【書評/要約】プロパガンダゲーム(根本聡一郎 著)(★5) 政治・宣伝 による群集に対する思想誘導 が 現社会とシンクロ...操る側から社会を観るきっかけに

大手広告代理店の就職活動最終選考は「プロパガンダ・ゲーム
自国の領土を守るためのの戦争に賛成か、反対か? 最終選考に残った8人の大学生は、政府・レジスタンスの2チームに分かれて、SNS上の市民100人に「戦争の是非」を問う宣伝戦が繰り広げていく。

プロパガンダとは、意図をもって、特定の主義や思想に誘導する宣伝戦略のこと。大きなところでは、国家においての思想統制や政治活動、小さなところでは宣伝広告や広報活動もプロパガンダに含まれます。

このプロパガンダゲームに勝つ、そして、採用通知を手に入れるために必要なのは、「宣伝という行為への根本的な理解」と「その理解を実行に移す胆力」。これはどういうことなのか?最終選考者たちは、2時間の最終選考試験、そして、試験終了後も、それについて考え、それぞれ、自分の歩む道を決めていきます。

政治、広報、宣伝、… 私たちが触れる情報の多くはこれらに通ずるものであり、知らず知らず誘導されてしまう世界に生きています。私たちはいかに誘導されてしまうのか、そして、それを操る側は何を考えているのか、かみしめながら読みたい1冊です。

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プロパガンダゲーム:あらすじと感想

プロパガンダゲーム:あらすじと感想

「君たちには、この戦争を正しいと思わせてほしい。そのための手段は問わない」
 
大手広告代理店「電央堂」の就職試験を勝ちあがった大学生8名。彼らに課された最終選考の課題は、宣伝によって仮想国家の国民を戦争に導けるかどうかを競うゲームだった。

勝敗の行方やいかに、そしてこの最終選考の真の目的とは?
――先の読めないゲーム展開と衝撃のラストが、宣伝広告の本質、ネット社会における民主主義とはなにかを読者に問いかける。
――Amazon本解説

ストーリーの中には、現実社会にシンクロする企業、団体、人、社会的事件などがいくつか登場。ストーリーに引きこまれると同時に、私たちが生きる現実社会でも、同じような群集の先導・誘導が少なからず起こっているだろうことが容易に想像できて軽い恐怖を感じます。

プロパガンダ情報誘導の中でも、国をあげて行われる性質もものであり、自分は騙されないと思っていても、気づかぬところで誘導されてしまう怖さがあります。しかも、群集はそれを目論む人たちより、大抵の場合、バカであり、私もそのバカの一人です。

人の感情を煽り誘導する/される怖さを、ずっしりかみしめ読みたい。

就職活動最終選考である2時間のプロパガンダ・ゲームが終わった後も、選考に参加した学生たちは、宣伝・情報戦というものについて、深く考えます。そして、ある者は、行動を起こします。特にラストは、怒涛のようにストーリーが転換を見せていき、面白いです。

プロパガンダゲーム:気になった言葉

プロパガンダゲーム:気になった言葉

ここからは、小説の中で気になった言葉、深いなぁと思った言葉をメモとして書き記しておきます。
ネタバレになる言葉も多いので、純粋に小説を読みたいと思った方は、小説を読んだ後にご確認ください。

宣伝・プロパガンダの本質を知る

諸君には、これから最後の選考を受けてもらう。ここで問われるのは、宣伝という行為への根本的な理解と、その理解を実行に移す胆力だ。
大衆が何を求めているのか。いかにすれば大衆の関心を引き付けられるか。そこを理解せずに小手先で内容を弄ったところで、良い宣伝は生まれない。重要なのは、大衆の習性を把握した上で、適切に誘導するということだ。
あらゆる手段を用いて人々に訴え、顧客を支持する世論を作り上げる。これが宣伝という仕事だ。情報化された現代社会では、顧客にあらゆる人間が想定される。このことを肝に銘じておきたまえ。
このプロパガンダゲームで重要なのは、「何が事実か」ではありません。投票者に「何を事実だと思わせたいか」だ。

最終的には、事実と思わせたい内容を「感情面でどこまで訴えられるか」。こういうわかりやすいのが最終的に勝つ。

【簡略文章】マーケティングの世界では、選挙は先に争点を設定できた側が勝つのが常識。争点設定が勝負。投票するための判断基準を、自分で国民に提供してまう。そうすると、その基準を土台にして国民が考えてくれるようになる。政治に限らずビジネスでも、基準を自分で作って、そのルールを「そういうものなんだ」と信じ込ませることができる人間が一番強い。

小泉政権はこれがうまかったですね。しかも、バカでもわかるように、「シンプルに二択」から選ばせる。

不安を感じている人間は、何かにすがろうとする。すがりたい、と思うような情報を与えれば、一気に多数を取ることもできる。

群集には揺るがない信念なんてものはないということですね。雰囲気にのまれ、簡単に流されるということです。

感情を揺さぶる

石油が出るから戦争しましょうって、感じ悪くない?

「石油は国にとって重要な資源だ。石油が枯渇すれば、無資源国では満足に電気も使えなくなる。石油の出る島を守るという判断は、間違いなく国益に適う」

「後藤くんみたいに頭が良い人は、すぐにそういうふうに思うかもしれないけど、あたしはその理屈、ちょっと分かんなかった。あたしがバカなだけかもしんないけど、毎日『国益』とか考えてる人ってそんなにいっぱいいる? 」

はい。確かにごもっとも。「国益」という発想で普段から物を考えている日本人なんて少数。正論をいったところで、意味がない。頭のいい発言をしてもシンパシーを感じる人は少なく、指示は得られない。

政府側の頭のいい人が「どんなに些細な領域でも、一度侵略を許せば、なし崩し的に国土が奪われる。国土が奪われれば、国そのものが立ち行かなくなる。そうなれば大勢の国民が路頭に迷う。どうしてこんな単純なことが分からない。バカばっかりだ。」と群集を憐れんでもその、「分かんない人たち」に標準を合わせてアピールしないとプロパガンダ戦では勝てない。論理的な思考だけでなく、他人の感情を重視して物事を考える意見が大事。

『石油が取れるからこの島は大事だ』という意見は、理屈の上では間違ってはいない。しかし、政府の思惑がはっきり透けて見えてしまうと、市民は引いてしまう。欲はオブラートに包まないと、失敗する。

群衆

まぁ、現状維持の方が楽やからな。よっぽどのことがない限り、『何も変えない』って選択する人間の方が多いんじゃないか。

人は、基本的に、変化を嫌う。できれば、現状維持を願う。それ以上に突き動かされる何かがなければ…

市民感覚ほど、信用できないものもない。「口では『差別反対! 暴力反対!』と言いながら、『差別する人間は死刑にしろ!』って平気で言う。

戦争と平和の選択にしたって、平和の定義が変われば、平和を望む市民の投票先もコロッと入れ替わる。「平和」という概念は、危うく脆い。本当に武器がリアルに感じらる局面では、「平和の鳩」など意味がない。隣に兵士がいる方が安心。結果、平和を強く望むことが、武力の強化につながり、それがいずれ戦争の火種になる…

愚者は自分を疑うことをしない (by ホセ・オルテガ 『大衆の反逆』)。愚者は疑わない。大衆は忘れやすい。その性質を考えれば、「警告」は無力
自分から『戦争しよう』と断言できる人間なんて、ほとんどいないんだよ。『相手にやられたら、やりかえそう』。これが一番のボリュームゾーンだ。

プロパガンダ戦の行く末

プロパガンダ戦は、最終的には、相手の叩き合いになる。この発想では、結局、何も良くなりはしない。

ゼロサムゲームを続ける行き着く先は戦争。それを止めるためには、分け合うという発想が必要になる。本当に物事を良くしようと思ったら、誰かに都合の悪いことを言うだけじゃなく、誰かの役に立つ必要がある。

最後に

今回は、根本聡一郎さんの小説「プロパガンダゲーム」のあらすじと感想を紹介しました。読むといろいろ考えさせられます。安易に誘導されないため、世の中で何が起こっているかを正しく見る目をつくるためにも一読をおすすめします。

プロパガンダについて学ぶ本

ここからは、合わせて読みたい本の紹介です。

バカな群集をいかに誘導するか。

以下に上げた2冊の小説(寓話)は、これをテーマにした小説です。どちらも寓話で、支配者に都合のいいように先導される群集の姿が皮肉たっぷりに描かれています。特に、「カエルの楽園」は、領土が戦略される中、戦争するか、平和を貫くか、国民投票を問う作品で、日本国民を揶揄しているので、合わせて読んでみることをおすすめします。

また、誘導される群集について、そのメカニズムなどにいての王道書と言えば、ル・ボン 「群集心理」が有名。

また、渡瀬裕哉さんの「なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか」も、知識人やマスメディアなど、賢い人が群衆を誘導する手口、そして、群集がそれに同調してしまうメカニズムなどが、解説されていて、今、この世の中で起きていることを俯瞰して冷静に見るために重要なことを教えてくれます。