それは、遺体と呼ぶには余りにも無残な肉体の切れ端にすぎなかった。
頭蓋骨と一握りほどの頭髪、それに黒足袋と脚絆をつけた片足の膝下の部分のみであった。
1915年(大正4年)12月、北海道開拓時代、一頭の巨大羆(ヒグマ)が1週間弱の間に、開拓部落の住人7人を食い殺し、3人に重傷を負わせた日本最悪の獣害「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」をご存じでしょうか。今回紹介の吉村昭さんの『羆嵐』は、この事件を刻銘に記したドキュメンタリー小説です。
人間の骨を噛み砕き、肉を食らう凄惨な光景、そして、それに怯え恐怖する部落住民・討伐隊の心理、そして、その舞台となった北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢の集落の様子が、会話少なくつづられる。その無駄のない坦々とした描写が、事件の惨劇にリアリティを与えます。
本書はヒグマ被害をつづった小説ではありますが、地震・台風・津波などの災害、ウイルス・金融危機など、”圧倒的な力” “想定外”に翻弄される人間の姿は、現在を生きる我々と重なる。“圧倒的な力” “想定外”に遭遇したとき、人はどうなるのか、何が打開策にとなるのか、という視点で読むと、本書からの学びは多いです。
目次
熊嵐:三毛別羆事件 概略
いかに人間が、圧倒的な力に対して、弱いか。想定外でパニックになるのか。
そんな目線で本書「熊嵐」を読んでみると、恐怖の中に多くの学びがあります。まずは、事件の概要を簡単にまとめます。
事件の概要
冬眠に失敗して餓えた凶暴なヒグマが、開拓部落の一軒の家を襲う。
子供の阿部幹雄は一撃で撲殺。放漫な体を持つ阿部マユは連れ去られたらしく、家に残るは、引きずられたときに引っかかったと思われる頭髪のみ。
凄惨な住まいの様子を見た部落住民は、最初は強盗グループに襲われたのだと思い、マユを探し回る。その後、マユは見つかるも、肉体の大半を食われた無残な死体で発見された。
「女性の味」を知ったヒグマの行動、そして次の事件
女性の味の知ったヒグマは、次の獲物(女性)を探して、部落をさまよう。
女性のにおいが付いたものは、衣類などはもちろん、石までをもかみ砕くといった「女の肉への執着」を見せる。
そして、次の家が襲われる。子供と妊婦が襲われ、骨を噛み砕き、肉をむしり取られた。
ヒグマ討伐
もともと、ヒグマが人を襲う前に、家先に干していたトウモロコシがヒグマに食われる被害が確認されていた。しかし、当初にとった対策は、自分たちの最大の財産ともいえる馬や牛が襲われることを恐れてマタギに熊退治を依頼した程度であった。
人殺害をきっかけに、最終的に北海道警をはじめ官民合わせてのべ600人にも上る討伐隊が編成される。しかし、吹雪・暗闇を前に討伐隊はかすり傷を負わせることしかできない。ヒグマはあざ笑うかのように人間たちを翻弄する。
最終的にヒグマを討伐したのは、たった一人の「本物のクマ撃ち」が放った二発の銃弾だった。
いかにして、たった一人の「本物のクマ撃ち」がヒグマを討伐したかは是非、本書で学んで読んでみてほしいです。
熊嵐:感想 人間は思い知らされる、その力のなさを
ただ一匹のヒグマを相手に、いかに自分たちが弱いものかということを思い知り、叩きのめされる人間———
ここからは、本書を読んで私が感じた感想を書き記します。
人間の弱さ・愚かさ
本ストーリーの中で、ヒグマとは「圧倒的な力を持つ存在」。人を襲うというのはまさに「想定外」でした。
これは、大地震、津波、原発、ウイルスなどの「圧倒的な力」「想定外」に翻弄されてきた21世紀の日本人に重なります。いかに文明が進もうと、いつの時代も人間は、危機管理に甘く、パニックに陥るという現実です。
・被害が軽微なうちは、その対策を軽んじた
人を襲うとは想定しなかった。ある意味、人災
・人が食われ、逃げ惑う中、これまで信じられてきた熊のヒグマの習性は誤りであったと知る
火を恐れない
死んだふりも通用しない
自分のエサだと認識したもの、味をしめたものに対する執着が異常なほどに強い
知識・調査不足
・大討伐隊を編成しようが、日ごろの準備・訓練・経験がなければ1頭のヒグマさえ退治できない
力を前に大勢でかかれば大丈夫という考えは甘い
組織のトップは、最初は自分が「長」だとばかりに振舞うが、実力がなければ成果は出ず、失望へ
普段偉そうに猟のことを語る猟師たちも、巨大羆を前に怖じけづく
結局のところ、「賢威」や「銃(武器)」を持っていようが、それを扱う人間が、優れた知識・経験を持っていない限り、全く無意味だと改めて気づかされます。
野生の怖さに対抗するには「集団力」が欠かせない
私たちが日頃見かける「熊」といえば、動物園などでの愛らしい姿、くまのプーさんをはじめ愛らしいキャラクターばかりです。そのため、どうしても「野生の熊は恐ろしい」ということを忘れがちです。
しかし、野生は弱肉強食の世界。弱い者は食われる世界です。
今、人間が、「食物連鎖の王」でいられるのは、人間は力の弱さを「集団」×「頭脳」を駆使することで補ってきたからです。しかし、一人になれば圧倒的無力です。たくさん集まれな、中には、とても賢い人がいる。たとえ経験がなくとも、克服しようと懸命に戦ってくれる人たちが必ずいます。
そう考えると、やはり、危機打開には、皆仲良く力を合わせるのがとても大事であって、「戦争は極めて愚かな行為」と言わざるを得ません。
相場でも「ベア相場」は超怖い
そういえば、相場の世界では「ベア相場」というものがありますね。
ベア相場とは「弱気相場」。ベア=Bear:熊のことで、熊が前足を振り下ろす仕草、背中を丸めている姿から相場が下落していることを表した言葉です。
このベア相場も極めて恐ろしい。リーマンショックのようなベア相場ではみんなパニックになります。私もベア相場は失敗の連続で、反省の連続。ここでも、”圧倒的な力” “想定外”に翻弄されっぱなしです。打開策に必要なのは、「経験・知識」であるということを肝に銘じ、精進したいと思います。
最後に
今回は、吉村昭さんの「熊嵐」を紹介しました。是非、一読を!
三毛別羆事件復元地は現在では観光スポット(三渓周辺の観光スポットです。北海道稚内エリアの旅行の際には音連れてみてはいかがでしょうか。
なお、私の父は山に山菜取りに行くのが趣味なのですが、たまに熊を見ると言います。クマ避けベルを持って出かけますが…怖くなってきた… 山菜取り、登山、ハイキング、渓谷釣りなどで、山に行かれる方は、何卒、十分警戒して、山を楽しんでください。