【書評/要約】小説帝銀事件(松本清張 著)(★4) 判決済みの戦後事件に冤罪疑惑を申立て!真実に迫った 衝撃の社会派ミステリー小説

社会派ミステリーと言えばこの人とも言える、松本清張。

『点と線 』『砂の器』『ゼロの焦点』などの社会派推理小説ブームを巻き起こした、戦後の日本を代表する作家です。実際に起きた事件・社会的な出来事を取り上げたドキュメンタリー風小説は、リアルで重たいながらも、人を惹きつけます。

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今回紹介の小説も、戦後最大のミステリーと言われる占領期に起きた「帝銀事件」を取り上げた作品です。2022年12月年末、NHKスペシャル 未解決事件「松本清張と帝銀事件」で連続2夜では、帝銀事件が取り上げられ、第1部では、松本清張が事件を追う様が描かれました。

帝銀事件をノンフィクションとして出版したかった清張。しかし、権力を背景に、「小説」という形でしか出版が叶わなかった本作。どのように小説としてまとめられたのか知りたくて、読んでみました。

小説帝銀事件:あらすじ

画像:Wikipedia
昭和23年1月26日、帝国銀行椎名町支店に東京都の腕章をした男が現れ、占領軍の命令で赤痢の予防薬を飲むよう告げると、行員らに毒物を飲ませ、現金と小切手を奪い逃走する事件が発生した。
捜査本部は旧陸軍関係者を疑うが、やがて画家・平沢の名が浮上、自白だけで死刑判決が下る。
膨大な資料をもとに、占領期に起こった事件の背後に潜む謀略を考察し、清張史観の出発点となった記念碑的名作。
――――Amazon解説

帝銀事件とは

上の図は、事件発生直後の様子をとらえた写真です。帝国銀行(現在の三井住友銀行)の行員16人中、12人が亡くなりました。

犯人みずからが手本を見せて、全行員に怪しまれることもなく、毒物を飲ませ殺害するという巧妙な手口。毒物の知識・扱いに手慣れてた人物でないと無理と思われる犯行にも関わらず、逮捕されたのはテンペラ画家・平沢貞通。死刑が確定し、1987年に獄中死するまで無実を訴え続けました。

小説によると、女性行員が這いつくばって外に助けを求めたことにより事件が発覚。最初は食中毒だと思われ、多数の人が出入りしたため、現場保全もかなわなかったようです。

毒物は青酸カリ。湯呑に入れた1液(青酸カリ)をのどの奥に確実に入るように飲ませてから、1分後に2液(水)を飲ませることで、毒物を飲み終えた16人を一カ所に止めおいて外部に知られることなく殺すという手口は、毒物の性質、および、その毒の効き方を知らない者でないとできるとは思えません。

しかし、逮捕され死刑宣告を受けたのは。元々の性格に加え、コルサコフ病という病のせいで普段から虚言癖がある、計画性・緻密性に欠けた画家

事件の背景に「闇」や「さまざまな都合」を感じざるを得ません。

ノンフィクションではなくフィクション「小説」での出版

NHKスペシャル 未解決事件「松本清張と帝銀事件」


第1部ドラマ 事件と清張の闘い

第2部ドキュメンタリー74年目の“真相”

小説=フィクションではなく、ノンフィクション、つまり、自ら現地に赴き取材した内容としてメディアに発表したかった清張。『NHKスペシャル 未解決事件』では、出版社に圧力がかかり、「小説」という形でしか出版が叶わず憤りを露にする松本清張が描かれていました。

では、小説ではどのように表現されたのか。

「仁科 俊太郎」という事件を追うR新聞論説委員を登場させ、事件の深層に迫る形で表現されています。

ちなみに、本事件は旧刑法での裁き。事件の証拠は、科学的証拠が薄い「間接証拠」のみです。現在の刑訴法「証拠第一主義」下での裁きだったら結果は変わっていたかもしれません。

死刑か無罪かというようなこれほどの被告には、新とか旧とかの人間のひいた線がある筈はない。証拠第一の新刑訴法の精神で判決すべきではないか、と仁科俊太郎は思うのである。(略)
第一審の裁判長は、ともかく判決を下した。しかし、第一審裁判長の気持の中には、第二審の裁判長、最高裁の裁判長への恃みが全く無かったとは言えまい。まだ最高裁がある、というのは、ひとり被告の側だけの叫びではなかろう。

仁科の発言は、松本清張の考えを代弁したものでしょう。このように、清張は判決積みの裁判を批判したのです。

小説帝銀事件:感想

【書評/感想】小説帝銀事件(松本清張 著)

主人公仁科は新聞社の検察庁・裁判所を廻り、膨大な帝銀事件の関係資料(捜査記録、検事調書、裁判記録、精神鑑定書、弁論要旨)を取り寄せ推理します。そして、事件と裁判を丁寧にたどって、事件の闇に迫ろうとします。

その調査は非常に緻密であり、松本清張がこの事件をどれだけ真剣に追っていたかが伺い知れます。

事件の真相・背景は本書を実際に読んでいただくとして、それら真相を脇においても、「人間というもの」についていろいろ考えさせられます。以下、覚えておきたい内容を記録しておきます。

報道に操られる群集。輿論の暴力性

平沢はなぜ、犯人になってしまったのか?その一つの理由は、群集・世論です。

時に世論は「強力な真犯人」を作り上げます。大衆感情は、ときとして 理不尽で暴力的です。彼らは新聞による報道だけで、詳細な内容を知らないにも関わらず、一方に傾きます。そして、そのうねりが、時として、警察や裁判所の「何とかせねば(とらえねば)」という焦りを生みます。

証言はきわめてほかの暗示に左右される特性をもつ、その背景に左右される。すべての証人、鑑定人に左右する暗示は、平沢真犯人なりと思う盲目的世論である。この世論はなにによって起ったか。その一つは日本人のもつ祖先伝来の事大思想である。お役人尊しとする傾向である。有史以来一度もみずから治めたことなく、常に治められ続けた日本人にとっては、官のやりかたに卑屈なる、迎合、服従の観念を先天的にもっている。それで捕えられて入れられているものが犯人に相違なかろうと思う。
次に、連日のごとく捜査側から流れ出る平沢クロとの情報である。これを連日クロと報道してあくこと知らぬジャーナリズムの影響である。さらに、大悪 無慚 の真犯人に対する大衆の激憤が増して、たまたま逮捕された一被疑者にすぎぬ平沢に、それが集中して投げつけられたことである。これらが協力してひとり平沢絶対クロの世論を作り上げたものである。群衆はこういう 示唆 に対して無批判、無理性的に、ただ衝動的、激情的に受け入れる本質をもつ。この世論の大きな暗示が平沢逮捕以来、本件関係証人、鑑定人に大きい先入主観をつぎこんだことは当然である。

「自分自身も群衆化しやすい」という意識を持って、日々のニュースを見ることが極めて大事です。群集の愚かさについては、以下の本も合わせて読んでみるといいです。

書き換わる記憶

上述した通り、平沢には虚言癖がありました。こういう人は、自己暗示によってやってもいないことでも真実だと思ってしまいやすい。しかし、虚言癖がなくとも、「人間が都合よく、あるいは、周囲の情報によって記憶をすり替えてしまう」ことに関する分析が各所で登場します。

人間の知覚は不完全なものである。その知覚した像を記憶の中に存しておく記憶力もまた貧しいものである。ここに忘却という大きな作用が働く。第三にこれを証言として供述するときは、また表現の不十分、言葉の不正確性が働く。
(略)
人相を、ただ人の顔なり姿なりの見解として考えたとき、人間は人を観察して、目なり、口なり、鼻なりを個別に観察するものではない、顔全体として見ているのである。顔の感じとして見ているのである。これを目はどうだったとか、ことに耳のうしろがどうだったかを記憶していること自体が実は不自然である。

犯人は広沢に違いないと述べた行員の中には、最初、厚生省の肩書を盲目的に信じて、犯人を招き入れてしまった者もいます。当然、犯人を発見したいという彼の願望は、周囲からの情報によって、記憶が書き換えられ、「奴が犯人だ」と信じてしまう可能性も否定できません。

人間の記憶とはこれほど曖昧・不確実であり、簡単に誘導され、書き換えられてしまうことは、覚えておく必要があります。

俯瞰して物事を見る大切さ

小説の最終版、帝銀事件の犯人はいったいどのような人間であろうかと、小説の主人公である「仁科俊太郎」は考えます。具体的には、そして、犯人平沢に関するいっさいの線をことごとく消してしまって、ただ帝銀犯人というイメージについて考えます。

つまり、俯瞰して、もう一度、上から考えるのです。メタ情報化・抽象化するのです。

私たちは、物事を見るとき、熱が入ると、微に入り細に入り、細かなことに目を奪われがちです。その結果、新たな発見もあるかもしれませんが、そもそも、フォーカスするべき部分が間違っていると、「ことの本質」を見誤り、間違った判断をしてしまうことになります。

何か事を進めるとき、「具体と抽象」を自分で行き来する。「具体」にとらわれ過ぎることなく、「抽象化」して物事を見ることを忘れないようにしたいですね。

最後に

最後に、今回は、松本清張の『小説帝銀事件』を紹介しました。

社会派小説は、単に娯楽として面白いだけでなく、社会に潜む問題や人間について、様々なことを気づかせてくれます。

松本清張は、この小説をどう締めくくるかも楽しみに、本書を読んでみてはいかがでしょうか。

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