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皆さん、「国家」というものについて考えてことがあるでしょうか?

著者も、「国家を考える」のは簡単ではないと言います。理由は、「国家」の二文字だけで、もう十分にめんどくさい意味がこめられているからです。また、「政治」と考える政治学と切り分ける必要があります。「国家」を考えるのは、哲学であり思想です。

まず、国家を考えるにあたっては、「国家」が持つ意味を理解する必要があります。この点から見てみましょう。

「日本」と「イスラム国」は同じ「国家」?

タイトルの答えはNo。「国家」には2つの意味があるのです。

まず、我々が英語で「国家」を示す語として思い出すのは「nation」。この語を辞書をめくると最初に出てくるのは「国家」でなく「国民」。いわゆる「国家=国民=近代国家」で、日本という国家もこれに当たります。

一方、イスラム国=Islamic Stateという国?がありますが、「State」も国を表す言葉です。この場合の「国家=領土」
「国民の支持や合意によって出来上がるもの」ではなく、「領土の確保によって出来上がる」と考える国です。「イスラム国」が武力によって「領土」となる支配地を獲得し、そこにいる住民を強制的に「自分たちの国民」にしてしまうのはそのためであり、その昔、国家といえば、「イスラム国」のようなあり方をしているのが当たり前でした。

漢字の「国(國)」には「領土=国家」のstate の意味しかない

本書では、「国」という感じの成り立ちについてもまとめられていますが(この部分は割愛)、「国(國)」という漢字には、state=領土の意味しかありません。それ故?、「国家= state」系の考え方がまだ残っており、「国家」という言葉も、「誰かえらい人のもの」「支配者」と感じてしまうのです。

しかし、20世紀以降、「国家=国民=nation」というのが世界的な常識です。「誰かえらい人のもの」ではなくて、「国民のもの」です。

国立競技場は誰のもの?

いろいろ物議のある国立競技場というと、なんとなく、自分のためのものという気がしません。

「国立」と付く建造物の多くは、大層な金をかけて造られたものであり、「国のものであるのがふさわしいように立派で、国威発揚になるように」という考えのもと作られがちです。新国立競技場もまさにそうです。

このような考え方は、「国というのは巨大なものなんだなァ」「特別なスポーツエリートが使うもの」という意識づけをさせてしましますが、本当は「国民のためのもの」です。本当ならば、「国民みんなが力を合わせるとすごいものが造れるんだなァ」と考えるべきなのです。

自分の頭で考えよう

「国家」の漢字に見られるように、国はいわゆる「家」であり、家は家長(リーダー)を必要と考えがちです。この呪縛のもと、国の家長は天皇であり、国家は天皇を擁した政府のものであり、その政府のもとに国民はいいように支配されているといえます。

しかし、「国家は我々国民のものである」です。だからこそ、自分で考える必要があります。「バカにされ、いいように支配されないようにするためにも、自分の頭で考える必要がある。そのためにも自分の意見を持つことが大切だ。」と著者はあとがきに綴っています。

哲学系、思想系の本に慣れていないため、「だから結論はなんなのよ」と読み急いてしまっている自分がいました。でも、哲学・思想を語るには、そのプロセスも大切ですよね。分野の偏った読書はよろしくないなぁ、と反省させられた一冊となりました。

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