「多様性・ダイバーシティが大切」。現代社会でよく聞くフレーズです。
多様性とは、集団において年齢、性別、人種、宗教、趣味嗜好などさまざまな属性の人が集まった状態のことです。そして、この多様性を大事に組織化すること、人と関係性を築くことが企業・社会をよくすると叫ばれています。
しかし、朝井リョウさんの小説『正欲』を読むと、我々多くの人は、自分が想像できる”多様性”しか受け入れていないこと、そしてそこからこぼれた人たちを変人・近寄ってはいけない人として排除していることに気づかされます。
表面的には「特殊な性的指向」における多様性を扱いながら、非常に深い問題を投げかける作品です。
今回は、朝井リョウさんの小説『正欲』の簡単なあらすじと感想をまとめます。
目次
正欲:あらすじ
2023年11月10日(金)、映画『正欲』が公開されます。上記はその映画のショートムービーです。
監督・編集/岸善幸 脚本/港岳彦 音楽/岩代太郎
出演/稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香
秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな。
息子が不登校になった検事・啓喜
田舎の寝具売り場で働く契約社員・夏月
横浜の食品会社で働く、夏月の同級生・佳通
事件をきっかけに男性恐怖症になった女子大生・八重子
八重子が初めて恋心を抱いたイケメン大学生・大也
ある人の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。
だがその繋がりは、”多様性を尊重する時代"にとって、ひどく不都合なものだった。
この世界で生きていくために、手を組みませんか。
読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説。
―Amazon解説文に一部加筆
夏月・佳通・大也の3人には、誰にも言えない共通点を持っていました。それは、異性には全く関心がなく、「噴出する水」「きらめく水」に性的興奮を覚えるという、性的マイノリティには 到底理解されない「欲望」です。
理解されない「欲望」を持つが故に、誰ともつながれない。でも、世に理解されないからこそ、この世で生きていくために、誰かとつながり、手を取り合いたい。
そんな「思い」思いを持つ彼らがつながる。しかし、ある事件が起こったことで、さらに3人は苦しむことになるのです。
正欲:感想
いろいろと考えさせられる作品です。其の中かからいくつか取り上げ、感想をまとめてみます。
多様性の細分化で、掬いきれないマイノリティ
多様性が大事と言われます。私も「多様性の科学」を読んでその多様性の重要性を理解したつもりでいました。
しかし、『正欲』を読むと、「多様性」として認知され、世に受け入れられるのは、そのごく一部に過ぎないということに気づかされます。
「マイノリティ」として認知されているのはごく一部、つまり、「マイノリティ」という言葉では掬いきれない人たちが存在します。そういうあぶれてしまった人たちを、世間=マジョリティはどう位置付けるかといえば、「変人」「変態」「近寄ってはいけない人」「排除したい人」です。
人間は「新しいもの」「未知なもの」に対して、許容力がありません。「新しい考え」をなかなか受け入れることができように、「未知な指向」を持つ人に出会ったとき、人はその人を拒否します。
だから、彼らは、自分が変人だと思われないように、「本当の自分」を隠して生きざるを得ません。しかし、一方で、人は「つながりを大事にする」生き物です。危険を冒しても、同じような欲望を持つ人たちと”それ”を楽しみ、共感したいと考えるのです。
好きなものを「好き」といえることの大切さ
好きなものを「好き」と言えないこと、「好き」を通じて人と共感できない人生が如何につらいか…
私も、「本が好き」「旅行が好き」「サウナが好き」「ジムが好き」と、ことあるごとに当ブログに綴っています。興味のない人にはゴミ記事です。しかし、当の本人にとってはとても大事であり、それが「幸せの源泉」です。
『正欲』の登場人物のように、変人だと思われるが故、「自分の好き」を語れないとしたら…人生の楽しさは大きく失われることは容易に想像がつきます。
主人公で高校生の山下あかりは、「逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ」と語り、好きなものを「好き」と全面に出し、人生の時間もお金も全力投入して生きています。
学校の成績も、アルバイトも、なにをしてもうまくいかず、世の中から孤立していても、彼女には唯一の「心の救い=推しアイドル」がいるのです。それは彼女にとっての幸せです。
不幸なのは、このアイドルが人を殴って炎上してしまったことで、あかりの人生も徐々に変わっていくことですが… 「好きを共有」できることの意味・意義を全面で感じさせられる作品です。
2つの作品に感じた「共感の差」
「推し、燃ゆ」のあかりの“推し”は、自分が、生まれてこの方、“熱狂的な推し”を経験したことがなくても、共感しやすい。
一方、『正欲』」の特殊な性的指向を持つ登場人物たちに対してはどうか。共感とはちょっと違う。「そんな世界があることはなんとなくわかる。」と言う程度の共感です。
この、共感の差はなんなのだろう?と考えてみると、やっぱりそこにあるのは「マジョリティ」「マイノリティー(の細分化に掬われるか、こぼれるか)」ではないかと、考えながら読んでいると….
想像できる”多様性”だけ礼賛していた「自分」
自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉のはずだろ。
上記は、本書の終盤に登場するフレーズ。想像できる”多様性”だけ礼賛して「ダイバーシティは大事だ」と思っている私に、「言葉の鉄槌」が振り下ろされます。
はい。おっしゃる通りでした。ごめんなさい。
マイノリティを都合よく理解した気持ちになっていました。私は知らないうちに、人を気づ付けいるのかもしれないと…考えながら読んでいると、さらに「言葉の鉄槌」が…
どんな人間だって自由に生きられる世界を。ただしマジでやばいやつは除く。
差別はダメでも、小児性愛者や凶悪感は隔離されて欲しいし、倫理的にアウトな言動をした人も社会的に消えるべき。
(略)
お前みたいな奴等ほど優しいと見せかけて、強く線を引く言葉を使う。私は差別しませんとか、マイノリティに理解がありますとか、理解がないと判断した人には謝罪しろとか、しっかり学べとか、時代遅れだとか、老害だとか。
「あなたを理解したい」という思いは、場合によっては、とても「上から目線」な物言いとなる ことに気づかされます。
マジョリティとマイノリティは自分の中にもある
人は誰もが二面性を、多面性を持っています。そして、日常的に見せているのは「マジョリティ側の自分」です。「本当の自分」は、他人には見せたくない・見せられない「マジョリティ側の自分」かもしれません。私自身、そもそも分かってもらいたいなんて思っていないこは存在し、それは、「マジョリティ側の自分」であるが故に、晒してはいません。
そんな部分に対し、「どんな人間でも私は拒絶しないし、難しいかもしれないけどできるだけ理解したいって思う。」と言われたら、「そもそも拒絶しないって、どれだけ上目目線なんだよ。ほおっておいてよ」と思うでしょう。
本書では「特殊な性的指向」に対する多様性をテーマとして扱っていますが、実際に読者に問いかけられていることはもっと深い。「多様性とは何か」「ノーマル(正しさ)とは何か」という問いを突き付けられます。
最後に
今回は、朝井リョウさんの『正欲』の感想をまとめました。
本作の中には、どきりとさせられる言葉がいろいろと並んでいます。「言葉、フレーズ」に是非本書で出会ってほしいです。
朝井リョウさんの作品は「何者」を読んだ時も、いろいろと考えさせられました。社会のひずみを普通とは違う切り口で気づかせてくれます。是非、他の作品も読んでみたいと思います。