病気なったとき実感する「健康の大切さ」。その時意識されるのは、「病気を治すこと」「症状を和らげること」です。
しかし、老いも若きも、健康診断で数値的に正常でも、「なんだか慢性的に不調だ」と感じることはありませんか?
本来の健康とは、数値が正常、痛みがないことではありません。健康で大事なのは、その人自身が「体も心も社会的関係も満たされている」と実感できることです。
健康は、自分を知ることから始まる―。
稲葉俊郎さんの「からだとこころの健康学」は、西洋医学と東洋医学の「健康のとらえ方」の違い明らかにしたうえで、「からだ・こころ・あたま」を健康にするためにに大事な基本を教えてくれる一冊です。人生を幸せに生きるために大事な教えが詰まっています。
今回は本書からの学びを紹介します。
「健康学」とは何か
私たちは病気になると医者・病院に行き、痛みをとってもらおうとします。これは、「西洋医学」による医療です。
西洋医学は「医療学」、東洋医学は「健康学」
西洋医学では、「健康=異常がないこと」であり、短期間で状態を元に戻そうと試みます。しかし、体温、血液検査をはじめ数値的には問題がなくとも、なんとなく・慢性的に調子が悪いということがよくあります。西洋医療では、慢性的な不調は「原因不明」とされがちです。
一方、東洋医学では、心身一如、「こころ」と「からだ」は分けて考えることはできないという前提に立ち、長期視点で病気と対峙します。東洋思想をベースとする、座禅、瞑想なども「からだ」と「こころ」の両面を整えることを目指します。
西洋医学は「医療学」であるのに対し、東洋医学は「健康学」。健康でいるためには、因果論で原因を捉える西洋医学だけではなく、人間のからだを全体でとらえる東洋医学も大事です。
乖離した「からだ・こころ」と「あたま」
健康には「からだ」と「こころ」の両面が大事ですが、この2つの素直な反応・悲鳴を邪魔したり、気づかないふりをしたりするのが「あたま」です。
人間は脳を発達させ、文明・経済を発達させました。この時起こったのが、「からだ」の一部である「あたま」の肥大化です。「あたま」は理屈・損得・善悪・効率で物事を考え、「欲望(偽のこころ)」を生み出しました。
結果、私たちは、「からだ」や「こころ」から生まれる自然な「欲求」と、「あたま」が作り出した「欲望(偽のこころ)」の区別できなくなったことで、「からだ・こころ」と「あたま」の間には大きな隔たりが生てしまったのです。このことが、現代の不調に大きく関与しています。
「あたま」由来の言葉 | 〇〇しなければいけない(mustやshould) |
「からだ」「こころ」由来の感情 | 〇〇したい(want to) |
生存に大事なのは「からだ」「こころ」の声
私たちは、「からだ」と「こころ」の働きよりも「あたま」の働きのほうが高度ととらえています。しかし、それは間違いです。
生命にとっては、生きる、生き続ける、生き延びるというのが至上命題です。この目的達成のためには、「からだ」や「こころ」の瞬時の判断以上に高度なものはありません。
「あたま」は噓をつけても、「からだ」や「こころ」は噓をつくことができません。人間の感情は、悲しみや喜びといった感情のためだけでなく、「その人自身を守るため」のものでもあるのです。
「からだ」の基本
私たちは、体の調子が悪いと、調子が悪い部分のみの症状を改善しようと務めます。しかし、「部分」だけ見ることは問題です。
「からだ」のシグナル
人間は、約60兆個の細胞からできている多細胞生物で、細胞が臓器・器官を構成し、個々が協力しながらからだ全体を維持しています。これら、「連携」がうまくいかないときに、「からだ」から何らかのシグナルが発信され、それが「症状」「病」として現れます。故、調子が悪いと感じる部分のみに問題があるとは限りません。
まず自分自身の「からだ」を知る
私たちは病気になると、「あたま」を納得させるために病気の情報を収集します。しかも、都合のいいことのみ信じがちです。さらに、「あたま」の支配が過ぎると、「からだ」の声を素直に聞くこともなく、「あたま」でベターと考えたことを実践する傾向があります。
「健康」で大切なことは、まず自分自身の「からだ」のことをしっかり知ることー。「からだ」のシグナルを感じ、「からだ」との対話することです。これが「健康の第一歩」です。
「からだ」のシグナルを聞くには
からだの具合を「体温が37度」「喉が痛い」など、数値やいくつかのキーワードだけで判断するのは、まさに「あたま」だけの判断です。「からだ」の声を聞くには、「感覚」を大事にする必要があります。
「あたま」 言語の世界 | ・異なるものを同じ特徴でグループに分類して把握 ・体温をはじめとする「数値」などで判断 |
「からだ」 感覚の世界 | ・「こういう感じがする」という違いを大事にする(症状として分類しない) ・触って、見て、嗅覚や聴覚も総動員して、違いを理解する |
「絵画鑑賞」では、「絵画のうんちく」(作家・時代背景 など)を知るより、「感性」を大事にして作品そのものを味わうことの方が大事です。医療においても「感覚」が大事です。
「医師のアドバイス」を聞くことも大事ですが、もっと「自分のからだ感覚」を大事にすべきです。これが、「自力の養い力」を高めます。
ここで言う「自力」とは、単に、「自分のことは自分でする」という意味ではありません。「自分の資質・素質を知る・発見する」という意味も含んでいます。ここでもキーワードは「違い」です。
「からだ」と「こころ」のつながり
では、「からだ」と「こころ」はどのようにつながっているのでしょうか。
風邪一つで、気分は変わる
上記は、ロシアの文豪にして意思でもあったチェーホフの言葉で、「からだ」と「ことば」の関係を非常によく表しています。
ちょっと頭痛がするだけで、今この瞬間、楽しさは感じられません。風邪なら長くても1週間で改善しますが、これが、すぐに治らない病気なら… まさに、病気で世界観は変わり、気持ちで人生は変わります。
「からだ」の構造
「からだ」は、大きく「植物性器官」と「動物性器官」の2つに分けられます。そして、2つバランスが壊れないように調整しているのが「自律神経」です。
植物性器官 | ・いのちの根源を担当。無意識に動く ・いのちを 粛々と管理 ・いのちの存続にとって重要な器官なので、からだの内側にある 吸収系(消化系、呼吸系):取り入れる 循環系(血液系、脈管系):配る 排出系(泌尿系、生殖系):排出す |
動物性器官 | ・動物性器官の補助、意識的に動く ・覚醒中、神経系の代表「あたま」が指令を送り、からだの活動を管理 受容系(感覚系):情報を受け取る 伝達系(神経系):内部で伝える 実施系(運動系):外へ表現する |
自律神経 | ・2つの期間の調整役 ・交感神経、副交感神経で体のバランスを保つ ・「あたま」由来の動物原理(交感神経)が過剰になりすぎると、 植物原理(副交感神経)が妨害されてしまうことがある |
ここでのキーワードは「無意識」です。
「こころ」の構造
次は「こころ」です。「こころ」の捉え方は、西洋と東洋とで全く異なります。
西洋 | ・「自我(エゴ)」という意識活動を中心に「わたし」が形成 ・意識の世界を中心として無意識の世界を探る |
東洋 | ・「自己(セルフ)」という意識活動と無意識活動の中心に、「わたし」が形成 ・意識と無意識は一体。意識は層のように積み重なって相互に連関しあう。 表層の意識だけでなく、真相のこころの動きにも目を向ける |
厄介な「あたま」と上手に付き合うには
上述した通り、「からだ」にとって、「こころ」以上に厄介なのが「あたま」で、偽の心が、「からだ」や「こころ」の悲鳴にストッパーをかけてしまいます。
では、「あたま」とどのように付き合えばいいのか。簡単なのは、「快・不快の感覚に真摯になる」ことです。そして、「からだ」で感じてみることです。
人が生まれてから最初に学ぶ 情緒 は「不快」です。赤ちゃんは、自分一人では何もできません。ただできるのが「不快のアピール」であり、不快だと泣いてママを呼びます。はじめて「快」がわかるのが生後3か月ごろです。
「健康」のためにできること
健康に大事なのは、「からだ」聞くこと
ここまでをいったんまとめます。
「健康」にとって重要なことは、短期的な結果を重視する「あたま」の声に押され続けるのではなく、長期的な展望を持つ「からだ」へと判断を委ね、実際に「からだ」を使ってみることです。
自分の欲求が分からなくなったら、「からだ」が求めているのかどうか確認しましょう。迷ったら、「からだ」「こころ」に問うてみる&判断を委ねてみる。そうすれば、より自然に則した判断ができることがあります。
「治る」と「治す」
私たちは、病気になったときに、西洋医学的な「治す」というアプローチをとりますが、いのちには「治る力=自然治癒力」が備わっています。
自然には「しぜん」「じねん」の2つの読み方があります。「じねん」とは、本来的なあるがままのあり方を指す言葉です。
私たちは都会から自然に帰ると健康になりますが、人と「自然 しぜん」は本来一体のものです。故、「自然 しぜん」に身を置くことで「自然 じねん」としての「おのずから治る」プロセスが発動して、「自然治癒力」は高まります。
一晩寝たら体調が回復するのも「自然治癒力」です。「からだ」に違和感を感じたら、「あたま」でその声を無視せず、まずは、休みましょう。「他力」=医者・薬への依存は、その次です。
違和感を大事にする・表現する
違和感とは、自分にとって大切な何かがズレているという感覚です。「からだ」は知っているけど「あたま」が認識できないからこそ、違和感が生まれます。つまり、「違和感」は大事であり、無視してはいけません。
違和感を感じたときは、それを言葉として表現してみることも大事です。
お腹が痛い時も、臓器の存在感を確かめるように痛みがある部分に手を当ててみる。そして、どんな痛みか、「ズキズキ」「ズンズン」など言葉で表現してみる。このような行為を体に違和感を感じる度に行えば、「からだ」の声に敏感になれ、「あたま」で鈍感になった身体感覚を取り戻せます。
なお、「本を読むとき」も違和感は非常に大事です。そこに「学びのヒント」があります。
「健康」のための「死」
人間は、死に瀕したり、危ない経験をした時、「生きている実感」をより強く覚えます。綱引きのように「死」の強い力で引っ張られたとき、私たちはそれに対抗する力としての「生」のエネルギーを強く感じるのです。
「健康」だけでなく「死」に意識を向けることは大事です。
だから、「死」を自分事としてとらえ、「今日を後悔なく生きる」と日々思って生活している人と、ただ漫然と生きている人とでは、「生き方」「生きる態度」に大きな違いが出ます。後悔のない生き方をするためにも、「死」についても考えましょう。
以下、「死」を考えるに当たって、参考になる記事を挙げておきます。
最後に
今回は、稲葉俊郎さんの「からだとこころの健康学」からの学びを紹介しました。
本書で述べられているように、現代医療は「病気学」をベースとしていますが、日々の暮らしで大事なのは「健康学」であり、よい習慣の実践です。健康を「病気を治す」ことに狭く限定して考えるのではなく、「人間のからだ・こころ・いのちの知恵」ととらえれば、より健康的に生きられます。
本記事で紹介した以外にも、人生を幸せに生きるために大事な教えが詰まっています。平素な言葉で書かれているのでサラサラと読めます。、是非、ご自身で読んで、「健康」「生き方」について、考えてみてください。