【書評/要約】ルポ 誰が国語力を殺すのか(石井光太 著)(★5) 国語力は「人間社会を生きていく基礎力」。これなしでは、子は健全に育たない

昨今の子どもたちの読解力の低下

明るみになった発端は2003年の世界各国の15歳の子どもの学力を測るOECDの国際学力調査「PISA」。読解力が15位まで転落したことは、教育界に衝撃を与えました(最新:2022年調査)。

一体、誰が、何が、なぜ、国語力を殺したのか―
子供たちの国語力を回復させるには、どのような取り組みが必要なのか―

国語力低下の原因の一つは、ゆとり教育ですが、実際はもっと複雑です。

石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』は、これらの原因と解決策に迫る1冊。学校など教育現場の取材で、子供たちの国語力崩壊の実態・諸問題も迫っています

学術的な書物ではありませんが、現場の声を丁寧に拾いがているからこそ、子どもの教育現場のリアルとその深刻さが伝わってきます。その内容は衝撃的です。

子を持つ親御さんは、間違いなく読んだ方がいい1冊です。今回は、本書からの学びをまとめます。

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なぜ、国語力が大事なのか― 国語力と格差

【書評/要約】ルポ 誰が国語力を殺すのか(石井光太 著):なぜ、国語力が大事なのか

国語力とは何か

文科省の定義によれば、国語力とは「❶考える力」「❷感じる力」「❸想像する力」「❹表す力」の4つのからなる能力です。

人は、見聞きしたものから”もののあわれ”を感じて理解する「情緒力」、未知のものをイメージしたり、他者の表情や動きから言外の感情を読み取ったりする「想像力」を同時に鍛えていくことが必要です。さらに、自分の意見を筋道を立てて構築していく「論理的思考」、考えを表現する「表現力」を養いながら、社会の中で人間関係を築いていくことが求められます。

つまり、国語力とは「人間社会を生きていく基礎となる力」なのです。

自分の考えを整理し、他者に伝えられなければ、社会の中で独り立ちできません。また、見知らぬ世界を我がこととして想像する力が欠落した人が増えれば、社会は殺伐とし、紛争も起こりやすくなります。この力をつけることは健全な社会を築くことであり、逆にそれが弱まってしまえば社会全体が不健全なものにもなりかねない。

あらゆる教育の根源は「国語力」であることを、私たちは改めて自覚する必要があります。

読解力以前。教科書が読めない

「国語教育」では「読解力」が大事と言われますが、現場の先生は「読解力以前の基礎的な能力」が欠けていると指摘します。

そういう子たちは、教科書に出てくる『ごんぎつね』が常識を持って読めません。登場人物の気持ちを想像したり、物語の背景を思い描き考える力がないからです。

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昨今の子どもは、情報社会の中で情報処理能力が向上しています。しかし、それ以上に大事な力、一つの物事にじっくりと向き合い、何かを感じ、自分の思考を磨き上げていく能力を高めることがおろそかになっています。

自分の言葉で考え、想像し、表現することが苦手だと、勉強に限らず、日常生活までいろんな誤解が生じ、生きづらくなります。結果、「ストレス」を抱え、「問題行動」を犯しやすい子に育ってしまうのです。

国語力の低下が招く「格差」

国語力の低下は、落ちこぼれや不登校・暴力などを生み出します。

彼らは自分の辛さを的確に表現できないので、大人も救ってあげることができません。結果、「自己責任」という言葉によって切り捨てられ、これが、結果的に「社会の分断」「格差」につながります。

「失われた30年」とも呼ばれる時代の中で蔓延していった日本の病理――コミュ障、孤立、炎上、ヘイト、陰謀論などの社会課題は、国語力の弱さなしには説明しえないのです。

「言葉をもつ者」「言葉をもたざる者」

【書評/要約】ルポ 誰が国語力を殺すのか(石井光太 著):「言葉をもつ者」「言葉をもたざる者」

学校の教室にグループは、「豊かな言葉をもつグループ」と「言葉を持たないグループ」に分かれる、つまり「国語力」によって、グループが形成されると言います。

言葉を持つ者と持たざる者

言葉を持たない子のグループの会話の特徴は、「粗雑な言葉でやりとり」です。以下は、その典型的な会話です。

「言葉の足りない子」の会話

教員「どうして他の生徒に手を上げたの?」
生徒「あいつがクソだから」
教員「クソって?」
生徒「とにかくクソだからやった」
教員「他に方法はなかった?」
生徒「知るか、クソ」

乱暴な子供にせよ、引っ込み思案な子供にせよ、共通するのは、質問に対し、トラブルの要因を考え、筋道を立てて自分がすべきことを導き出す力の欠如です。問題は解決されないので、ストレスを感じ、場当たり的な方法で、無理やり、蓋をしようととします。その結果、現れる行動が、SNSの悪口、暴力、不登校です。

さらに、ひどくなると、怒られてもなぜ怒られているかわからない。故、刑務所に入っても反省できないのです。

国語力のない子供の特徴

語彙力・国語力がない子には、次のような特徴があります。

・主語や目的語を省略し、テキトーに使える言葉で会話
・「抽象的な言葉」がわからない⇒使い方を間違え、人間関係でトラブルを起こす
・会話で「一般常識」にも触れる機会が乏しい⇒「極めて自己中心的な理屈」で行動

経済格差ではなく、家庭格差が問題

「親が意識して多彩な学びの機会を与える家庭」と「親が共働き/育児放棄で子供が放置状態の家庭」は一時代前とは比較にならないくらい拡大しています。一方で、過干渉も起きています。

教育費にいくら投じられるかの「経済格差」も問題ですが、親が子供にどう接しているのか、親がどんな振る舞いを見せているのかといった「家庭格差」の方が、子どもの国語力に与える影響の方が甚大です。家庭に会話があれば、子は自然と「語彙力」「考える力」「話す力」「聴く力」は上がるからです。

言葉が貧相な家庭では、会話に「ウザイ」「キモイ」「わからない」「無理」といった、考えなくて済む言葉が増えます。そして益々「中間層の国語の力」が低下による「国語力の二極化」が進むのです。

国語力格差が広がれば、クラスの中で「道徳の授業のディスカッション」は成立しなくなります。道徳心がない子供が増えれば、治安も悪くなり、国も衰退します。

国語力の低下の原因はたくさんある

国語力の低下の原因は、家庭格差だけではありません。以下の事柄は、全て、家庭や学校での会話量の減少につながっています。

時代の変化バブル崩壊、新型コロナ感染
社会変化による会話量の減少家庭ゲーム機・インターネット・携帯の普及、核家族化、共働き増加
読書の量と質の低下親の読書量低下・読む本の質の低下が子供にも伝搬

考えるスタートラインにも立たない「話が通じない子」「何を言っても響かない子」が増えだしたのは2000年前後で社会変化が大きく影響しています。

また、幼少期には「読み聞かせ」が大事と言われますが、これは、会話に加えて、表情の読み取りや、一緒に視線を向けたり指差したりするような共同注意などがなされることで、子供の脳の新皮質(思考や創造性を司る) や大脳辺縁系(喜怒哀楽を司る) に良い影響を与えるからです。

子供をどう育てるべきか

子供をどう育てるべきか:【書評/要約】ルポ 誰が国語力を殺すのか(石井光太 著)

美しい夕日を見た時に、「うわっ、ヤバ。」としか表現できない子供と、自然の小さな変化・美しさを発見し、感情豊かに風景を見つめられる子、どちらの人生が豊かになるかー。答えは言うまでもありません。

「語彙」を増やす、3つの方法

最大の問題は、子供たちがコミュニケーションに必要な最低限の「語彙」を備えていないことです。

言葉を増やす3つの方法

・「語彙力」「一般常識」「知識」が備わるように、家庭内でいろいろな話を子供とする
・「様々な経験」「新しい経験」を積ませる
・五感を使う体験もさせる

1つの言葉も複数の意味を持っています。言葉は、会話・経験を通じて、時間をかけて育っていくものです。言葉は「暗記」して済むものではありません。

「体験」は、言葉の多様な意味を体感で理解することにつながります。「新しい経験」も、興味関心を抱く対が増えて、感性をみがくことにつながります。物事の因果関係も考えるようになります。そして、「五感の刺激」は、「この思いを誰かに伝えたい」という気持ちを醸成します。自分の気持ちをより正確に伝えたいと思えば、語彙も表現も豊かになっていきます。

子供の能力を発動させるキーは「家庭環境」

「誰もが生まれ持って分析力、推論力、学習力を兼ね備えていますが、それを発揮させられるかどうかは家庭環境次第。遺伝もありますが、親が子供に対して話しかける言葉の量と質が、経済力よりはるかに大きな影響を与えます。読書が必要なのも、日常会話では接することが難しい言葉にも触れるためです。

特に9歳までの家庭環境が大事

国語力の違いが顕著になるのは、9歳ごろ。小学4年くらいから学校の勉強や人間関係が急に抽象化・複雑化し、勉強についていけない子が出てきます。この詳細は、以下の書評で解説しています。

これを見ると、9歳くらいまでの家庭環境がどれだけ重要かがわかります。

身体的虐待、育児放棄、心理的虐待などは論外です。子供の脳の成長に甚大な影響を与えます。言葉、思考、感情、記憶をつかさどる機能に損害を与えるばかりか、聴覚、嗅覚、視覚にまで異常を及ぼします。

言葉が「思考力」をも成長させる

さらに、人は覚えた言葉によって思考力を成長させていきます。人は言葉で物事を考えます。思考力も推論力も、子どもは、勉強ではなく、親との会話、自発的な遊び、絵本などを通して自然に身につけます。だからこそ、家庭にそうした環境があるかどうかが子供に多大な影響を与えることになります。

ゲーム・ネットが「国語力」に与える大きな弊害

子供のゲーム・ネットへの影響は様々指摘されています。

ゲームの与える悪影響

前頭前野の機能低下ゲーム依存が進行で、前頭前野の機能が弱まり、衝動のコントロールが利きにくくなる
きっかけへの過剰反応ゲーム画像を見ただけで、前頭前野に強烈な反応が起こり、ゲームに対する欲求が過剰に起こる
報酬欠乏症激しい刺激になれて、快楽を感じなくなる
脳細胞の破壊脳の情報伝達機能を司る白質などが破壊されることで、脳の神経細胞から出される情報伝達がうまくいかなくなり、理性的な行動をとることが難しくなる

しかし、これだけにとどまりません。ゲームやネットは「対面での会話」を奪います。

対面では、「① 感じる→ ② 相手の気持ちを想像する→ ③ 言葉を整理する→ ④ 発言する」という流れで会話が行われますが、ネット空間では、②~④が省略され、①の感情をそのまま言葉となります。考えるフィルターなしで、感情が垂れ流しにされます。そして、不特定多数の人間の目に留まり、様々なトラブルに発展します。

ゲーム・ネットビジネスの闇

この種のネットビジネスには、逆にそれらを煽ることで巨万の利益を生み出す構造があります。ユーザの不安や好奇心を掻き立て、激しく興奮させればさせるほどSNSもゲームも盛り上がり、釘付けにすることができるからです。

利益を追求する運営側は、たとえそれが「子供の健全な育成」の弊害を認識していても、ビジネスを手放すはずなどありません。こうした状況下で、子供たちの言葉がどんどん荒れ、それが人間関係に悪影響を及ぼし、次々にトラブルが起きているというのが今の世の中であることを自覚する必要があります。

昔とは異なるドロップアウト

かつての不良少年は、虐待、差別、貧困といったことで家庭や学校に居場所を見つけられなくなった者たちでした。しかし、彼らには「不良グループ」という「居場所」「コミュニティ」がありました。

現在「不良グループ」にとってかわったのが「ゲーム」や「ネット」です。ネット空間には「生の会話」は存在しません。その負の側面がひきこもり、ゲーム依存、心身の疾患を引き起こしています。

また、昔の非行少年は、恐喝・リンチを悪いことだと自覚してやっていました。悪いことでも、グループ内での居場所を確保するため、仲間に認められるために悪事を働きました。だから、少年院では、悪いことを反省する指導が行えました。

しかし、現在、少年院にお世話になるような子は、悪いことをやって捕まったという自覚がない子がたくさんいます。ゲームでは人を殺そうがとがめられることはありません。痛みもわかりません。少年院に来ても、なんで自分がここにいるのかわからないということが起こるのです。

「怒り」ばかりが沸き起こりやすく

会話がなく、言葉が足りないと、『悲しい』とか『苦しい』とか自分の感情を言葉にすることがなくなります。助けを請うにもそれを訴える相手もいなければ、うまく表現もできません。

また、厳しい現実と向き合い、言葉によって気持ちを深く掘り下げていくのはつらいことなので、向き合おうとしなくなります。つまり、「考えれば考えるだけ苦しむことになる」。だから、考えない。結果、自己分析の経験も積まれません。

その気持ちのやり場のはけ口となるのが、『むかつく』『殺す』『死ね』など驚くほど簡単な怒りの感情表現です。これらは他者に向けられる言葉なので、自分の内面から目をそらし、他者に向けて放てばいいだけで済みます。しかし、こんな言葉を発すればどうなるか。相手と衝突し、手を出せば暴力になります。

『むかつく』では、問題は拡大するだけ

辛い現状を丁寧な言葉で人に伝えれば、親であれ友達であれ、同情して手を差し伸べてくれるでしょう。でも、『むかつく』『イラつく』と乱暴に言ってしまえば、物事が悪い方にしか向かいません。ますます状況は悪化し、息苦しくなるだけです。

あなたはこのような時、言葉を使って物事を改善できていますか?

自分の感情を見つめ直してみてください。

人をつなぎとめるのは「言葉」

この世から剝離しかけた人を、最後にこの世に繫ぎ止めるのは「言葉」です。

人は、自己完結できる自己肯定感を理想としながら、どこかで自分に寄り添ってくれる他者からの言葉を欲しています。この時、支えてくれるのが「言葉」です。言葉が人との関係を築き、そして、お互いに理解できる関係を築くことで、生きることがすごくラクになります。

皆がたくさんの言葉を持ち、豊かな感受性によって他者の意見を聞き入れ、自らの言葉で的確に気持ちを表現し合える環境は、「皆が生きやすい環境」を作り、「社会をよりよいモノにする」ことにつながります。

最後に

今回は、石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』からの学びを紹介しました。しかし、ここで書き記した学びは、ごく一部に過ぎません。非常に、学びの多い本でした。

今、子育て中の親、そして、これから親になる方には、是非、本書を読んでいただきたいと思います。また、「ゆとり教育世代」の方には、スカスカな国語教育のなかで育った弊害を、また、「ゲームの世界にどっぷりハマって会話量が少ない」という自覚がある方は、自分はゲームからどのような悪影響を得てしまった可能性があるのかを知るためにも、本書を読んでほしいと思います。

また、教育関係者の方も、失われた30年の間に何が起こったか、そして、子どもをどのように育てるべきなのかを今一度考えるために、是非、本書を読んでほしいと思います。