【書評/要約】地球にちりばめられて(多和田葉子 著)(★4) 国より個人。国や言語の"境界"が溶け始めた世界で、生きる人々を描く小説

突然、海外出張・旅行・留学中に故郷の島国 日本が消滅してしまったら… あなたは、どう生きていきますか?生きていく自信がありますか?

今回紹介する、『犬婿入り』で芥川賞受賞歴を持つ 作家 多和田葉子さんの小説『地球にちりばめられて』は、そんな、一見、ディストピアな世界を生きる人々の物語。

本小説の設定の面白さは、留学中に帰る祖国をを失ったHirukoに、「人生どうやって生きていったらいいんだ…」と言ったような悲壮感がまるでないこと。国が消滅したことを受け入れ、独自の言語を開発する。一方で、母国語を話す人を求めて旅をする。そんな生き方に、激動の時代を生きるヒントがあるように思います。

世界のグローバル化は進み、メタバースの中では国や母国語も関係なく、境界(ボーダー)は少しずつ溶け始めていると言えます。そんな、境界が溶けた世界で生きる人にとっては、大事なのは「国より個人」。そして、孤独に陥らずに生き続けるために、相手とどう心を通わせるか。

今回は、多和田葉子さんの小説『地球にちりばめられて』のあらすじと、感想・書評をまとめます。

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地球にちりばめられて:あらすじ

【書評/要約】地球にちりばめられて(多和田葉子 著):あらすじ

留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語〈パンスカ〉をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る――。
――Amazon解説

私は、ディストピア小説が好きです。それは、もしかしたら、近未来にありうるかもしれないリスクを知り、その時、いかに対処するか、考える機会を与えてくれるからです。

小説『地球にちりばめられて』はディストピア小説ではありません。しかし、読了中・読了後に、こんな世界・社会が来たらどうしたらいいのか?と、考えさせる小説でした。

日本人は難民経験がありませんが、世界を見渡せば、誰もが移民になりえる時代です。そんな時代でも、たくましく前を向いて生きて行けるか?生存能力高く生きるためのヒントを本書は与えてくれます。

地球にちりばめられて:感想&言葉メモ

【書評/要約】地球にちりばめられて(多和田葉子 著):感想

ここからは、小説『地球にちりばめられて』の感想です。いろいろ読みながら付箋をしましたが、その中から4点を紹介します。

言葉は変化するもの

本小説の最も大きなテーマは「言葉」です。本書を読みながら思い出したのが飯間 浩明さんの本『つまずきやすい日本語』です。

本書の中で著者は、ことばは、変化することこそが本質。変化をむりやり止めると、ことばは死んでしまう。と述べています。

時代・情勢が変わり、母国の基盤となる「国」とその「歴史」が変われば、価値観も変り、言葉も変わる。

『地球にちりばめられて』はそれをストーリーで教えてくれます。

私たちの持つナショナリズム

たとえ海の底に沈んだとしてもですね、一つの帝国が世界史から完全に消えてしまうことはなく、世代を超えて記憶に残り、復興を目指す人たちが出てきます。しかし復興という言葉を聞いて、みなさんは何か恐ろしさを感じませんか。壊れたものを元に戻そうとするのは立派なことです。でも復興という言葉は、どこかひっかかりませんか。

「復興」の背景にあるもの、それは、「ナショナリズム」。ナショナリズムとは、国家や国民に対する強い忠誠心や愛国心を指す概念です。文化、言語、歴史、宗教など、国家や国民の結束や独自性を慮る思想です。

日常生活において、多くの人はナショナリズムを意識していませんが、実際には、小さい時からの刷り込みで、隣国中国や韓国を敵対視する人は多いですし、一方で、広島・長崎に原爆を投下されながら、米国に対して好意的な感情を持っていたりします。これも「日本人的思考」です。

今、日本では円の価値が下がり、人口減少でさらなる国力の低下も避けられない状況です。しかし、「日本は他国よりも優秀な国だ」という、えこひいき目線は捨てきれるものではありません。

本小説では、ナショナリズムを「時代遅れの思想」として、ストーリーが展開していきます。太平洋戦争までの「天皇万歳」というナショナリズムがなくなったように、ボーダーレスがさらに進むと、ナショナリズムを古臭いと考える人は増えるのかもしれません。一方で、「人間は何かに所属したい生き物」なので、なくなることもないのでしょうね。

出る杭が大事

わたしの悪いところは、何もできないくせに「こんな事をやったらいいんじゃないかしら」という話が上手いことだ。存在しないものに形を与え、色を塗り、それこそがみんなが求めている未来だ、と信じさせることができる。このような能力は、わたしの生まれ育った国ではあまり高く評価されていなかった。むしろ口数の少ない勤勉な人が信頼された。
(略)
任せてもらえればこういう新しいこともできる、とうるさく提案を出し続ける若い人は、言葉のトンカチで頭のてっぺんを叩かれた。たしか、「出る杭は打たれる」という 諺 があって、出る杭を打つ腕を鍛えるために「もぐら叩き」というゲームが開発されたことさえあった。ところが、ヨーロッパではわたしが話し始めると、もぐら叩きされるどころか、聞き手の目が輝き始め、もっと話してください、というメッセージが視線に乗ってどんどん送られてくる。

なんだか、考えさせられる文章ですね。Hirukoはこのアイデア提案で、運がよくなければ簡単に「不法滞在の外国人」になってしまう時代に、仕事にありつき、ビザを取得します。

これからの時代、益々、「自分の能力を勘違いさせる力」は大事だし、アイデア・逞しさが大事です。

万事は流動する

国というのが仮想のものだから線引きの基準によっていくらでも曖昧になる。まずは国境線で区切ってから考えよう、という官僚的な発想が先に立っている。
しかし人は動くのだ。国境線の内側にじっとしてはいない。若者は世界を見ようという好奇心からバックパック一つで旅に出るし、内戦の国からは生命と生活を守るために難民が流出する。
(略)
人が国境に囚われないように、言葉も国境など無視して滲み出す。

人の動きは止まらない。世界も止まってはいない。時代の流れに合わせて、万事、流動する。流れて変化する。

私は、変化しながら生きたい。

最後に

今回は、多和田葉子さんの小説『地球にちりばめられて』のあらすじと、感想を紹介しました。

言葉・国境、そして、国境崩壊により失われていく歴史・価値観に思いを馳せつつ読んでみると、人それぞれ、様々な気づきがあると思います。是非、本小説を手に取って、読んでみてください。