【書評/要約】母を捨てるということ(おおたわ 史絵 著)(★5) 依存症モンスター「毒親」との壮絶な闘いの告白

いっそ死んでくれ
これが自分を産んでくれた母親に対する言葉だとしたら皆さんどう思いますか?

毒親 ——— 過干渉や暴言・暴力などによって子どもに重圧を与えたり、親の都合を優先し、子どもをかまわなかったりする親のこと。

ここ数年、「毒親」というキーワードが並んだ書籍を見ることが多くなりましたが、遅ればせながら、初めて読んだのが、おおたわ史絵さんの著書「母を捨てるということ」。とにかく壮絶です。「いっそ死んでくれ」と心思ってしまうのもいた仕方ないと思える現状がそこにはありました。

本書を読むと、ごく平凡でも普通に育ててもらうことがいかにありがたいことであるか、恵まれたことであるかと思わざるを得ません。両親に本当に本当に感謝しなくてはいけない。そんな気持ちになりました。

両親・身内に苦しめられている方は、共感し気持ちを少しでも安らげるため、
両親・身内とわだかまりがある方は、親に対してもっとおおらかな気持ちを持てるように、、
両親・身内と円満な方は、自分がいかに幸せで恵まれているかを知り、世の中すべての人に感謝するために、読んでほしい一冊です。

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母を捨てるということ:壮絶な幼少期

【書評/要約】母を捨てるということ(おおたわ 史絵 著)

「いっそ死んでくれ」と願う娘と「産むんじゃなかった」と悔やむ母。
本書は、薬物依存症の母を持った著者のタブーともいえる告白です。

幼少期

おおたわ史絵さんは、総合内科専門医。
母は医者の父の2番目の妻。〝他人の亭主を奪った女〟という不名誉な塗り替えるにはどうすればいいか? そんな母がとった行動は、「自分の子供を見事に育て上げ成功者」になることこと。結果、エクセントリックなほどの教育ママに。

子供に対しても心底笑うことはなく、褒め言葉も口にしない。
いつも気分次第で怒って、睡眠薬を飲んでは眠り続ける。

この状況は、年月を経るごとに、エスカレートし、医師の父からもらう合法麻薬オピオイド依存症になっていったと言います。合法とはいっても、症状は麻薬中毒者と同じです。

子供にとってはかけがえのない母。しかし…

小さな史絵さんにとっては、暴力を振るわれようが「世界にたったひとりしかいない母親」。けっして母を憎むとか嫌うという感情には繫がらなかったと言います。むしろ、どうしたら「母に振り向いてもらえるか」と懸命に毎日を模索したと言います。

ただ、様々なせっかんを受ける中で、最もトラウマとなったのが「ミルクセーキ事件」。家政婦がいるので、普段、炊事・洗濯・掃除をしない母がミルクセーキと作って持ってきてくれた。しかし、飲み終えた後… 「ふふ、それね。下剤が入ってるんだよ」と歪んだ笑顔を見せたと言います。その後、史絵さんが下痢に苦しんでも、何一つ心配しなかったと言います。もう、怖すぎです…

大人になって、母の依存症に立ち向かう

エクセントリックな教育ママでも、高校生になるともはや母が勉強を見ることは無理です。だから、母から逃げる唯一の方法が「勉強」。とにかく勉強し、無事医師資格を取得。

「立派な子供を育てた母」となる目標は達成されましたが、結婚して家を出ても、毒親の母から解放されることはありませんでした。

今でこそ、毒親ニグレクト依存症の怖さは世間一般にも知られていますが、当時は、そんな言葉もなければ、医者であってもどこで治療を受けたらいいのかわからない時代。

やっと見つけた病院で、医師に告げられたのが「今すぐ、あなたと父が入院しなさい」という言葉でした。

なぜ、母を捨てたのか

【書評/要約】母を捨てるということ(おおたわ 史絵 著):依存症の恐怖

母の依存症の克服… 家族の戦いは壮絶です。

なぜ、家族に治療が必要なのか

依存症の家族はみんな、自分たちも病的な状態になってるの。依存症に巻き込まれてるの。だってほらあなた、毎日の生活もままならないでしょ? 

上記は、初めての診断で医師から告げられた言葉です。史絵さんは、母に何も告げず、父とともに即入院することを決めます。お世話になったのは、依存症当事者とその家族のための病院。

入院で行われるのは、「ミーティングという治療」ただ一つ。薬はもちろん、特別な心理療法やテスト、カウンセリングも一切なし。ただ、同じ問題を抱える家族と現状を語り合う。

そこで、生まれて初めて〝仲間〟に出会えたみたいな感覚に心が震えたといいます。「同じ悩みを持つ人と、悩みを分かち合い、共感する」こと。この重要性にはじめて気がつきます。

依存元を断つと、今度は「買い物依存症」に

イネイブラーとは、依存者が何らかの形で依存することをサポートしてしまう人のこと。家族は依存を辞めさせたいと切に願う一方、あまりに騒がれるとと依存物を与えてしまうということはよくあること。善意の愛ある関係者ほど、イネイブラーになりやすい現実があります。

史絵さんは、入院後、絶対にイネイブラーにならないと決意し、実行に移します。しかし、依存症の怖さを別の形で思い知ります。

今度は、母の依存症が「買い物依存症」にすり替わってしまったのです。

欲しいのは買うまでの高揚感。現実逃避のために、欲しいわけでもないものを、テレショップで次から次へ買い続け、家の中には未開封の箱だらけと化しました。

依存症の怖さ:元を断つと依存先が別のものに変わる

依存症が怖いのが、対象物が取り上げられると、対象物を変えて再び依存にはまることです。アルコールを取り上げると暴力が始まる、ギャンブルを止めるとSEXに走る。これも同じく依存症です。

母は、父が入院し痩せ衰えていっても、次第に見舞いにも行かなくなり、父76歳、命のカウントダウンが始まったと告げられても、「家に帰る」と叫び、自宅に帰って一心不乱にテレビショッピングにいそしんだと言います。

告別式にも参加せず、葬儀がひと段落した後は、今度は、残されたお金(遺産)にひどい執着を見せ、急激に金銭トラブルを起こすようになったと言います。

一連の母の奇行の結果、史絵さんにとっては、母は殺したいほどの憎悪の対象でしかなくなりました。

最後の選択「母を捨てよう」

母を殺してしまおう

「このままでは母に手をかけてしまうかもしれない」という恐怖におびえたと言います。それと同時に、「私も、感情が制御不能になって、手を挙げてしまう母と同じ血🩸が流れている」とハッとしたと言います。

そして、史絵さんは、この日から、「心のなかで母の存在を殺した」=「母を捨てた」のです。

依存症の恐怖

【書評/要約】母を捨てるということ(おおたわ 史絵 著):依存症の恐怖

依存症の怖さの一つとして、「依存元を断っても、別のものに依存先が遷移する」怖さがあると述べましたが、これだけでは終わりません。

依存症問題は世代を超える

依存症はたやすく治る病気ではありません。しかも、依存症は患者よりも家族のほうが先に苦しむ病です。

さらに、負の連鎖は世代間を超えて引き継がれます。つまり、親が依存症の毒親なら、子どもは健やかに成長できず、再び、彼らの子どもにも影響が連鎖してしまうのです。

結果、依存症家庭で育った子供はとかく人生が両極端になってしまう。
自分も破滅的な道を歩むか、疲弊しながらも徹底的にトラブルを避ける生きかたを選ぶか…

どっちにせよ無条件にくったくなく笑える人生とは程遠くなります。少年院や刑務所に何度もお世話になる再犯者にも、「成長環境」が極めて大きく関わっています。

依存症になる人の特徴

では、依存症になる人は、どんな人なのか?特徴は大きく6つあります。

依存症の特徴

①自己評価が低く自分に自信が持てない
②人を信じられない
③本音を言えない
④見捨てられる不安が強い
⑤孤独でさみしい
⑥自分を大切にできない

依存症の方は、寂しくて孤独で誰よりも不安なくせに、正直になれないので他人に強がりやヘソの曲がったことばかり言い、その結果、社会ともうまく付き合えずに、またどんどん孤立してしまうのです。

依存症は社会全体の問題

依存症に陥るのは、単に、脳が刺激を欲しがる。快感快楽に溺れてたいからだけではありません。「つらさや苦しさを軽くするためにしかたなく使っている」ケースの方が多い。他人からはわからないかもしれないけれど、生きるためのドーピングとして依存物が必要な人も多いことを理解したい。

依存症は個人の問題とはいえない、「社会全体の問題」。

温かさや愛情や楽しさもない社会では、人間は生きにくくなる。だから、社会が変わらなければ、依存症もなくならないのです。

依存者から、いかに生きづらさを取り除いてあげられるのか。そして、勇気を持たせ、自信を与え、他人を信用するという変化を起こさせるだけの情熱と根気と敬意と愛情を与えてあげられるか。

〈Addiction=依存〉の反対は〈Sober=シラフ〉ではなくて、〈Connection=繫がり〉

どんなことがあっても見捨てないことを示してあげることです。そして、これが最後までできるのは 「家族」しかいません。

母の死先にあったもの。多くのことを学ぶ

【書評/要約】母を捨てるということ(おおたわ 史絵 著):母の死で転機

心の中で母の存在を殺し、無視し始めても、被害がなくなったわけではありません。依存というモンスターに互いに感情を食い潰された結果、白々しいほど一定の距離感を保ち、何年も平行線上を歩き続けます。そして、結果的に最期の瞬間を孤独に迎えさせてしまいます。

母の死の先に合った「無」

父の死の先にあったのは「悲しみ」。しかし、母の死にあったのは、動揺も悲しみも安堵も何もない「無」だったと言います。「これで終わった」という思いだけが頭をぐるぐる回っていたと言います。

そして、母のことを言葉にするには時間がかかったと言います。本の執筆は、醜い身内の醜態をさらす「タブーな行為」。しかし、必要な行為だったと、史絵さんは振り返ります。

辛いことを整理する

言葉にすることでかつてのもやもやした感情が、すっと 腑 に落ちる瞬間があった。
実際の出来事を整理して書き進めるうちに、当時はどうしても理解できないと諦めていた母の心の内が、少しだけ見えたような気がした。

悩みを書き出し、整理してみると、見えてくることがある」「悩みが解決可能な問題に変えるきっかけとなる」とは、多くの賢者が語る事実です。

ただ、母をどれだけ嫌いながら生きてきたか、自己嫌悪にもなったと言います。ただし、それを乗り越えたからこそ、今の史絵さんの活躍がある。事実、本書は多くの人を救ったり、大きな気づきを与えたりすることにつながっています。

わたしのあのクソみたいな経験があったからこそ、できることがある。

深い言葉です。

最後に

今回は、おおたわ史絵さんの著書「母を捨てるということ」を紹介しました。

世の中には、血のつながる家族とちょっとしたことが原因で確執を抱えた親子・家族がたくさんいます。本書を読むと、少しぐらいの確執なら、歩み寄ろうという気持ちにもなれるのではないでしょうか。

普通の暮らしがいかに幸福かを再認識すると同時に、社会に対してもっと寛容になるためにも、是非、多くの人に本書を読んでいただきたいです。