上記ご意見、素直に、受け入れられますか?自由意志で行動していると考えている、私たちにとって、なかなか受け入れられない意見です。
このテーマに真っ向対峙するのが、気鋭の心理学者妹尾武治さんの本『未来は決まっており、自分の意志など存在しない』。
にわかに信じられない事実を説明するために、本書は、心理学、宗教、脳科学、哲学、アート、文学、サブカルチャーを横断して、「私たちに自由意志はあるのか」に挑んでいます。どのテーマ分析からも、「人には自由意志などない」との結論が導かれるのですが、そのロジックがなかなか面白い。私にとっては未知の分野だっただけに、気づきが満載でした。
また、本書の中には、分かりやすい解説のために、SF近未来系のサブカルチャー(本・マンガ・映画・ドラマ)などが多数登場するのですが、それらの作品を味わむきっかけづくりとしても参考になります。
今回は、各方面からの分析とその結論は本書に委ね、私が特に印書に残った内容を軸に、本書からの学びをまとめて紹介します。
目次
自由意志決定論とは何か
自由意志とは、自分自身の行動を自分で制御している意志のことです。私たちは、この自由意志で行動を決めていると思っていますが、それは誤りです。
私たちの反応の順番
私たちが外界からの情報に対して、反応するとき、どのような順序で反応が起こるのか。
❶まず脳が無意識に動きだし、
❷その後、動かそうという意志が形成され、
❸最後に実際に手首が動く。
つまり、意志が生じるよりも先に脳が動いています。私は無意識を学ぶ本が好きですが、このことは多くの無意識本によく書いてある事実です。。
では、意志以前に人間を無意識的に動かしているものとは何か。妹尾さんは、その正体は「環境と自己との相互作用」であり、それによって、未来も決まる(心理学的決定論)と言います。う~ん、ここまででは何をいっているかピンときません。
「心理学的決定論」をボールを例に理解する
ココでは、「心理学的決定論」を理解するに当たって、投げたボールの落下運動を例に考えてみます。
ボールの落下地点・時間は、X軸の等速直線運動と、Y軸の鉛直投射運動で計算されます。つまり、ボールの状況(重量、速度等)がすべてわかっていれば、投げ出した瞬間に、未来は確定します。
私たちの行動も、その人を取り巻く環境という変数がすべてわかるなら、行動や感情を含め、未来は確定してしまう。これが「心理学的決定論」の考え方です。
つまり、我々には「自由」があり、行動を選択して決めていると思うのは、情報不足ゆえの錯覚。私たちは、環境(世界)の奴隷であり、自分自身で行っていると思っている判断も、実際には先行する「外界からの刺激」によって縛られているというのです。
米国のテレビドラマ「WEST WORLD」が描く世界
本書では、何度か、米国のテレビドラマ「WEST WORLD」の話が登場します。この全4シリーズの内、シーズン3では、精度の高すぎる未来予測と決定論・未来の事前確定が主題となっているそうです。
WEST WORLDは人間そっくりの「ホスト」と呼ばれるアンドロイドたちに自我が芽生え、人間と対峙していく様子が描かれた作品です。私はシリーズ1・2しか見ていませんが、なかなか扱っているテーマが重厚で、アンドロイドと共存して生きる私たちの未来について考えさせられます。
ここまでの「まとめ」
「心理的決定論」について、ここまでをまとめます。
環境との相互作用によって、その都度人間は自動的に反応行動をしているだけである。
意志とは幻影で、自主的に生きているのではなく、環境からの作用によって「生かされている」のだ
本書では、これが、様々なテーマを横断して証明されていきます。
AIは意識を持つのか
心の問題、意志や意識の問題を考える上で、避けて通れないのがAIの存在です。ここで、AIと人間の脳について考えてみます。
AIも脳もブラックボックス
圧倒的なデータをもとに自己学習するAI。AIの一つ一つの判断は、膨大な世界(環境)との相互作用によって必然的に一意に決まります。しかし、既にAIの選択は人間がわかるレベルを超えています。これを「AIのブラックボックス問題」と言います。
人間の脳もこれによく似ています。AIでは電気信号が走るように、人間の脳では神経細胞(ニューロン)が情報伝達を行っています。このニューロンの働きは1つ1つの動きは解明されていますが、これらが1000億個のオーダーでまとまった脳・心としての動きは解明されていません。つまり、「脳もブラックボックス」です。
「私とは何か」「意識とは何か」「心とは何か」はわかっていません。メカニズムは分からずとも、それは確かに存在しています。
AIは意識を持つのか?
さて、ここで、AIの判断は、膨大な世界(環境)との相互作用によって決まります。これは、人間も同じです。AIが本当の意味で意識や意志を持っているのかどうかは、人間には確認するすべがなくとも、自然法則に則るなら「AIも意思を持つようになる」というのが、著者の意見です。
例えば、オンライン上の相手とチャットして、人間とチャットしている多くの人が勘違いするなら、AIは十分に知的であり、人間的です。これはAIの人間度を判定する「チューリングテスト」と呼ばれるものですが、AIが外部に発する出力が人間にとって自然であるならば、AIには人間性が十分あり、そこには心があると判定してもいいことになります。
このように考えると、「意志・選択・決断」に関して、十分進化したAIと人間では大差がなくなります。とするなら、私たちはAIは外界情報に行動して意思がないと感じるのと同じで、人間にも「自由意志はない」との考えも、少し納得できてきます。
人間は如何に世界を知るのか
私たちは外界から「知覚」で得られた情報をもとに、自分の思考・行動を処理しています。知覚は「情報の入り口」です。では、私たちはどのぐらい正しく世界を認識しているのでしょうか?
知覚心理学とは
知覚心理学は、人間の五感、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚について人間の特性を明らかにする学問です。
私たちの知覚には限界があります。例えば、私たちに聞こえるのは20~2万Hzの音に限定されます。デジタルの音楽は、これら聞こえない音をすべてカットして情報圧縮しています、これはまさに知覚心理学の学術的成果を用いたものです。
一方、知覚から得られた刺激(情報)は、人の心理に大きな影響を及ぼします。暗いと不安に感じるし、コーヒーの香りをかぐとリラックスします。つまり、刺激の物理的な量を増やしたり、減らしたりすることで人間の行動のパターンがどう変わるのか変わってしまいます。
私たちは世界を歪んでみている
私たちの知覚には限界があるということは、私たちは、物理世界のごく一部しか切り取れていないということです。
また、物理世界は同じでも、例えば、真っ暗な部屋から、急に外の明るい広場などに出ると眩しく感じ、知覚から脳で再現された「知覚世界」は歪みます。また、マスコミやSNSなどのフィルターを通って受けた視覚・聴覚情報は、受け取る全段階で、既に世界が歪んでいます。
つまり、私たちの知覚世界は必然的に歪んでいます。世界がどのように知覚され、構成され、認識されるかは個々人でも異なります。この、歪んだ知覚世界こそ、私たちのリアルです。
こう考えると「自分の考えは正しい!」と自己主張・自己正当化するのは、結構、無駄しい行為ということになりそうですね。
神の存在
では、物理世界を余すことなく認識しているのは誰か。もし存在するなら「神」ということになります。
人はなぜ、神(という概念)が必要だったのか。それは、人間にはどうにもできないことがあることを知覚、及び、決定論で認識しており、それでも幸福に生きるために、「神という存在」を脳が作り出したと考えられます。
なぜ、多神教から一神教へ?
歴史家ウィリアム・ハーディー・マクニールは、多神教だった神が、一神教に変わっていった原因は、集団の大規模化が進み、中央集権国家体制となり、官僚が地方統治を行う時代に移ったことで、土着の宗教をより強い権力を持った神が必要となり、中央集権的な神=一神教へと発展したと分析します。
日本でも、古事記・日本書紀に見られるように、八百万の神から天照大神・皇祖神へと「神」が変遷しました。日本は一神教国化はしませんでしたが、国家統一のため、天皇を崇め、仏教によって国を治めた時代がありました。
では、現在は?今、宗教は世界中で紛争を生んでいます。グローバル化が進み、人口も増えて、人類の集団規模がが進んでいますが、もはや、宗教でまとめられるサイズを大きく凌駕してしまったと、考えることができると著者は言います。
意識の正体
心理学的決定論が受け入れがたく思われるのは、我々には自由意志が存在するという強い信念があり、自分には意識があると考えるからです。では、意識とは何でしょうか?
意識とはなんだろうか?
著者は、意識とは、結局のところ「情報」であると言います。つまり、ゼロイチ(01)です。
意識の本質が情報ならば、体は単なる情報の「キャリア(情報の運び屋)」です。映画「トランセンデンス」のように、意識はコンピュータにに移植が可能です。アンドロイドに意識をコピー、壊れたら、新しいアンドロイドに再びコピーすれば、死なない人間もSFではなくなります。
その分野の研究は、以下で紹介の本でも紹介されていますが、私たちが思っている以上に進んでいます。
結局、我々の行動はゼロイチ
意識が01で構成される「情報」だとすれば、意識によって生じる我々の「行動」もゼロイチです。つまり、自分の意志や意識で選んだと思われる行動も、結局はゼロイチの情報であり、環境と自己との相互作用によって、必然的に決まっている行動も決まっていることになります。
こうして、冒頭のフレーズに帰着します。
そうだとしても「自由意志がなくても、人生が輝かない訳ではないし、一生懸命に生きることはやはり美しい」。著者はこれを忘れないでいてほしいと、最終章で言葉を添えています。
最後に
今回は、妹尾武治さんの本『未来は決まっており、自分の意志など存在しない』からの学びを紹介しました。
本書を読んで「自分の意識」「判断力」についての、考えが変わりました。ある意味、私たちは「活かしてもらっている存在なのかなぁ」と。
本記事では、本書の内容の核(と私が考えた)分を、ピックアップして私なりにまとめたモノであり、本書で紹介される、面白い考え方は紹介できていません。是非、本書を手に取って読んでみて頂けたらと思います。