【書評/感想】沈黙(遠藤周作 著)(★5) 守るべきは神への忠誠心か弱き者たちの命かー 司教の心の葛藤は涙なしで読めない。 戦後日本文学の名著

遠藤周作の戦後日本文学の金字塔、『沈黙』(ちんもく)
第2回谷崎潤一郎賞
を受賞し、今なお読み継がれている日本文革の名著です。

舞台は。17世紀、江戸時代初期のキリシタン弾圧の長崎。実在したポルトガル人の司祭をモデルを主人公に、彼の目線を通じて、当時日本で行われた巣覚ましい弾圧、そして、司教や隠れキリシタンの心を描いた歴史小説です。

「守るべきは神への忠誠心か弱き者たちの命かー」棄教(信仰を捨てる事)を迫られる司教の葛藤・苦悩は涙なくして読めません。

私は、2016年に公開の映画「沈黙-サイレンス-」も見ていますが、今回初めて原作を読んで、タイトル「沈黙」の意味が、より深く理解できました。

今回は、遠藤周作の「沈黙」の感想をまとめます。

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沈黙:あらすじ

「転びキリシタン」もまた、「神の子」なのか?
カトリック作家が描く、キリスト教文学の最高峰。

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。
神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
――Amazon解説より

主人公の必死の祈りにもかかわらず、神は頑なに「沈黙」を守ったままである。果して信者の祈りは、神にとどいているのか、いやそもそも神は、本当に存在するのか、と。
これは、キリスト教徒にとっては、怖ろしい根源的な問いであり、ぼくら異教徒の胸にも素直にひびいてくる悩みであろう。このモチーフを追いつめてゆく作者の筆致は、緊張がみなぎり、迫力にあふれていて、ドラマチックな場面の豊富なこの長篇の中でも、文字通りの劇的頂点をなしている。
――佐伯彰一(文芸評論家) 本書「解説」より

日本で捕らえられ棄教したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは、日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。そして、彼らが長崎の地で見たのは、彼らは想像を絶する、隠れて信仰を続けるキリシタンたちの壮絶な光景でした。

ロドリゴらは隠れキリシタンたちに護られて布教活動を進めるも、その先に待っていたのは、キチジローの裏切り。囚われの身となり最もロドリゴを苦しめたのは、自分が棄教しないことで、自分自身ではなく、同じく囚われの身である隠れキリシタンが拷問を受け、一人一人と犠牲になっていくことでした。

そして、ロドリゴは葛藤します。「守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か―――

そこで、ロドリゴは、或る意味、自身を悟るのです…

沈黙:感想

沈黙 遠藤周作:感想

原作と映画、両方を触れたうえで、私の感想を書き記しておきます。

原作と映画、両方の作品に触れてほしい

まず、最初に、原作、映画とも共に素晴らしい作品です。どちらもものすごく読み応え、見ごたえがあります。映画は原作に忠実であり、予告編を見ただけで、目に涙が潤んできます。

もっと多くの人に、日本のある意味、黒歴史を多くの人に知ってもらい、人の極限状態における心の葛藤、そして、信仰というものについて、考える機会にしてほしいです。

そして、両方にふれることで、よりこの作品の良さにより深く触れてほしい。両方の作品がそれぞれの作品を高め合っています。拷問・弾圧シーン、さらに、人の苦しみ・悲しみの表情などは、目に訴える映画というメディアに原作は叶いません。監督や役者さんの優れた能力は大きいですが、これも優れた原作あってのこと。

登場人物が発する「言葉の深さ・重さ」を味わうには、自分のペースで言葉をかみしめながら読める「原作」の方が上です。作品タイトルの「沈黙」の意味をより深く理解できます。是非、両作品を味わってほしいです。

描かれているのは信仰心と揺れる心

キリシタン弾圧というと、弾圧する側が悪者として描かれるのが一般的ではないでしょうか。しかし、遠藤周作は、キリシタン弾圧をする者たちを「悪者」として描いてはいません。

本作は、歴史的な事実を受け入れた上で、弾圧下で棄教に苦しめられる司教・隠れキリシタンたちの「神に対する信仰」や「心の葛藤」、そして、究極の選択の上にたどり着いた「境地」にフォーカスが当てられています。そして、その心模様が読者の胸に刺さります。

ワタシ的には、私は、心弱き者 愚者キチジローに「自分自身の心の弱さ」が重なりました。裏切りなど、私利的でよくないと思いつつも自分の心を偽って行動、しかし、悪者にもなり切れないので、ずっと自分の心に罪悪感を持ち続け、心の重しとなる。そんな経験は誰しもあるのではないでしょうか。

本書のメインテーマからは外れますが、権力者にとって「価値ある者」は彼らに背いた行動をとっても改心すれば、それなりの待遇が与えられるのに対し、権力者にとって「価値なき者」は拷問もOKで簡単に命を奪われるという「この世のどうしようもない不条理」。現代を含め、どんな時代も受け入れ生きざるを得ないことに、改めて🥀な気持ちになりました。

最も心に残った言葉

沈黙 遠藤周作:感想

本書には、多くの心に残る言葉があります。主人公ロドリゴの棄教で悟った境地、弱き心をもつキチジローの愚者の苦悩、さらには、棄教を迫った長崎奉行 井上筑後守、通辞の言葉の中にも、心に残る言葉がたくさんあります。

しかし、私が最も心に残ったのは、20年日本で布教活動に努めるも、捕縛され、「穴吊り」の拷問に屈して棄教。日本人名を与えられてお上に使える身となった元司教フェレイラが、ロドリゴと対面したシーンで語った言葉です。

二十年、私はこの国に布教したのだ。この国のことならお前よりも知っている。
(略)
知ったことはただこの国にはお前や私たちの宗教は 所詮、根をおろさぬということだけだ。
(略)
この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまったのだ。
(略)
この国の者たちがあの頃信じたものは我々の神ではない。彼等の神々だった。それを私たちは長い長い間知らず、日本人が基督教徒になったと思いこんでいた。
(略)
デウスと大日と混同した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。言葉の混乱がなくなったあとも、この屈折と変化とはひそかに続けられ、お前がさっき口に出した布教がもっとも華やかな時でさえも日本人たちは基督教の神ではなく、彼等が屈折させたものを信じていたのだ。

たまたまですが、現在、田中英道さんの著書「日本の歴史 本当は何がすごいのか」「世界史の中の日本 本当は何がすごいのか」を読み終えました。この本では日本の歴史を通じて、日本人がどのようにして「日本人の精神性」を築き上げ、現代日本人にも受け継がれているのかが解説されています。この本を読むと、フェレイラの「この国は沼だ」という言葉が非常によく理解できます。

現代日本人は、「私は無宗教」と思っている人が多いですが、実は、そうではない。日本人には、グローバルに見ても極めて特徴的な信仰心を持っています。しかも、それが、信仰だとすら意識しないぐらい自然に日本人の心に浸透しています。それが「日本人の精神性」を形成しているのです。

「この国は沼地だ」というフェレイラの言葉は、それを象徴した言葉だと感じるのです。

日本人は一神教キリスト教とは相いれない、独自の信仰心、精神性を持っている―――

小説「沈黙」を味わうためにも、田中英道さんの書籍も改めて読んでみることをおすすめします。

最後に

今回は、遠藤周作の名著「沈黙」についての私の感想をまとめました。

日本人なら、読んでおいた方がいい名著です。是非、読んでみてください。

他の遠藤周作の名作も、KindleUnlimitedの対象になっているので、合わせて読み進めていきたいと思います。