【書評/要約】カエルの楽園(百田尚樹 著)(★5) 茹でガエル 日本人を痛烈に揶揄。終戦の8月、日本の外交・国防を考えるきっかけに

人気作家 百田尚樹さんの「カエルの楽園」は、2匹のアマガエルが見た「カエルの世界(国々)」を描いた寓話です。

寓話とは、教訓的な内容の作品ことで、「人間の本質」にかかわる教えをたとえ話で教えてくれます。

百田尚樹さんのカエルの楽園も、カエルの国の話かぁ~と読み進めていくと、「あれれ?これってもしやあの国のこと?」と思うようになり、読み進めると、やっぱり「あの国に間違いない!」と確信すると同時に、今のままでいいのか?!といろんなことを考えさせられます。

あの国とは、平和主義国「日本」です。

今回は、「カエルの楽園」のあらすじ、および、私が得た学びを紹介します。

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カエルの楽園:あらすじ

カエルの楽園:あらすじ

生まれた故郷が、他族からの侵略を受け、仲間たちが次々と殺されていたアマガエルのソクラテスは、わずかに残ったアマガエルとともに、安住の地を求めて旅にでる。

しかし、どの国に行っても敵はおり、安息の地は見つからない。長い旅の中で仲間は命を落とし、最後に残ったソクラテスとロベルト。死を覚悟したが、幸いにも、争いも敵もいない ツチガエルの地「ナパージュ」にたどり着いた。

なぜ、ナパージュはこれほど平和なのかと不思議に思った2匹のアマガエル。ナパージュの住民ツチガエルを観察していると、彼らは、皆、「話し合うことが平和の道」であると信じていた。そして、日ごろから、過去の非道徳な戦いを「謝りソング」歌うことで自覚し、「三戒」と呼ばれる平和維持のための大事な教えを守ることで、平和を維持していたのだ。

■ ツチガエルの国、ナパージュが信奉する「三戒
1. カエルを信じろ
2. カエルと争うな
3. 争うための力を持つな

しかし、そんな平和な日々を侵すものが現れた。南の沼に棲む凶暴なウシガエルだ。彼らは、ナパージュの境界線にやってきて、動かない。今に、彼らが攻めてくるのではないか?

ツチガエルたちは、三戒違反を犯しても、自らの土地・命を守るべきか、と議論を繰り返す。そして、その結果…

ツチガエルの議論とその結果を傍観していた 2匹のアマガエル ソクラテスとロベルトは、ナパージュの真の姿と、恐ろしい結末を見ることになるのだった…

カエルの楽園:感想

カエルの楽園:感想

ここからは、ネタバレを含みますので、知りたくない方は読まないでください。

ナパージュ・ツチガエル・三戒の正体

ジャーナリストの櫻井よしこさんが本書の最後で解説をされていますが、ナパージュとは何なのか?そこに住むツチガエルとは何を揶揄しているのか、簡単に触れておきます。

ツチガエルの楽園「ナパージュ」ですが、これは、「日本」のことです。

Japan(日本)」の英語のつづりをひっくり返すと「Napaj(ナパージュ)」となり、完全に、日本を揶揄した寓話です。

さらに、

ナパージュの住民「ツチガエル」 → 日本人
絶対に侵してはならないルール「三戒」→ 日本国憲法の前文と九条
ツチガエルがいつも歌っている「謝りソング」→ 戦後の自虐思想

ナパージュに君臨する 鷲「スチームボート」 → 米国
ナパージュの国境を脅かす「ウシガエル」  → 中国

です。本書はまさに、日本の取り巻く外交・国防環境、および、その行く末を揶揄した「寓話」なのです。

「カエルの楽園」のテーマ

本書は、2匹のアマガエル(難民)の目を通して描かれています。そして、寓話で描かれるテーマは、

・バカの一つ覚えのように「三戒」を信奉していると日本はどうなるか
・今の国防のまま、「米国」という後ろ盾を失うとどうなるか
・自らを守る十分な力と行使力も持たず、やみくもに「争わない」を貫くとどうなるか

です。

「日本国憲法の前文と九条」と「戦後の自虐思想」で、(米国という)他力本願の上に成り立つ平和主義国「日本」を痛烈に批判しています。「カエル」が主人公なのも、日本人は「茹でガエル🐸」ということを示しているのでしょう。

「国土が侵略」、さらに進んで「国民が(一定数)殺されたとき」、それでも、人類を信じ、人類同士戦わず、戦いのための力を持たない「平和主義」を謡っていられるのか、今一度、考えるきっかけを与えてくれます。

解説はこのぐらいにしておきますが、本書は、これ以上にたくさんの日本・日本人に対する揶揄が含まれており、様々なことを考えるきっかけを与えてくれます。是非、手に取って読んでみてほしいです。

この機会に、憲法を読む・日本を考える

この機会に、憲法を読む・日本を考える

日本国憲法「前文」「9条」を今一度読んでみよう

日本国憲法の「前文」「9条」をしっかり読んだことありますか?

この機会に読んでみてください。なお、太字は、カエルの楽園と強くリンクすると考える部分を「私なり」に記したものであり、本来、太字ではありません。

日本国憲法「前文」

日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
 
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。

日本国憲法「9条」

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

そもそも日本人は平和主義なのか?

ここからは私の意見です。

日本人は「平和主義の国だ」と思ってる人は多いと思います。604年、推古天皇の時代に聖徳太子によって施行された、「和を以て貴しとなす」の語源ともなる「十七条の憲法」を持ち出して、「日本は昔から平和主義のいい国民なのだ!」と信じています。

私もそう思っていました。そして、戦争で戦ってはいけないと、他力本願に願うだけの平和主義者でもありました。

しかし、様々な本(特に歴史の本)を読んで、腹落ちしてわかったのは、日本の歴史の多くは「戦いの歴史」であるということ。日本史も権力とお金(かつては土地)を求めて争った歴史だというです。

日本も、いつの時代も、「権力」、そして、富の蓄えができるようになった弥生時代以降は、「権力・金・土地」のために戦ってきました。今では平和の象徴である「天皇家」だって、同族同士、武士ができてからは「幕府」と権力争いをして戦ってきました。

今の平和主義は単に、太平洋戦争でコテンパンに米国にやられてしまって、米国の配下、真の芯まで「戦後の自虐思想」を植え付けられたにすぎません。だから、私は「日本人は平和主義」だとは思っていません。

生き物は生き残るために争うものである

さらにいうと、人類というか、生き物は「争う」ことが、遺伝子に刻まれているのだと、今は、思っています。なぜって、生き残ってナンボだからです。生き残らないとだめなのです。

コロナウィルスの感染力と変異を見てください。どんだけ撲滅させようと思っても、変異種が出てきて拡散していきます。あれも、ウイルスという種の生存戦略です。

だから、本書のテーマに改めて戻ると、「人類は争う」ことを前提として、国防を考える合ことが大切なのだと考えています。

遺伝子に操作される人間については、以下の書評にまとめているのでご参考に。

最後に

今回は、百田尚樹さんの小説「カエルの楽園」を紹介しました。
上記で紹介した以外にも、「支配者と群集」の関係、「メディアの群集先導」「願望が先行し、現実が正しく見れなくなってしまう群集」など、考えさせられるテーマが満載です。一読をおすすめします。

本書と合わせて、ジョージ・オーウェルの寓話「動物農場」も、是非読んでみてほしいです。こちらも、とある農場を舞台とした寓話で、「ずる賢く力のある支配者と、頭が悪くて簡単に騙されてしまう一般群衆(いわゆる真面目な人です)」の痛烈批判作です。