【書評】武士道(新渡戸稲造 著)(★5)~日本人の魂がココにある

新渡戸稲造が明治時代に諸外国から受けた当時に日本人の誤解を解くために、ギリシャの哲学者やドイツの哲学者などの言葉を引用しながら、日本の武士道の精神をわかりやすく解説した著書「武士道」。米国で1900年に英語の本として出版し、その後、世界的な大ベストセラーになりました。

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・日本人の強靭な精神を生んだ武士道の本質
・武士は何を学びどう己を磨いてきたのか
・時代に左右されない根本的な日本の道徳がいかに受け継がれてきたか
・武士制度が廃止された明治以降、武士道はどこに向かうのか

武士道を通じて、日本とはいかなる国なのかが非常に明快で、令和の時代の我々が読んでも日本人に受け脈々と受け継がれる「血」「道徳心」を感じさせる名著。

当時の米国大統領セオドア・ルーズベルトが手に入れるや否や徹夜で読破した理由が本書を読めばわかります。

旧5000円札(新渡戸稲造) 画像:Wikipedia
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武士道とは

武士道は「日本人の魂」。「忍耐強さ」「連帯感」「誠実さ」「他人に対する思いやり」といった精神で、以下の7つで構成されています。

武士道とは

義 :さむらいの行動規範の中で最も拘束力の強い掟
勇 :勇敢さと忍耐力
仁 :愛、寛容、思いやり、同情、憐み。いつの世にあっても最高の美徳であるもの
礼 :人に対する思いやりの心・同情心が表に現れたもの
誠 :正直さ、誠実さ。礼儀正しさも「誠」が伴わなければ単なる茶番
誉 :名誉。個人の尊厳と価値を強く自覚する気持ちから生まれるもの
忠義:何のために死ねるか。最も最優先する主君に対する忠誠心

著書「武士道」ではこれらが1章ごとに、非常に心を打つ文章で解説されています。サムライがいなくなった現代人でも日本人であることが誇りに思われるような「日本の道徳」がそこにはあります。

武士が大事にした「智」

新渡戸稲造:武士道の精神

武士の教育で一番の目的とされたのは「人格の形成」です。

中でも「智」「仁」「勇」、すなわち、叡智、慈愛、勇気が武士道の枠組みを支える3つの柱となっています。

低俗な知識とされた「数の知識」

ここでヨーロッパとは異なる点は、「智」はあくまで「叡智」を指し、「知識」は付随的な位置付けでしかないという点です。いわゆる「道徳」の方が大事とされ、福沢諭吉が学問のすすめで重要とした「金銭」「数の知識」はさむらいにとっては不浄なものとし、低く評価された点です。

「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、武士の清貧や体面を重んじる気風がよくわかる言葉です。(今では「単なるやせ我慢」「見栄っ張り」といわれてしまうでしょうが)

結果、数の知識は、軍勢を集めたり、恩賞や知行の分配をするのに不可欠であるものの、金勘定は身分が低い者(多くの藩においては財政は下級武士や僧侶)が担当することとなりました。道理をわきまえた武士ならば、金がなければ軍資金すらまかなえないことはわかりきったことでしたが、それでも金銭を大事にするのを美徳だとするまでには至らなかったのです。

この結果、江戸時代までは「金銭的腐敗」からある意味守られていました。しかし、明治時代になるとそのこの気風は薄れ、「拝金主義がはびころうとしている。その早さのなんとすさまじいこと。」と、稲造は明治の金銭的腐敗を憂いています。

日本人の自制心

日本人は他国に比べ、「我慢強く、耐え忍ぶ気質」があると言われます。これも、武士道の「忍耐(勇)」と「仁」が相まって、自分の感情を表に出さない平常な精神が養われたからです。

自分の気持ちや感情――特に宗教的なもの――を、ぺらぺらと包み隠さずにしゃべってしまうような人は、私たち日本人からすると、思慮に欠けているか、慎み深さに欠けていることを自から明言しているようなものと感じる傾向があります。つまり、感情が動いても欧米人のように素直に表現しないのも、武士道からくる「心の思いを隠す技」の所以なのです。

この、自制心の理想的な姿は「平常心」ですが、これをよく表す日本独自の制度が「自害」と「復讐」なのです。

「切腹」と「敵討ち」という制度

新渡戸稲造:武士道と切腹・自害

腹部を切り裂いて自らの命を奪う「切腹」。現代人としては、理解に苦しむ制度です。

しかし、一方で、歴史小説・時代劇などを通じて切腹は感動悲話と結びついているため、「嫌悪感」「愚かな行為」というよりも、「美徳」「気高い行為」という認識があります。

では、なぜ「腹」を切るのか?なぜ、もっと確実に死ねると思われる「首」や「心臓」ではないのか?

これには、「腹には魂や感情が宿っている」という古くからの信念があったからとされています。

なお、切腹の弊害として、切腹が美化されたことによって、当然のごとく、正当な理由がないまま切腹に及ぶケースも見られました。確かに、第二次世界大戦終戦においても、「国のため」「敵兵の捕虜になるなど不名誉」といって、日本国のためにと多くの命が奪われました。武士道においても同じく、不名誉の挽回するために「切腹」「自害」行われたとは言え、あまりに命が軽んじた行為であったと指摘されています。

ただ、「自殺」と違うのは、切腹には、狂気や精神異常、病的興奮のかけらもなく、それどころかきちんとやり遂げるには、最大限の冷静さが必要だった点です。腹をかき切ってまで、美しい姿(前のめりの前傾姿勢)で死ぬことにまでこだわった精神は敬意に値します。

武士道の究極の理想は「平和」

武士は幼い時から、危険な「刀」を所持しました。現代人の感覚では物騒極まりないのですが、ここにも、武士道の道徳が息づいています。

というのも、武士道では、あくまで刀は正しく使えと教え、みだりに使うことを強く戒め、忌み嫌っていたからです。

必要もないのに刀を振りかざす者は腰抜けか、虚勢を張る者の行い。「負けるが勝ち」ということわざがありますが、これは武士道でいうなら「最上の勝利は、血を流すことなく勝つことだ」。「孫子の兵法」でも戦わずして勝つことの重要さは説かれていますが、武士道においても、究極の理想は平和だったのです。

武士道に欠けていたもの

封建制度の終焉とともに終わりを告げた「武士」。しかし、武士道が残した財産は今でも日本に息づいています。日本のどこに行っても、誰もが礼儀正しいのもその一つでしょう。

しかし、日本人ならではの欠点・短所もあり、これらが武士道にも原因があったと新渡戸稲造は指摘します。

その一つが、日本人の感じやすく、激しやすい性格です。これは武士道の名誉を重んずる気風から来ていると分析します。また、日本人がうぬぼれやすいところがあるとするならば、それも、名誉心が悪い方向に働いてしまった一つの現れです。

また、人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする「哲学的思考」にも欠けています。よって、そのため、哲学が発達したヨーロッパに対し、日本人から有名な哲学者が育っていません。これも、武士道のカリキュラムに哲学的な思考に関する訓練がないことに起因すると稲造は分析しています。

武士道のこれから

武士道は独自の道徳を形成しました。

しかし、稲造は、歴史から学ぶなら「軍人の美徳の上に築かれた国家は永続しない」と分析したうえで、
①孔子(儒教)の説く「仁」
②仏教の教えである「慈悲」
にプラスし、民主化が進む今後の日本に必要なのは、
③キリスト教の「愛」
であり、道徳体系も変わっていくと指摘します。

武士はニュアンスは異なれど「軍人」ですから、それの基盤を支える「武士道」も独立した道徳体型としては姿を消すと分析しています。しかし、「その影響力が地上から消え去ることはないはず」「武勇と名誉を育てる場は解体されても、その残骸の中でその光は輝きを失わないだろう」と、武士道を締めくくっています。

最後に

今回は新渡戸稲造の「武士道」の、優れた考えを要約しました。

確かに、武士道でいうところの行き過ぎた「武勇と名誉」は重視されなくなりましたが、武士道には「日本人が大事にしたい精神」が多数残ります。

今の時代は、「個」が重視される時代となり、「国」や「組織(会社)」などを大事にする気風はひどく薄れました。しかし、今年2019年のの流行語大賞「ONE TEAM(ワンチーム)」であったように、一致団結することで生まれる「パワー」は偉大です。もっと日本人である自覚を持ち、「日本人であることに誇りを持つ」ためにも、多くの人に「武士道」を読んでほしい。そう思ってやみません。

マンガなら読めるという方は、こちらを読んでみてください。武士道のエッセンスは学べます。