戦争の悲惨さを描いたピカソの名画『ゲルニカ』
白黒で描かれた泣き叫ぶ女、死んだ子供、いななく馬、振り向く牡牛、力尽きて倒れる兵士…、
1937年4月26日、スペイン北部のゲルニカがドイツ空軍によって爆撃され、町が壊滅した光景を描いた反戦作品。巨大なキャンパスに描かれた作品を見ると、多くの人が、目を奪われ、体が硬直すると言います。
今回紹介する、小説「暗幕のゲルニカ」は、作家であり美術キュレーターでもある原田マハさんだからこそ描ける怒濤のアートサスペンス!
1937年、パリに生きたピカソと恋人のドラ・マールと、2003年アメリカ同時多発テロ後を生きるニューヨーク近代美術館(MoMa)のキュレーター八神瑤子が、「戦争」をキーに、70年近い年月を経てクロスします。
本小説は、史実をもとにしたフィクションです。単純にストーリーが面白いだけでなく、読者は、どこまでが史実で、どこからがフィクションなのかと、知的好奇心をくすぐられます。
今回は原田マハさんの著書「暗黒のゲルニカ」のあらすじ、及び、私が興味深いと思ったことを紹介します。
目次
暗幕のゲルニカ:あらすじ
ゲルニカを消したのは誰だ――? 衝撃の名画を巡る陰謀に、ピカソを愛する者たちが立ち向かう。現代と過去が交錯する怒濤のアートサスペンス!
ニューヨーク、国連本部。イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。MoMAのキュレータ ー八神瑤子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の画家は何を託したか。ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが生きた過去と、瑤子が生きる現代との交錯の中で辿り着く一つの真実。怒濤のアートサスペンス!
―――Amazon解説文
二つの時代をつなげる「9.11」
ゲルニカ空爆に憤慨し、その意思をアートに込めたピカソ。そして、その傍らでピカソの創作活動に寄り添った恋人であり写真家であるドラ・マール。
一方で、2001 9.11同時多発テロで愛する夫を失った美術キュレーター(ピカソの研究家)の八神瑤子。
彼らは、70年の時を超え、NY国連本部、イラク攻撃を宣言する米国務長官の背景から「ゲルニカ」のタペストリー姿を消したことで強くつながります。
反戦に対する強いメッセージを持ったゲルニカが、今まさにイラクへの軍事行動に踏み切ろうとする宣言の場から姿を消した―――のです。
影の首謀者を祭り上げるメディア・世の中
誰かが、アメリカの国務長官がイラクへの武力行使を発表する背景に〈ゲルニカ〉のタペストリーがあってはまずいといち早く気づき、国連に連絡をした。
撤去するか、それが間に合わないのであれば暗幕を掛けるか──
とにかく、カメラの前にゲルニカを露出してはならないと意見した首謀者は誰なのか!?
メディアは、この噂で色めきます。
影の首謀者は!?
その陰の首謀者として噂されたのが、
・9.11で夫を亡くし、かつ、ピカソ絵画に詳しい瑤子
・所有者であるロックフェラー家
こんな陰謀論めいた話が出てくるのも、やはり、様々な思惑が交錯する政治・外交の世界。誰かを首謀者に仕立てたい輩が存在するからです。
当の瑤子は、イラクに報復には反対。夫の意思を次ぎ、「アートの力で平和を訴えたい」とすら思っていました。そして、タペストリーではなく、スペインにある本物の「ゲルニカ」を今一度、NYに呼び戻し、平和を訴えようと行動を起こすのです。
と、ここまでが、本小説の入り口。こうして、瑤子は、事件に巻き込まれていきます。
この後、ストーリーはどうなっていくのか、是非、この面白さは、小説を読んで確かめてみてほしいです。
暗幕のゲルニカ:興味深かったこと
本書はストーリーそのものも面白いのですが、もっと面白いのが、どこまでが史実で、どこからがフィクションなのか、ピカソ、芸術、9.11、MoMAなどへ興味を持つきっかけで溢れている点です。
そんな興味が沸くきっかけ、或いは、参考になる史実をいくつか紹介します。
ピカソの恋人 ドラ・マール
本書を読む中で、とても重要な登場人物の一人が、ピカソがゲルニカ制作時に恋人だったドラ・マール(1907年-1997年)。当時、ピカソは結婚をしていたので、正確には「愛人」です。ドラは、写真家、詩人、画家、パブロ・ピカソの「泣く女」のモデルです。
ピカソが女性を描いた作品の中でも、「泣く女」は、知名度抜群の絵ではないでしょうか。
ピカソは恋人が変わるたびに、絵の作風を変えたことで知られています。しかも、ピカソと別れた後、恋人は不幸になった人が極めて多い(この点も興味深い)。なお、ドラはもともと感情的でよく鳴く女性だったようで、、「泣く女」として表現される通り、本当によく泣く方だったそう。史実では、ピカソによって人生を狂わされ、別れた後、さらに不幸になっています。
小説の中で、彼女は、21世紀を生きる瑤子ともつながる大きな役割を果たします。
ゲルニカの歴史、そして、今、どこにあるのか?
ゲルニカは歴史における意味が大きい絵画です。サイズが約3.50メートル×約7.8メートルと大きいため、持出が大変な絵画ですが、それだけでなく、作品の意義的にも「どこにあるか」は非常に大切であり、簡単に展示場所を変えられない作品でもあります。
年 | コメント |
---|---|
1937年 | パリ万国博覧会でスペイン共和国パビリオンに飾る作品として製作 市民を狙った無差別なゲルニカ空爆に衝撃を受けたピカソが、反戦を訴える作品として描く |
1939年 | 第二次世界大戦が勃発、スペイン共和国崩壊(独裁政権化) ピカソは絵画を戦場に近いフランスに戻すことを躊躇し、MoMA@ニューヨークに保管 |
1981~ | プラド美術館@マドリード |
1992年~現在 | ソフィア王妃芸術センター@マドリード |
ピカソは、ゲルニカを米国ニューヨークのMoMAに保管するに当たって、スペインの人民に自由が戻るその日まではゲルニカをスペインにわたさないよう約束したと言います。そして、実際に、独裁政権が1975年にフランコが死去し、その後、スペインの民主化が進んで、晴れて1981年にスペインへの帰還が叶っています。
ゲルニカの歴史について知りたければ、アナザーストーリーズ 運命の分岐点「おかえり、ゲルニカ 〜祖国“帰還”までの16131日〜」 を要チェックです。
【余談】プラド美術館
私は、スペイン旅行をした時、マドリードのプラド美術館に行きました。しかし、当時は、「ゲルニカ」がスペインにあることも、ゲルニカ絵画のいきさつも知りませんでした。プラド美術館からものど近い「ソフィア王妃芸術センター」にあったなんて!訪れないなんて、なんてもったいないことをしてしまったのか!!と悔やむばかりです。
このような事実を知る度、「いろんなことを知っていないと人生損する!」とつくづく思わされます。
いろんなことを知っていると、世界を見る目も変わります。知れば知るほど新たな発見があり、ますます人生が楽しくなります。だから、私は生涯にわたって読書を続けたいと思います。
なお、話はプラド美術館に戻りますが、プラド美術館は本当に素晴らしい美術館でした。展示の多さにも圧巻です。日本では、この規模に迫る美術館はありません。
覇権国には、お金もアートも集まる
スペインは大航海時代に世界No.1だった国。一度でも世界で覇権を取ったことがある国は、やっぱり、美術品の量はすごいです。
最後に
今回は、原田マハさんの小説「暗幕のゲルニカ」を紹介しました。
ストーリーとして面白いだけでなく、知的好奇心がくすぐられると同時に、世界平和について考えるきっかけにもなる本です。
小説は読んで面白いだけでなく、多くのことを知るきっかけを与えてくれます。
只今、KindleUnlimitedの読み放題対象!これまで、原田マハ作品のKindleUnlimited対象の傾向をウォッチしてきた感触として、多分、短い期間で対象外になる(早ければ1ヶ月で)と思われます。是非、この機会に格安で良書を読んでみてください!