遠藤周作の代表小説『海と毒薬』。
1957年に発表された小説で、第5回新潮社文学賞、第12回毎日出版文化賞受賞作を受賞しています。
本小説の舞台は太平洋戦争期。戦争末期、当時の九州帝国大学で起きたアメリカ人捕虜に対する生体解剖事件「九州大学生体解剖事件」をモデルに創作された小説です。
戦時下・敵兵であれ、「今、生きている人間を殺す」ことに対する「罪の意識」「倫理観」。
彼らは、自分を、どう自分を納得させるのか――。
生きた人間を殺す「罪意識・倫理観」を問いかける作品。人間の良心に問う、大変重いテーマです。人間の罪意識、倫理観の軽さにぞっとすると同時に、読者は「お前の倫理観はどうなんだ!」と作家 遠藤周作に突きつけられます。
今回は、遠藤周作「海と毒薬」のあらすじ、感想を書き記します。
海と毒薬:あらすじ
解剖に参加した者は単なる異常者だったのか?
いかなる精神的倫理的な真空がこのような残虐行為に駆りたてたのか?
神なき日本人の“罪の意識”の不在の無気味さを描く新潮社文学賞受賞の問題作。
―――Amazon解説
時代は、昭和20年5月、敗戦の色はもはや隠しようもなく、毎晩のように米軍機による空襲が繰り返される、「死」が隣りにある時代。
F帝大医学部研究生、勝呂(すぐろ)と戸田の二人は、治療薬もそろわず、明日は爆死するかもしれない状況下で、満足な治療もできない。しかし、こんな状況下でも、橋本教授と権藤教授は次の医学部長のポストを狙って権力争い中。勝呂は「助からない患者なら実験材料の方が意味がある」との教授の発言に憤りも感じながらも、意見をできない。
そんな中、橋本部長は、ポスト争い上失敗してはいけない患者の手術に失敗し、死亡させてしまう。その起死回生策として、橋本は米兵捕虜の生体解剖うことを決め、勝呂と戸田、看護師らにも解剖に手伝えとの要請がかかる。強制はされなかったものの、二人は解剖に参加することを承諾する。
解剖当日。うろたえる医師たちに向かって「こいつは患者じゃない!」橋本の怒声が手術室に響きわたる――――。
勝呂は麻酔担当を命ぜられるも、震えて何もできない。一方、戸田は勝呂に代わり、淡々と解剖を手伝う。そして、その後、8人の捕虜に対して、それぞれ別の目的で人体実験が行われた。
彼らは、生きた人間を殺すことに、何を感じたのか… 解剖参加者たちの思いはそれぞれ。苦悩、自己正当化、単なるどうしようもない私利私欲….
人間の罪意識、倫理観、組織従属など、読みながら、いろんなことを考えさせられます。
海と毒薬:感想
以下、私の感想です。
大義名分と罪の意識・倫理観
生きた人間を人体実験で殺す。たとえそれが、今後の治療に役立てられるという「大義名分」があったとしても、人を殺して正常でいられるのか――――。
研究生の勝呂、戸田とも、二人はどこにでもいる普通の人間です。しかし、彼らは、手術に立ち会う/立ち会ったことに対して、全く別の解釈をします。一方は罪の意識に苛まれ、一方は、もっとドライに医学のため/上司のため/自分のためと考える。そして、同じく実験に立ち会ったものの中には、恍惚の顔を見せるものもいる。
私は彼らの心理・行動描写を読みながら、「では、お前は、同じ立場だったらどうなんだ?」と遠藤周作に突きつけられているような感覚に襲われ、ぞくっとしました。
下記は、小説からの引用です。このような、ぞっとすると同時に、自分に対しても突きつけられるような言葉が、続々と登場します。
(俺あ、なにもしない)勝呂はその声を懸命に消そうとする。だがこの説得も心の中で 撥ねかえり、小さな渦をまき、消えていった。
(成程、お前はなにもしなかったとさ。おばはんが死ぬ時も、今度もなにもしなかった。だがお前はいつも、そこにいたのじゃ。そこにいてなにもしなかったのじゃ)
戸田はそっと眼をあげて、縁なしの眼鏡をすこし鼻に落した浅井助手の顔をぬすみ見た。 何処にも変ったところはない。この顔はいつも回診の時、患者たちに口先だけ愛想のいい言葉を投げかける秀才の顔だ。研究室に口笛を吹きながらあらわれ、検査表を舌うちしながら調べている時の顔だ。一人の人間をたった今、殺してきた 痕跡 はどこにもなかった。
(俺の顔かて同じやろ)と戸田はくるしく考えた。
(略)
たった二時間前には生きていたあのおどおどとした 鳶色 の眼の捕虜のこと、浅井助手は彼の死をもう忘れているのだろうか。手術室を出るなり、自分の将来の地位をすべてに結びつけて話のできる彼。そのみごとな割り切りかたを戸田はふしぎにさえ思った。だが俺自身だって、どれほど手にもった手術皿の中の肉塊のことを考えただろう。赤黒くよどんだ水に漬けられたこの褐色の暗い塊。俺が怖ろしいのはこれではない。自分の殺した人間の一部分を見ても、ほとんどなにも感ぜず、なにも苦しまないこの不気味な心なのだ。
だが赤いのは指さされた将校の瞳だけではなかった。他の軍人たちの眼もまたギラ、ギラと光り、みにくく充血している。それは本当に情慾の営みを果したあとのあの血走った、脂と汗との浮いた顔だった。
人間の倫理観は想像以上に脆い
本作で取り扱われるような「人体実験という殺人」は究極のシチュエーションです。しかし、組織の中にいると、自分の本位ではない/倫理的に正しくないことにも従わざるを得ないことがあります。また、従わなかったとしても、タダ、見ている(状況を変えようと努力しない。勝呂の場合であれば殺人を止めようとしない)ことも、或る意味「罪」です。
よりよくあろうとすると、自分が大いに傷つくとき、それでも人は正しくいられるのか―――。
私は、この問いに自信をもって「できる」とは言えません。人としての弱さを感じます。
ここでは、触れませんが、もっと俗っぽい自分の満足感を満たすために実験に参加した看護婦も登場します。「人の死」と比べて、正直、しょうもない理由です。しかし、そんな理由で、自ら実験に参加してしまうのも、人間だよなぁ…とも思います。
人間の罪意識・倫理観は、私たちが想像している以上に脆いことをつきつけられます。
過去に黒歴史を持つ人を、無意識は察知するのか
人には、「第六感」と言われるものがあります。なんとなく良くないことが起こりそうな気がする「虫の知らせ」もその一つです。
実は本小説は、戦後、持病を持った男が治療のために訪れた医院で、勝呂に診察を受けた際に、「何か嫌な気持ち」を感じるところから始まります。そして、その後、男は、かつての勝呂が解剖実験事件に参加していた人物であることを知るのです。
第六感が働く例と思いますが、初めての人と出会うときはの「第六感」は結構当たるので、大事にした方がいい。
人に限らず、新しいものに出会う・触れる際は、このような感覚を大事したい。そんなことを、本書を読み終えて、本感想を書きながら、ふと思いました。
最後に
今回は、遠藤周作の「海と毒薬」の感想をまとめました。
名著と呼ばれる小説は、小説を読み終えた後に、いろんなことを考えさせます。それは、ビジネス書や実用書、ノウハウ本を読む以上に、大事なことを気づかせてくれます。
今後もそんな本と出合うべく、読書を続けていきたいと思います。
合わせて読んでみよう
そういえば、松本清張の「小説帝銀事件」は、おそらく冤罪であろう事件を取り扱った社会派ミステリー小説ですが、こちらは、毒薬で多数の行員を殺害し金品を盗んだリアルな事件「帝銀事件」がモデルです。
逃げおおせた真の犯人は、毒薬に精通する旧陸軍関係者と考えられています。戦争は人の正常な意識を狂わせます。戦争なき時代を願ってやみません。