Google先生がおおよその疑問を解いてくれる時代において、時間をかけて読書をする必要があるのか?
読書好きで、読書に価値はあると思い、本を読んできた私。確かに、読書から教わったことはたくさんある。しかし、上記疑問を投げかけられると正直回答に窮してしまう自分がいます。
では、本を創造するプロである著者 森 博嗣さんは、「読書の価値」をどのように考えているのか?
より有意義な読書ができるよう、読書の価値とはいかなるものか?ヒントを求めて読んでみました。
著者の読書 VS 私の読書
著者は、本を読むのが苦手だったのだとか。だから1冊読むのに時間がかかる。でも時間がかかるからこそ、再読する必要がないぐらいじっくり本を読み、人から勧められるものは一切読まず、自分の興味がわくものだけを読んできたという。
私とはまるっきり逆の読書スタイル。私が目指してきたのは「効率的な読書」。
本選びで失敗したくないから、選ぶのは売れ筋本や書店・知人からのおすすめ本。書店店頭では、パラパラめくって読みやすそうなものをチョイス。しかも、自分が興味がないところは飛ばし、要点を斜め読み。
私の読み方は効率的だけど、何かが欠けていたようです。
読書の大半の価値は「自分で選ぶ」こと
「本に出会うことは、人に出会うことと限りなく近い。それを読むことで、その人と知り合いになれる」
人はランダムに選んで勝手に知り合いになることはない。しかし、本は簡単に入り、しかも多様なものが用意されています。こんな商品は他にありません。本だけの特殊性です。それは人間の知恵がいかに広く多様なものに及ぶか、或いは及んでいたかということの証です。
大人の読書・子供の読書
読書には二つの側面があります。
一つは、「未知との遭遇」、もう一つは「確認」です。
子供は、自分の知らないことを教えてもらおうと興味をもった本を読む(未知との遭遇)。しかし、大人になると、「確認」のために読むことが増える。自分と相性がいい本に即効性を求める。自分の意見を後押ししてくれるような本を求め、「やっぱり思った通りだ」と自分の承認欲求を満たそうとする。
これでは、本から得られることに広がりがないよね。
知的好奇心を維持したり、広げたりするために読書が存在することを忘れてはいけません。
ベストセラーの価値
著者は皆が読んでいるものを避けて読むという。
理由は、人が読んでいないものを読むことで自分が得たものの相対的な価値が上がるから。敢えて、社会に満ちているものを自分が得なくていい。そう、判断しているのです。
インプットとアウトプット
「発想」とは現在から過去にインプットしたものが、頭の中にあって、そこからどれかとどれかうまく結びついたときにうまれた何か新しいもの。
一般的にアイデアが豊富な人と言うのは、何事にも興味を示す好奇心旺盛な人であることが多いですよね。これは、日ごろからインプットに積極的だということ。ただ、だからといって本をたくさん読んでいれば新しい発想が湧いてくるか、と言うとどうもそれほど簡単ではない。
今のご時世、わからないことは検索すればよいと考えている人も多いですが、残念ながら、頭の中にインプットしないで済ませている人からは発想は生まれない。
発想は、連想から生まれることが多いですが、これも、頭の中のインプットがあるから、「もしかしたらあれが使えるかも」という着想から、新しいアイデアにたどり着くのです。
やっぱり、インプットとしての読書は大事なのです。