人間を人間たらしめるのは「言葉」。
人間は、言葉で思考する。言葉を使って自らの生や死について考え、相手に想いを伝える。人を説得し、交渉し、関係を切り結ぶ。そして人生を前に進めていく。赤ちゃんは言葉を持たない。だから、赤ん坊には人生や世界がない。
では、人間としての言葉を獲得するにはどうすれば良いのか。
著者である、出版界の革命児 幻冬舎代表取締役社長の見城徹さんは、【それは、「読書」をすることに他ならない】といいます。
言葉は、人生の大きな武器となります。読書を通じて一生で経験できないことを学べるからです。
しかしタイトルに「荒野」とある通り、見城さんにとって、読書は娯楽ではありません。「苦しくなければ読書じゃない」といいます。
それは、なぜでしょうか?
それでは、見城さんの読書論についてみてきましょう。
目次
自己検証、自己嫌悪、自己否定がなければ人間は進化しない
見城さんは、「自己検証」、「自己嫌悪」、「自己否定」の3つがなければ人間は進歩しないと言い切ります。
人は、人生の中で躓く、辛い時が必ずあります。そんなとき、どう苦悩し、思索し乗り越えらるかで人は成長します。
この先人の壮絶な苦悩を簡単に追体験できるのが読書。
自己検証、自己否定をを繰り返し繰り返し、自己嫌悪の葛藤の末に自分の言葉を獲得する。その言葉で思考して、思考仕切る。その格闘の末、最後の最後に、自己肯定して救いのない世界から立ち上がる。これにより人生が切り開かれる。
人の壮絶な人生、葛藤、苦悩に出会い、自分の甘さを認識する。そして自分の自己否定、自己嫌悪になり、それでも考え、次のステージ=成長する。
だから、読書の量が人生を決めると言っても、決して言い過ぎではないのです。
ビジネス書や実用書だけではだめ。そこには結論しかない
最近ではあらゆる場所で「教養」の重要性が語られています。しかし、見城さんは、「様々な情報を知っている人=教養ある人との説は違和感。教養とは単なる情報の羅列ではない。」と指摘します。
例えば、ビジネス書や実用書には結論しか書かれていません。
本来、優れたビジネス戦略の裏には、当事者が胸をかきむしりながら思考し、汗水を流しながら実行するプロセスがあるのです。そこには、理論やノウハウではない人間の格闘がある。
しかし多くの場合、ビジネス書にはそうしたプロセスは表現されず、成功体験だけが論じられます。だから、そのまままねしても、ビジネスで成功することはできないのです。
もちろん仕事のために重要な情報を取得するのは悪いことではありません。しかし、著者が考える読書とは、実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者との想像力を磨くこと。重要なのは何が書かれているかではなく自分がどう感じるかなのである。
他者への想像力を持たないものは成長しない
人間は多様で様々な価値観を持ちます。だから、他者への想像力を持たないものに、成長も達成もありません。
この力は簡単にに身に付くものではない。同時に実際の人生において、いじめられたり、理不尽を味わったり、地獄を経験すればするほど強くなっていくものです。
「読書」の意味とは、自分一人の人生では経験できないことを味わうこと。自分の問題として捉え直し、他者への想像力を磨く点にあるのです。
人は歳をとると涙もろくなります。私も本や映画に感動して涙することが多くなりましたが、これも、つらい思いを経験し、他者への想像力が若い時よりついたからなのでしょう。
読書、旅、恋愛
読書と同じような人生経験をさせてくれるものがあります。それは、旅と恋愛。
見城さんは、「読書、旅、恋愛。この3つをやり切ることで人生を豊かに生きることができる。」と語ります。
旅とは、貨幣と言語が通用しない場所に行くことです。旅を通じて見たことのないものを目にし、旅に出る前とは比べ物にならないほど思索を深めて旅を終える。一方、恋愛ほど他者の想像力を磨くものはありません。
だから、旅に出かけたり、恋愛をすることは大事。大きな自己成長のための糧なのです。
努力は、圧倒的になって初めて意味がある
本書では、見城さんが、今現在も日本で代表的な作家と言われる大勢の方々と、編集者の立場で仕事をしてきた過去、それぞれの作家と過ごした日々について語られています。
では、見城さんが名だたる作家と仕事ができるようになった理由は何なのか?
それは、編集者としての「圧倒的な努力」があったからです。
このような、圧倒的な成果を出している人の努力を知り、自分を顧み、反省し、思考し、次の一歩を踏み出すヒントをもらうためにも読書は大事なのです。
感想:自分の薄っぺらい読書に反省
私の読書といえば、もっぱら、ビジネス書。
情報を読むだけでは薄っぺらい。確かにその通り。もっと、違う読書の仕方が必要と、気づかされる本となりました。