知らない人が大半ではないでしょうか。私もそんな一人です。

しかし、この本を読むと、この「録音放送1本」を流すために、どれほどの激動のドラマがあったのかに衝撃を覚えます。

敗戦の結末を知っている戦後の私たちにとっては、「敵の攻撃で国が焦土と化しても戦う」と徹底抗戦を主張する若き青年将校たちの行動は極めて愚かに見えますが、これも「日本人的忠誠心」。

一方で、どう考えても勝利があり得ない状況下で、まともな思考ができなくなった姿は、思考が乗っ取られてしまう「戦争の恐ろしさ」、そして「人間の愚かさ」を改めて強く感じざるを得ません。

今なお、ウクライナではロシアの攻撃が続いていますが、今なお、終結が見えません。この戦争にどのような終わり方があるのでしょうか?

結局のところ、日本のように、再起不能なほどに(実際は再起しましたが)コテンパンに痛めつけられることなくして、戦争終結はあり得ないのでしょうか?心が痛みます。

玉音放送の内容(現代語訳)

「ただいまより重大なる放送があります。全国の聴取者のみなさまご起立願います」 という和田放送員のアナウンス、そして「君が代」のレコード放送の後に流された、天皇の肉声による「玉音放送」

本書にはその玉音放送が原文で紹介されています。しかし、漢字とカタカナで構成されたその文章は、なかなか難しい。現代語訳で、改めて読んでおきたいと思いました。

そこで調べてみたところ、西日本放送「終戦8・15の記憶 玉音放送の全文」に「現代語訳」が掲載されていたので、引用し、ここに掲載をしておきます。

玉音放送の全文:現代語訳

私は深く世界の大勢と日本の現状に鑑み、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。
私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連の4カ国に対しその(ポツダム)宣言を受諾することを通告させた。

そもそも帝国臣民の安全を確保し世界の国々と共に栄え、喜びを共にすることは、天皇家の祖先から残された規範であり、私も深く心にとめ、そう努めてきた。
先に、米・英2カ国に宣戦を布告した理由もまた、帝国の自存と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の心志(意志)ではない。

しかしながら、戦闘状態はすでに4年を経て、わが陸海将兵の勇敢な戦闘や、官僚・公務員たちの励精、一億民衆の奉公は、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もわれわれにとって不利に働いている。
それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、罪のない人々を殺傷し、その被害ははかり知れない。それでもなお交戦を継続すれば、ついにわが民族の滅亡を招くだけでなく、それから引き続いて人類文明をも破壊することになってしまうだろう。

そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子ともいえる多くの国民を守り、皇祖皇宗の神霊に謝罪することができようか。これが私が政府に宣言に応じるようにさせた理由である。
私は帝国とともに終始、東亜の解放に協力してきた友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。
帝国臣民であり、戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると内臓が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍に遭い、家や仕事を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。

思うに、今後、帝国の受けるであろう苦難は尋常ではない。あなたたち臣民の本心も私はよく知っている。しかし、私はこれからの運命について堪え難いことを堪え、忍び難いことを忍んで将来の万世のために太平の世を切り開こうと願っている。
私は、ここにこうして国体(天皇を中心とする秩序)を護持して、忠良なあなた方臣民の偽りのない心を信じ、常にあなた方臣民と共にある。もし激情にかられてむやみに事をこじらせ、あるいは同胞同士が排斥し合って国家を混乱に陥らせて国家の方針を誤って世界から信用を失うようなことを私はもっとも戒めたい。

国を挙げて一つの家族のように、子孫ともどもかたく神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操(守って変えない志)をかたく持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように期すべきだ。あなた方臣民は私のそのような意を体してほしい。

個人的考え「日本人は平和主義というわけではない」

戦争は絶対に起こしてはいけないものです。しかし、一方で、歴史は「戦争・争いは決してなくならない」ことを物語っています。

私自身は、極めて「平和主義者」に見える日本人も、平和主義なのは「太平洋戦争での大敗」を経験した後の今だからの話であり、「民族」として元来平和主義であるとは思っていません。事実、太平洋戦争が始まったときは、国民は喚起・喝采しました。だからこそ、戦争について理解する機会を持つことは大切だと思う次第です。

なお、私が、日本人は平和主義というわけではない」と思っている理由については、以下の書評に記載しているので、ご興味のある方は合わせてご確認を。「カエルの楽園」も現代日本人が読んでおくべき、日本の戦争・国防を考える一冊です。

最後に

今回は、半藤一利さんのノンフィクション作品「日本のいちばん長い日」を紹介しました。

私の亡くなったおじいちゃんも、戦争に出向きました。しかし、彼は私に一言も戦争のことを話すことはありませんでした。おじいちゃんが戦争に行ったという事実が分かるのはセピア色に色あせた若い日のおじいちゃんの写真だけです。おじいちゃんにとっては決して思い出したくない記憶だったのでしょう。

戦後も長くなると、当時の記憶は薄れていきます。是非、毎年、戦争終戦月である「8月」ぐらいは、戦争に関する書籍を読んでみてもらいたいです。

マンガ版と映画も紹介しておきます。