長いと思い悠然と構えられますか。短いと思い駆け出しますか。
あと10年しか生きれないと宣告されたのならば、あなたは次の瞬間、何をしますか。
そんな冒頭で始まる小坂流加さんの小説「余命10年」。余命10年と知った若い女性の物語。涙なしでは読めません。ラストでは涙が止まりませんでした。
2022年には小松菜奈さん×坂口健太郎さんのW主演で映画が公開されました。でも、この小説は切ないラブストーリー映画で満足してはいけない作品です。
小説の中には、ただ、切なくて、泣いて感動して終わりにできないものが”確実”に存在します。「迫りくる本物の死のリアル」が小説にはあります。大事なのは、ラブストーリーではなく、この部分です。
「いかに後悔せずに「生」を全うできるか」と自分に問わずにいられなくなります。この部分を小説で味わってこそ、価値があります!
今回は、小坂流加さんの『余命10年』の感想を書き記します。
目次
余命10年:あらすじと著者
あらすじ
数万人に一人という不治の病にかかり、余命が10年であることを知った20歳の茉莉。
笑顔でいなければ周りが追いつめられる。何かをはじめても志半ばで諦めなくてはならない。
死への恐怖を薄めるために、未来を諦め、淡々とした日々を過ごす。
恋もしないと心に決めていた茉莉だったが….
作者:小坂流加(こさか・るか)
静岡県三島市出身。第3回講談社ティーンズハート大賞で期待賞を受賞。
この本を読み終わるまで、作者の小坂流加さんがどんな方かも知りませんでした。しかし、最後の作者紹介を読んで驚きます。
小坂さん自身が、本作の編集が終わった直後、病状が悪化。 刊行を待つことなく、2017年2月に逝去されたというのです。本書の発刊は2017年5月。自分が魂を込めて書いた作品が世に出るのを目にすることなくお亡くなりになられたと知り、さらに、涙が流れました。
人生について、様々なことを考えさせてくれる
本作は実に自分の人生についていろんなことを考えさせられ、そして、教わりました。
病気で死にゆく感情・身体の描写に胸が痛くなる
本書の中には、死が迫る茉莉の心理的・身体的描写が複数登場します。
上述した通り、作者 小坂流加さんは、本作の発刊を待たずして、病気が悪化して亡くなりました。このような状況下で書かれた作品ですから、フィクション小説ながら、まさに病気によって蝕まれる心や身体の描写がリアルで、読者の心に響きます。
そうやって優先順位がどんどん変わっていった。体の機能が少しずつ奪われていくたびに、こんな些細なことにも体の機能の秩序が必要なのかと思い知る毎日だった。
失って、気づいて、けれどもう失ったものは取り戻すことができない。死ぬって退化の最果てにあるのかもしれない。
病はむごい。人から様々なものを奪い去っていく。若いうちから健康に気を付けることがとても大事だと改めて思う。
私はかつてがんで死にゆく義母の看病経験があります。その時の義母の姿が上記描写にかぶる。快活でオシャレだった義母が、髪のケアができなくなり(ごまかすためにニット帽をかぶっていた)、もともと痩せていた体は益々痩せ、目がくぼんで目がギラついて見えるのに、おなかだけは水が溜まってポッコリ。小坂さんが描写したそのものの状況で、義母を痛々しくて凝視できませんでした。その時に抱いた様々な感情が、リアルによみがえりました。
まさに死を感じる瞬間に襲う感情のリアルさに身が震える
私にとって、最も心をえぐった文章は以下の記述。自分が死を追体験したように感じました。
白い世界の中で、ああ、もうだめなのかもしれないと思った瞬間、ものすごい力で下へ引きずり込まれる感覚を感じた。ベッドの柵にしがみついた。それでもあらがえない力で引きずり込まれるので、周りにいた医師の白衣を掴んだ。怖かった。当たり前だけど前もって知らされていなかった『死』へ引き渡されていく感覚に、わたしは激しく動揺した。(略)
医師たちの適切な処置で、何とか踏みとどまることができたけれど、あれは間違いなく『死』だった。今でも引きずり込まれるときのあの力強い感触がよみがえると鳥肌が立つ。なんとしてでも逃げなきゃとつかんだ医師の白衣の感触もまだ覚えている。怖かった。『死』は想像の何百倍も怖いものだった。でも確実にまたあの瞬間は訪れる。
次はもう、あらがえないかもしれない。でもあの恐怖を受け入れない限り、わたしの今も終わらない。人間らしく生きているとはとても言えない今の生活を終えるには、もう一度あの瞬間にきてもらわないといけないのだ。
死にゆくときはこんな感じなのだろうか…
過去、生物学的どのように死ぬの過程を描いたビジネス書・実用書を何冊も読んだ時期があります。しかし、ビジネス書・実用書の類で感じる「死」はあくまでも他人事でした。しかし、上記描写を読んでいると、まるで「死の追体験をしたようなリアリティ」を感じずにいられません。
著書「読書という荒野」で、著者の見城徹さんは、ビジネス書や実用書だけの読書はダメだと指摘。ビジネス書にあるのは結論で、そこには、当事者が胸をかきむしりながら思考し、汗水を流しながら実行するプロセスがないと述べています。
「人の壮絶な人生、葛藤、苦悩に出会い、自分の甘さを認識する。そして自分の自己否定、自己嫌悪になり、それでも考えるからこそ成長する。そんなことを教えてくれる苦悩する読書が大事
まさに、上記描写は茉莉、そして、著者の小坂さんの苦悩です。先人の壮絶な苦悩を追体験し、「自分事である死」を感じました。小説を読む価値って、こういうところにもあるのだと痛感する次第です。
病気は多くのモノを失う。それでも残る「家族」のつながり
急速に両手から零れ落ちていくのを止められなくて、怖くなって、だったらいっそ自分から捨ててしまおうと手放したものもたくさんある。
将来を夢見る力を捨てた。仕事への憧れを捨てた。人と同じ生き方を捨てた。子供を作る希望を捨てた。結婚を捨てた。恋を捨てた。友人を捨てた。愛する人を捨てた。
残ったのは家族だけだ。それだけは捨てられない。捨てたくともこれを捨てたら生きる手立てがなくなってしまうというドライな理由のみで手元に残した。わたしに残ったたったひとつのもの。その人たちがわたしを認めてくれている、受け入れてくれているということはそのまま生きる価値につながっている。
あらゆるものを失って、それでも残る「家族」。とてもありがたい存在であることを改めて実感します。
後悔をしない生き方をしたい
茉莉は、余命10年を告知され、「大事なものをなるべく作らない」という生き方を選択しました。その理由を、茉莉は「救われたかもしれないけど、逆に自分の何かがは壊滅的に崩壊していたに違いない。」と述べてます。
しかし、大好きな人への思いを断ち切って別れるにあたって、ちゃんと生きること、自分の夢を投げ出さないこと・逃げ出さないことを約束させ、そして、茉莉自身も、「何かを生み出したい」「生きた証を一つでも世に残したい」という思いで、茉莉も小坂さんご本人も自分を振り絞って作品を生み出します。
やっぱり、人は、余命を宣告されようが、やっぱり何かをなし得たい。いや、タイムリミットがあるからこそ、そう思い行動できるのかもしれません。現状維持の生き方に不安・不満を抱えていても、結局やらずに何十年と断ってしまう人が大半です。
本書を読み終えて思うことは、後悔をしない生き方をしたいということ。
人生は長いと思っていても、何があるかはわからない。明日、交通事故で死んでしまう可能性だってあるのです。自分の人生は毎日「死」に近づいていると自覚して、やりたいことや目標を実現しなければ、待っているのは後悔です。
どんな人生を生きるかは自分次第。よりよく、自分らしく生きたいなら、自分はどう生きたいのか考え、実現に向けて行動していくしかありません。
時間を大事に、自分を大事に生きたいと思います。
最後に
今回は、間もなく映画公開を控える「余命10年」の原作を紹介しました。
私の思いを書き綴ってみましたが、本作から得られる感動は全く伝えられてはいません。是非、手に取って読んでみてほしいと思います。