「デフ・ヴォイス」=「ろう者の声」
丸山正樹さんの小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』は、17年前に法廷で耳に障害を持つろう者である容疑者に手話通訳したことがきっかけで、事件に巻き込まれていく、現在と過去が交錯する社会派サスペンスです。2023年12月に放送された草彅剛さん主演の務めた同名NHKドラマでも話題となっています。
耳の聞こえない両親の間に生まれた耳の聞こえる子供「コーダ」として育った主人公・荒井尚人が、「2つの殺人事件」と「デフ・ヴォイス」=「ろう者の声」と向き合い、真実を追求する姿が描かれています。
ミステリーとして面白い以上に、ヒューマンドラマとしても深い感動がある作品です。多くの人にとっては身近ではない「手話」「音のない世界」を知ると同時に、ろう者とその家族が背負う苦労・苦悩、さらには「言語・言葉」の大切さに気付かされます。
私は、小説・NHKドラマの両方で本作を味わいました。原作小説、NHKドラマを両方味わって感じたことも合わせて紹介します。
目次
デフ・ヴォイス:あらすじ
彼は両親がろう者、兄もろう者という家庭で育ち、ただ一人の聴者(ろう者の両親を持つ聴者の子供を”コーダ”という)として家族の「通訳者」であり続けてきたのだ。
ろう者の法廷通訳を務めていたら若いボランティア女性が接近してきた。現在と過去、二つの事件の謎が交錯を始め…。マイノリティーの静かな叫びが胸を打つ。衝撃のラスト!
弱き人々の声なき声が聴こえてくる、感動の社会派ミステリー。
― 「BOOK」データベースより
荒井は、耳が聞こえない両親をもつ「コーダ」(Children of Deaf Adults:CODA)であることで、子ども時代より複雑な感情を抱えながら生きていました。家族の中で自分だけがハンディなく「耳が聞こえる」ことで、家族、および、周囲の人から疎外感を感じていたからです。ろう者家族とみられることで、周りからは差別的な見方をされたり、また、自分を犠牲にして、子どものころから家族に通訳をしなければなりませんでした。そんな状態に嫌気がさし、荒井は、ろう者=デフ(Deaf)とは距離をおいて生活をしていました。
しかし、警察を辞めた荒井。警備員のアルバイトをしながら、ハローワークで就職先探しをするも、過去の経歴が災いし、再就職先が見つかりません。困った荒井は、今まであえて遠ざけていた唯一の特殊技能「手話」を活かして、手話通訳士の道を選びます。
そんな、尚人のもとを刑事の何森稔が訪れ、最近発生した殺人事件について尋ねます。それは、17年前に荒井が手話通訳を担当した、決して忘れることのできない事件と関係していました。
〈あなたは、私たちの味方?それとも敵?〉
荒井は、17年前の事件で容疑者と一緒にいた女の子に手話で質問された言葉を思い出します。事件以来、ずっと頭に残り続けてきた言葉です。
自分はどちら側なのか?この言葉は、ろう者・コーダー・聴者を単に隔てるだけでなく、文化やアイデンティティにもかかわる深いテーマであることを、読み進めながら考えさせられます。
そして、この言葉の解明と共に、現在と過去の事件は、思わぬラストを迎えるのです。
デフ・ヴォイス:感想
ここからは、。デフ・ヴォイスの感想、および、心に残った言葉をまとめます。
「聴覚障害者」と「ろう者」
一般的に、聴こえない者/聴こえる者を示す表現は、「聴覚障害者・健聴者」です。「聴覚障害者・健聴者」は差別用語ではありません。
しかし、「聴こえない者」の側は、自らを称するのに「ろう者」、「聴こえる人」は「聴者」という表現をを好むそうです。確かに、ろう者のメンタリティを考えると、「ろう者」「聴者」という表現の方がやさしく、自己のアイデンティティを健全なものにしてくれると感じます。
さらに、手話や文化を理解するなら、小文字の「deaf」ではなく、「Deaf」大文字のDeafが適切であることが、本書のストーリーの中でも語られます。大文字の“Deaf”はデフコミュニティへの尊重する表現であり、この言葉を使うことが、異なる文化やコミュニティに対する理解を示すことになるからです。
私は本作を読むまで「ろう者」という言葉すら知りませんでした。本作を読んでいると作者・丸山正樹さんが、もっと多くの人にDeafの世界を知ってほしいという気持ちも伝わってくるように思います。
手話会話も単なる「技術」ではない
経験の浅い話通訳士の中には、手話の技術は達者でも、ろう者から見ると言葉が通じないケースがあると言います。会話は単なる技術ではありません。大事なのは心を通わすことができるか―。信頼関係が築けるか―。
荒井には「聴者」「ろう者」両方の文化感覚・言語感覚を持っています。
手話にも種類があり、現在、手話学校で教えられる日本語の発音に合わせた手話は、生まれながらに発音を聞いたことのないろう者の方にとっては、「外国語も同然」です。このようなことは、本作を読むまで、考えても見たことがありませんでした。
Deafに限らず、会話は技術ではありません。ビジネス会話技術がいくら達者でもそれだけでは、相手の言葉は心に響きません。話をしたい相手にはなりません。
相手を配慮し、共通の文化・言語を背景に、会話ができるか。相手の文化・背景まで理解して接することの大切さを、改めて感じさせられます。
差別・区別、他者への理解
多分「聴者」は、意識/無意識的に、手話で話す相手をファミレスで見かけたら、自分と彼らはどこか違うと区別しています。
無神経な人たちは、それを声に出し、「どうせ、彼らには聞こえないから」と辛らつな言葉を仲間同士で発します。本作にはそんなシーンも描かれています。
こういう思いやりのない行為を、たとえ無意識であってお、やってしまっていないか―。
Deafに限らず、自分とは異なる年代の方、異文化の方、民族の違い… 私たちはすぐに人を隔てて、自分とは違う文化に生きる人を軽んじます。人間は「区別」「差別」したい生き物なので、これは仕方ありません。
しかし、そんな自分に気づいた時、本作は自分を正すきっかけを与えてくれると思います。サスペンスとしても面白いですが、「社会への問いかけ」を、是非、本書から受け取ってほしいです。
テレビドラマと原作小説
最後に、テレビドラマと原作小説について。
テレビドラマは、役者さんの縁起が素晴らしく、大変、興味深い作品になっていました。特に「ろう者が饒舌に語る」シーンは秀逸。小説はあまりピンときませんでしたが、映像で表現される「会話のない中、変化する表情、カサカサと服がこすれる音」などで、「饒舌な語り」が伝わってきました。
ただ、テレビドラマは「時間という制約」があるために、ミステリーの解明(展開)が性急過ぎる感じがしました。原作小説では、その展開をじっくり味わうことができます。
テレビドラマを見てイマイチ納得感が得られなかった方も、割と楽しめた方も、是非、小説で、ラストシーンまでの展開を楽しんでほしいと思います。
最後に
今回は、丸山正樹さんの小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を紹介しました。
社会派ミステリーの魅力は、普段あまり気にしていない「社会のひずみ」「社会問題」に主人公を通じて向き合わせてくれることです。視野が広がります。一つの社会問題を、広い目線で見れるようになります。
是非、本書を読んで、そんな気づきをえて頂けたらなと思います。