【書評/要約】「自分」の壁(養老孟司 著)(★4) 自分探しはムダ!自分を育てるのは自分。本物の自信を育てよ。

家族との壁、友達との壁、会社内での壁、世間との壁、自分の努力で超えられない壁…

人生の中で、「壁」を感じて、不安になったり、へこんだりした経験は誰しもあるはずです。

自分探し」という言葉がありますが、自分とは何なのか? そもそも、自分なんてものがあるのか?

自分自身を考える、自分を育てるに当たって、様々なヒントを与えてくれるのが、養老孟子さんのバカの壁シリーズの一冊『「自分」の壁』です。

「自分探し」なんてムダなこと。「本当の自分」を探すよりも、「本物の自信」を育てたほうがいいというのが養老さんの結論です。その理由は、そして、どう自信を育てたらいいのか。

今回は、「自分」の壁』からの学びを紹介します。

[スポンサーリンク]

自分よりも他人を知れ

自分よりも他人を知れ:【書評/要約】「自分」の壁(養老孟司 著)

人は自分が最も大事です。現代は、この「自分が大事」とする傾向が強くなっていると養老さんは分析します。

「自分」とは何なのか

現代社会では「自分」を重要視する傾向が強くなっています。それは、欧米からの影響で、個々人の「個性」「独創性」が重視されるからです。

そのため、自分の個性、他人と違うオリジナリティを求めて、「自分探し」をする人も多くなりました。

しかし、そもそも「自分」とは一体何なのでしょうか。

私たちは、自分のことを形ある個体だと思っています。しかし、脳の中には、「自己の領域」を決めている部位があり、この部位が壊れてしまうと、液体のように自分と他を分ける境目が分からなくなってしまうのだとか。言い換えると「世界と一体化」したような感じになるそうです。

自分を隔てるもの

自分と他の境界=壁を感じるに当たって考えてみたいのが、「口の中にあるツバは汚くないのに、どうして外に吐き出したツバは汚い」と感じるのかです。

1秒前まで口に入っていて平気だったものが、吐き出したものを、もう一度飲めと言われるとできない。これは、人が脳内で、自分の内部と外部を線引きしているからです。

一方で、なにかを意識的に一所懸命やっている時、自分を忘れてしまうことがありませんか?これは、「自分」が意識から外れているからです。

このように考えると「自分」というものは、かなりあいまいな存在であり、その上にある「自己の確立」だの「個性の発揮」って一体???となってきます。

自己・個性が低いのは日本の文化

そもそも日本人は、欧米人に対して、「個性が低い国民」です。現代社会では「個性がない」はダメなこととされますが、そもそも、個性の発達は、文化によるところが大きい。

「生態系」という言葉がありますが、それは地球上のあらゆる生物が、いろいろな形で依存しあっていることです。日本人はこの考えがしっくり理解できますが、アメリカ人は共生が好きではありません。「共生なんて嫌だ、俺のいうことを聞け」というのが文化です。ここでは、個性を持って、確固とした「自分」を確立して、独立して生きることが求められます。

一方、日本では、和・共生を大事とし、周囲の人の顔色を読み、協調して生きていくことがよしとされました。このような文化が生まれたのも、その方が都合がよかったから=生きやすかったからです。

日本人が顔色を読むのがうまいことは、文化面からだけでなく、生物学的にも明らかになっており、顔色が悪い=青白いを感じ取る生物学的能力にも日本人は長けています。

ここまでをまとめると、日本人は、そもそも、個性が薄く、「自分探し」をしても見つけにくい。「自分探しに」に苦悩する人が多いのは、そもそも、日本人の価値観・感性に合っていないからなのです。

本当の自分は最後に残る

本当の自分は最後に残る:【書評/要約】「自分」の壁(養老孟司 著)

前節では、日本では、生物学的にも、社会的にも、日本では、「自分」を立てることが、そう重要ではなかった現実を紹介しました。では、「本当の自分」とは何なのでしょうか?

オリジナリティって?

自分探しはわざわざするものではない。何をされようが、世間に押しつぶされようが、つぶれないのが「個性」だからです。

誰しも世間と折り合えない部分があります。結果、周りと衝突することもあるでしょう。そこで勝つか/負けるかは別として、それでも残った自分が「本当の自分」のはずです。これこそ、その人の「個性」「オリジナリティ」です。

しかし、現代世の中では、とかく「オリジナリティ」を求めます。結果、自分のオリジナリティをわざわざ作ろうとします。しかし、それは本物ではない。「これが自分の個性だ!オリジナリティだ」といくら本人が叫んだところで、いずれ化けの皮ははがれることになるでしょう。

自信は「自分」で育てるもの

本当の自分は最後に残る:【書評/要約】「自分」の壁(養老孟司 著)

養老さんは、自分探しより「本物の自信を育てよ!」とアドバイスします。

脳は楽をしたがる

人間の脳は、つい楽をしようとします。「脳が楽する」とは、現実を単純化、一般化して考えようとする、ということです。情報をメタ化してしまうのです。

事実、政治の世界でも、小泉純一郎政権のように、単純なメッセージをアピールした方が、考えない民衆にとってはわかりやすくて支持されます。これは、新聞の記事であれ、SNSだって同じです。特に、日本人は、文化として同調圧力が強いので、何かのきっかけで、世論が一方向に傾きます。

昨今の短い情報で発信されるSNSは、脳にとっては、非常にラクチンです。だから、SNSの問題も指摘されながらも、結局のところ、皆がそれを好むのです。

技術進歩は人が「楽」を求めた結果であり、楽を求めることは必要です。しかし、何事にもいい面と悪い面、表と裏があることは知っておくべきです。

楽な情報ばかりを仕入れすぎると…

楽な情報ばかりを仕入れすぎるとどうなるか―――。自分の考えがなくなり、だんだん他人のものに引っ張られてしまうことです。自分で考えなくなり、自分のアイデアも枯渇します。

考えることなく情報収集に走り、それを鵜呑みにしていると、「おやっ」と思うセンサーが働かなくなり、疑問を調べてみるということもなくなっていきます。つじつまが合っていない情報が入ってきても、それに違和感を感じられなくなってしまうのです。

「何が解くべき問題なのか」を自分で考え、それを自分で解いていく。 確かにこれは厄介であり、苦しみもあります。しかし、それが生きているということです。

仕事とは、問題を解いていくこと

仕事とは、問題を解いていくことです。また、仕事は、相手があって始まるものであり、本質的に「個」をつっぱるものではありません。仕事にも、個性が問われる時代ですが、あくまで、人のためになって、はじめて「お金」が受け取れます。

自信を育てるのは自分

仕事でもプライベートでも、目の前に問題が発生し、何らかの壁に当たってしまったときに、そこから逃げていてばかりいるとどうなるか―――。

その場では回避できても、結局は、また同様の問題にぶつかって、立ち往生することになります。挑戦と失敗があってはじめて、「こういうときは、こうすればいい」という常識が身についていくからです。

人間関係・仕事など、世間とのかかわりあいの中で生じる問題は、どこかで自分のこれまでやってきたことのツケである場合が多いものです。「自分は何も悪くないのに、厄介ごとが次々に襲ってくる」と本人は思っていても、周りから見れば、その人自身が厄介ごとを招いている、ということはよくあります。しかし、逃げてきた人には、これがわかりません。

なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗する。これの繰り返し―――。そうやって自分で育ててきた感覚が「自信」であり、自分の揺るがない個性・オリジナリティにつながっていく。養老さんは、こう、アドバイスを締めくくります。

最後に

今回は、養老孟子さんの著書『「自分」の壁』からの学びを紹介しました。

本書に限らず、「バカの壁」シリーズは、私たちにいろいろな気づきを与えてくれます。合わせて読んで損はありません。

また、以下の本も、「自分の壁=他人とのかかわりあい」を考えるうえで、参考になります。

最近読んだ、みうらじゅんさんの「マイ仏教」でも、全く違う論法で、主張ポイントが異なりますが、「自分探し」よりやるべきことがあると論じています。こちらも、いろいろと学びの多い本です。合わせて読んでみてはいかがでしょうか。