【書評/要約】セイレーンの懺悔(中山七里 著)(★4) 報道の自由・国民の知る権利が「錦の御旗」となってさらなる不幸が量産される現代を斬る

セイレーンとは何かご存じですか?

サイレンの語源とも言われる「セイレーン」は、ギリシャ神話に登場する海の魔女。上半身が人間の女、下半身が鳥。岩礁の上から美しい歌声で船員たちを惑わし、難破に誘う人魚、であり、怪物です。

人気作家 中山七里さんの「セイレーンの懺悔」は、女子高生誘拐殺人事件を暴く犯罪ミステリー。しかし、真のテーマは、報道の自由、国民の知る権利が錦の御旗となって「セイレーンの歌声」のように、視聴者を耳触りのいい言葉で誘い、不信と嘲笑の渦に引き摺り込もうとすること、そしてそれを視聴する視聴者もセイレーンの加担者となっている現代を斬ること。

私たちは情報があふれる時代に生き、常にマスコミの情報に翻弄されています。そして、人の痛みに鈍感になった視聴者たちも、不注意のつぶやきなどで、人の心を痛めたり、さらなる不幸を量産したりしています。情報との付き合い方、人の痛みと想像力について、考えさせられる小説です。

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セイレーンの懺悔:あらすじ

セイレーンの懺悔:あらすじ

マスコミは、被害者の哀しみを娯楽にし、不幸を拡大再生産する怪物なのか。

葛飾区で女子高生誘拐事件が発生し、不祥事により番組存続の危機にさらされた帝都テレビ「アフタヌーンJAPAN」の里谷太一と朝倉多香美は、起死回生のスクープを狙って奔走する。
しかし、多香美が廃工場で目撃したのは、暴行を受け、無惨にも顔を焼かれた被害者・東良綾香の遺体だった。綾香が“いじめられていた”という証言から浮かび上がる、少年少女のグループ。主犯格と思われる少女は、6年前の小学生連続レイプ事件の犠牲者だった……。

多香美が辿り着く、警察が公表できない、法律が裁けない真実とは――
「報道」のタブーに切り込む、怒濤のノンストップ・ミステリー

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仕事に対する使命感と自己嫌悪

朝倉多香美は配属2年目の若い社員。一方、里谷太一はベテラン社員。

多香美はマスコミとして真実に迫ろうとする中で、マスコミという仕事の使命を持ちつつ、マスコミに対する厳しい意見に自己嫌悪・罪悪感にさいなまれます。そして、これが「懺悔」につながっていきます。

真の犯人は…

事件の犯人は、当初、警察・マスコミが追っていた相手とは全く異なる人物であることが、間一髪、多香美が犯人に殺害されそうになるという局面を持って、明らかになります。

果たして、真の犯人は、そして、なぜ犯人は若き女子高生を手にかけたのか…最後の最後に真相が暴かれます。本記事では伏せておきます。

セイレーンは何を懺悔したのか

多香美は一連の事件を通じて、所属局が犯した誤報、そして、真実を追うマスコミの使命の傍ら、それを報じるマスコミの影響力について、現場レポートを通じて懺悔します。

マスコミは人が最も暴かれたくないことを暴きます。それが様々な不正を暴いたり、封じたりしていることは事実です。

しかし、マスコミは、時に人を「生贄」とし、そこに、人の痛みに鈍感、かつ、想像力に欠けた世人が乗っかることで、さらに追い込まれた弱きものの逃げ場を失い犯罪者にさせてしまうこともあります。

報道の自由、国民の知る権利、などと言われますが、それらは、ある意味「セイレーンの歌声」そのもの。それが「錦の御旗」となり、正義を振りかざすが、実際に行われるのは、真実の追求でも被害者の救済ででもなく、当事者たちの哀しみを娯楽として楽しんでいるだけだったりする。

こういう、現状があることを、本書は、小説を通じて、語りかけてきます。

セイレーンの懺悔:感想・気づかされたこと

【書評/要約】セイレーンの懺悔(中山七里 著)

ここからは本書を読んで、ストーリーの中で気づかされたことを中心に紹介します。

リアリティのある死、死に対する覚悟

事故死・病死・自殺・他殺…. マスコミは、しょっちゅう人の死を取り扱う仕事です。犯罪小説のように、死体の状態を具体的に描写する必要はない。むしろ、そんなことをしたら視聴者に批判される。しかし、実際に「死」を知っているかどうか、それが報道のリアリティに影響する。死も百聞は一見に如かず。リアリティというより覚悟の問題だ。といったシーンが登場します。

このシーンを読んでいて感じたのは、マスコミに限らず、平凡に暮らしている私たちも、もっとリアルに「死」を感じるべきであり、もっと「死」について考えるべきだということ。

特に、マスコミで報じられる「死」は一個人にとっては軽い。しかし、祖父祖母、両親・兄弟姉妹の死を目の前にすると「死」というものは全く異なり、「生の尊さ」を実感させられます。

養老孟司さんの著書「死の壁」は一読しておくべき良書。「なぜ、私たちは死体は気持ち悪いと思ってしまうのか」、「死体は気持ち悪いのに、なぜ、家族など身近な人の死体はそうは思わないのか」など、死に関する理解を深めてくれます。

映像操作は至るところに

事件映像では「ヘリなどからの俯瞰映像 → ビニールシートが移る現場の寄り映像」というものが多いですよね。

俯瞰映像というのは「神の視座」。全てを見通しているかのような全能感を醸し出す。しかし、しばらく見ていると飽きが早い。客観的過ぎて、迫真性に欠ける。だから、現場に近いブルーシート映像などが流れる。何気ない映像にも、心理操作が行われているのだなぁ…と思った次第です。

視聴者にも問題あるなぁ..と思うこと

犯罪を追う点では一緒な報道と警察も一緒です。しかし、登場する警察官はマスコミに対して以下の言葉を吐き捨てます。

俺たちは被害者とその家族の無念を晴らすために働いている。だけどあなたたちは不特定多数の鬱憤(うっぷん)を晴らすために働いている。

不特定多数=視聴者のこと。視聴者が憤慨して社会問題になるようなスクープであるほど視聴率はアップ。「人の不幸は蜜」という言葉が物語るように、の味視聴者は意識はこそしていませんが、視聴者自身が事件が白日の下に晒されることを、どこかで面白がったり、自分より不幸な人を見てマウントを取っているところは確かにあります。

SNSではネトパトという言葉もありますが、SNSでの批判などは最たるものです。「非道な犯罪者=敵にどんな事情があろうと、許してなるものか!」と、徹底的に容疑者が事件を起こした背景、素性・内面性など、本人が最も隠しておきたい秘密まで、白日の下に晒されることを面白がっています。

私は、報道・視聴者の憎悪渦巻く感情、キャスター・コメンテーターの薄っぺらいに倫理観に触れたくないので、ワイドショー・バラエティ色のあるニュースなどは一切見ないことにしています。こういう「負の感情」に触れたくないのです。

自分の仕事に敗北感を感じた時、自分を奮い立たせる言葉

マスコミは力が大きいが故に、その姿勢について問われることはあり、現場にいる人たちは、自分の仕事に誇り・使命感を持つ傍ら、自己嫌悪・罪悪感・敗北感に悩まされあることがあります。

しかし、このような、自己嫌悪・罪悪感・敗北感は、マスコミという職に限ったことではありません。仕事への使命感がわからなくなり敗北感にさ苛まれたとき、人はどうやって、再び気持ちを奮い立たせればいいのか。そんな問いに対する一つのヒントが、そんな里谷の多香美に対する言葉にありました。

どんな商売でもそうだろうが、その道に進もうとしたきっかけや動機に立ち戻ってみる。
駆け出しの頃だから業界の常識に洗脳されてもいない。会社の社是も知らない。自分がいったい何のためにテレビの仕事をするのか、自分はこの世界で何を実現したかったのか。

それを思い出すだけで、案外霧は晴れていく。

覚えておきたい言葉です。

最後に

今回は、中山七里さんの小説「セイレーンの懺悔」を紹介しました。

中山七里さんの小説は、時代の負の側面を切り取り、私たちに問いかけてくる作品がたくさんあります。ストーリーが面白いのと同時に、いろいろ、生き方を考えさせられたり、社会を観る目を養ったりするのに参考になります。是非、手に取って読んでみてほしいです。