宇佐見りんさんのベストセラー小説『推し、燃ゆ』は、2020年下半期の芥川賞受賞作。
推しアイドルがファンを殴って炎上…そして、芸能界引退。学業も学校生活も家庭も底辺で、ままならない人生に苦しむ女子高生・あかり が、唯一、生きる原動力・心の支えの”推し”を失い、心が削られていく姿を描いています。
ページ数96ページという短い小説ながら、アイドルの推しに人生をかける、今どき女子高生の「心のうち・痛み」がずんずんと読者の心に響いてきます。
「女子高生」「推し」が自分の人生と無関係であっても、どうにもならない現実を受け入れられずに「心が落ちていく様」、何事もうまくいかず「もがく苦悩」は、いつかの自分を見ているようでもあり、読者の心が揺り動かします。
今回は、宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』の感想をまとめます。
推し、燃ゆ:あらすじ
女子高生のあかりは高校生。
アイドルグループ「まざま座」のメンバー真幸の熱狂的ファン。毎日推しについてのブログ記事を投稿するほど熱狂的なファン。
そもそも、あかりは劣等生。家族からは見放され、バイト先でも無能扱いされる辛い人生を送っている。そんな、何事もままならない人生に苦悩するあかりにとって、”推し”を追うことは、生きる支えでした。
しかし、推しアイドルが、ファンを殴り、ネットで大炎上。 活力であり支えであった”推し”の凋落と共に、あかりの人生はさらに悪化。留年・高校中退、さらに、家族にも見放され、家を追い出されてしまいます。そんなあかりに、追い打ちをかける 「まざま座の解散」と 「”推し”は芸能界引退」 の報が届くのです。
解散ライブで、あかりは、自分が情熱をかけてきた”推し”がいなくなる現実を受け入れられず号泣。コンサート終了後、街をさまよい、炎上でネットで拡散された”推し”の自宅に足を向けます。
そして、さらに厳しい現実、推しの結婚相手と思われる女性がベランダで洗濯物を干す姿を目の当たりにし、さらに、心が打ちひしがれることになるのです。
推し、燃ゆ:感想
主人公のあかりとは全く異なる人生を歩んできた私ですが、そんな私の心をも、本作は揺さぶります。作品の中に、とても印象に残る表現があったので、記しておきたいと思います。
行き過ぎた”推し”の怖さ
現代社会では”推し”というキーワードはすっかり定着。「好き」以上を表す表現として、気軽に「推し」という言葉が使われます。しかしかつてはもっとディープな言葉。オタク用語でした。あかりの推しも、ディープな”推し”です。
あかりの”推し”は”アイドルへの軽い恋心”とは全く異なります。異性を見る目と言うより、信仰に近い。「神」のような存在です。作品や推しの言葉に触れ、「推しが見る世界を見たい」と感じていました。
信仰を通じて神とつながるように、あかりは、ファンとして”推し”とつながり、そして、自分が生きる支えとしています。そして、同じような気持ちで推しを慕うファンとゆるくつながることで、「自分の存在」、「アイデンティティ」を確かめていました。
その結果、”推し”という存在がいなくなることで、自己が保てなくなってしまった… 他者に心を依存させ過ぎたが故の、自己崩壊と言えるのかもしれません。
夢中になりすぎと依存になる
何かに夢中になることは、一般的にはいいことです。それだけで人生が楽しく豊かになります。しかし、依存し過ぎはNG。歯車が狂ったときの代償が大きすぎます。しかし、現代社会ではこのような、”依存的推し”に陥ってしまう人が増えているように私には見えます。
或る意味、豊かになった代償なのかもしれません。なぜって、食うこと・生きるために必至なら、推しなどに占有されている暇などありませんから。
「自分の背骨を奪われる」感覚
解散ライブで、推しがいなくなる現実を受け入れられなかったあかり。その自分の様を、あかりは「自分の背骨を奪われる感覚」と表現しています。とてもうまい表現だなぁ…と感嘆しました。
背骨が奪われる、とは、自立できない状態です。今まで自分を支えていた存在がなくなり、自分で自分を保てなくなった。確かにそれは、「背骨を奪われる」ことに相当します。
この「背骨を奪われる」に相当するような、秀逸な気持ちの表現が、本書には散らばっており、その気持ちに共感できます。このような表現に、是非、本作品を通じて出会ってほしいです。
「炎上」に人の醜さを垣間見る
本作には「炎上」の様子も描かれます。
・アンチが炎上を煽る
・ちょっと前までのファンが、炎上した途端にアンチに豹変する
その背景には、
・「アイドル」と言う身分に対する妬ましさへの仕返し(的なもの)
・「裏切り」への報復
「嫌い」に豹変した人は恐ろしい。SNSで起こる炎上をみて、切に思います。
ココで大事なのは、「嫌い」は相手を貶めるだけでなく、自身も膨大な「エネルギー」を消費し貶める行為であるという点です。「アイツ、嫌い。腹が立つ!」と思うと、カリカリして、集中力が奪われます。嫌いならその人のために無駄な時間を使わない方が合理的なはずです。それなのに、あえて「嫌いなモノのために時間を割く」とは非合理の極みです。
「嫌い」という感情の対処法を知らないと、人生損します。使い方を知っていると「嫌い」という感情をコントロールして、うまく人生に役立てることができます。中野信子さんの「嫌い!の運用」には、大変ためになることが色々と記載されていて、おすすめです。自分の時間を無駄にしないためにも、読んで損のない本です。
最後に
今回は、宇佐見りんさんのベストセラー小説『推し、燃ゆ』の感想を紹介しました。
私にとって本作は間違いなく「推しの1冊」です。全く異なる人生を送る人にも、あかりの揺れ動く心は、あなたに共感をもたらすはずです。そして、優れた小説、言葉と出会うことの大切さも教えられるはずです。