【書評/要約】落語はこころの処方箋(立川談慶 著)(★4) 落語が語る江戸時代には、現代をしなやか&穏やかに生きるヒントが満載!

落語は観て聞いて楽しむだけのものではない。落語には、現代人が抱える悩みを改善してくれる「こころの処方箋」の効果がある!

勝ち負けの世界で、お金にとらわれ息苦しく生きている現代人に対して、町人文化が花開いて大成した「落語」には、おおらか・しなやかに生きるヒントがあると教えてくれるのが、 立川談慶さんの『落語はこころの処方箋』。

落語は「人間のミステイク大全」。単なる笑い話として聞くのではなく、ドジでダメなところがたくさんある「人間の姿」に関心を寄せて話を聞けば、そこに様々な学びがある。また、江戸時代の人々の生き方・働き方を知れば、お金至上主義ではない、働き方・生き方が見え、人様に対しても優しくなれると説きます。

今回は、 立川談慶さんの『落語はこころの処方箋』に、おおらか、かつ、しなやかに現代を生きるヒントを学びます。

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落語と仏教

【書評/要約】落語はこころの処方箋(立川談慶 著)

落語とは、ほとんど会話だけで成り立つ話芸です。会話と会話の間で、話の筋道は語られず省略されるのに、話がリズミカルに展開していく。これが落語という芸能の特徴です。この落語のルーツはどこにあるのでしょうか?

落語のルーツに仏教あり

落語の祖は上方落語と江戸落語で異なりますが、「落語の祖」のひとりが安楽庵策伝(あんらくあんさくでん、1554年-1642年)という京都誓願寺の第55世法主となった高僧です。説法を面白く語ることで、信者の関心を引いたわけです

つまり、落語は仏教から派生したものでもあり、そのため、現代の落語にも仏教と重なる部分が多くあります。

落語は、人間の業という普遍的なテーマを追求する話芸

仏教では、慈悲深い仏様が「人間の弱さ」を許し、手を差し伸べます。一方、落語には、ダメな奴がたくさん登場し、人間のだらしない部分が面白く描かれます。

落語は、人間の業という普遍的なテーマを追求する話芸です。立川談志さん曰く、落語は「人間の業の肯定」。談慶さん曰く、できの良い堅物の兄が仏教で、やんちゃな弟が落語なのです。

江戸時代の人たちは、「ひでえ野郎だ」と笑いながら、「なんだ、みんな一緒じゃないか」と心を穏やかになっていたはずです。また、「文七元結」「子別れ」「芝浜」など、人情噺は人の心をじ~んとさせました。

寄席は、単に漫才のお笑いバトルのように「笑いを多くとったほうが勝ち」ではなく、「いかに共感してもらえるか」が大事だったわけです。

落語は負けを肯定する

【書評/要約】落語はこころの処方箋(立川談慶 著)

現代は、「格差」「二極化」という言葉で溢れています。つまり、「勝ち負け」の世界です。現代人は、人生レースをトーナメントでずっと勝ち続けなければならない、というプレッシャーに晒され続けます。

一体なぜ、現代日本は、こんなに勝ち負けにこだわるようになってしまったのでしょうか。

現代は「トーナメント戦」、江戸時代は「リーグ戦」

談慶さんは、現代が「トーナメント戦」なら、江戸時代は「リーグ戦」だったと言います。一度負けてもおしまい・退場ではありませんでした。

血で血を洗う戦国の世、「勝ち負け」がすべての時代に嫌気がさした徳川家康は、 安寧な世の中を心底求めて江戸幕府を開きました。その影響もあってでしょうか、江戸の町ではみんなが肩を寄せ合い、ダメな奴もみんなで支えて何とかする。お互いさまで、救って、救われる人情がありました。

これが、江戸時代が終了し、鎖国がとかれ欧米文化が入ってきて、「勝ち負け競争の世界」に突入してしまいました。

負けても「しゃあない」と割り切る「潔さ」

落語には、博打の話がよく出てきます。落語で語られる勝ち負けは、「勝ち組・負け組」「成功・失敗」などと世の中を二分するような話ではありません。

あるのは「運」である、負けても「しゃあない」と割り切る「潔さ」です。

「宵越しの銭は持たない」江戸っ子、「とにかくため込む」現代人

江戸っ子の潔さを象徴は「宵越しの銭は持たねえ」です。これは、「明日には明日の風が吹く」と、先のことを案じても始まらないので、成り行きに任せて生きるのが良いとする、天に任せた生き方です。持っているお金は潔く使う。だから、江戸の経済は回ったはずです。

一方、現代では、とにかくお金をため込む。明日が不安、勝ち組になりたいからと、とにかくお金を貯めこみます。当然、経済は回りません。だから、経済は停滞したままです。

成功・失敗とは何なのか

寄席においては、人間は「業」の 塊です。 人は誰しもダメなところがある一方で、良さも持ち合わせています。そこに「勝ち組・負け組」の区別はありません。

一方、今の現代は「勝ち負け二元論」です。勝ち負けの指標は「お金」。儲かれば「成功&勝ち組」、儲けられなければ「失敗&負け組」です。さらに、負けるのは運ではなく「自己責任」。努力・手間暇より効率の短期決戦です。

このような現代に対し、談慶さんは、「落語に描かれる江戸時代の価値観を見習うべきなのではないか」と訴えます。

失敗は成功の母です。いま失敗だと思うことがあっても、次につながるものを見つけることができれば、それは成功とも言えます。「成功・失敗」と二元論で語る概念自体を変えていく必要があるのではないか。と、談慶さんは語ります。

折り合いをつける。今を肯定する

本来、日本は、白黒はっきりつけず、グレーのまま、折り合いをつけて、やり過ごす、調和を取ることが上手でした。良くも悪くも「忖度」が上手で、それゆえ、平和が維持された部分が多分にありました。

落語の登場人物たちは、「折り合いをつける達人」です。折り合いをつけるとは、「現状を肯定する」ということです。不満があっても、とりあえず現状を肯定してやっていくという生き方です。

一方、現代人は、何満があると、すぐに「アイツ/会社/国/政治 が悪い」といって、攻め立てる相手を設定して打ち負かそうとします。確かに、時に不満を声にすることは大事です。しかし、不平不満ばっかり言っていても、幸せにはなれないことも事実です。

落語では、誰かが怒っていれば、ご隠居さんが「まあまあ」となだめておしまい。相手をとことんまで糾弾して負かすようなことはせず、誰もが「まあまあ、仕方ないよね」と上手に折り合いをつけたのです。

落語に学ぶ「働き方」

【書評/要約】落語はこころの処方箋(立川談慶 著)

現代人、特に日本人の労働時間は長いと言われますが、昔から長時間労働だったのでしょうか。
いえいえ、江戸時代なは、例えば職人は、仕事は太陽の昇っている間だけ、1日の平均労働時間が5~6時間です。

ダメな「与太郎」を支えたコミュニティ力

落語には、 呑気で間抜けで貧乏な若者「与太郎」がよく登場します。いわゆる、「おバカちゃん」です。稼ぐ力はありません。どうしようもない奴だけど、憎めないし、放っておけない。周りの人は、なんだかんだとサポートしてあげるのです。

確かに、与太郎の「愛され力」はスゴいのですが、もっとスゴいのは、与太郎を受け入れ支援する「江戸のコミュニティ力」です。現代なら、いくら愛されキャラでも、真面目に働かない人を支援する人はいません。

仕事は「ビジネス」ではなく「商い」にしよう

江戸時代は、仕事は、「ビジネス」ではなく「商い」でした。

ビジネスは「儲け第一主義」。そこに私情はありません。いかに効率的に儲けられるかが大事です。一方、「商い」には私情があります。「しょうがないぁ、今回は安くしとくよ」「この間お世話になったら、お代はいいよ」といった、持ちつ持たれつの助け合いがあります。

談慶さんは、仕事は「商い」つまり、私情を挟んだほうが、絶対面白いと言います。自分の裁量が許す範囲で、こっそりおまけしたり、待ってあげたりなど、そこには、「血の通った人間同士のやりとり」があり、「いいゆるさ」があります。

ゆるい仕事の良さ

現代では、「ワークライフバランス」が叫ばれますが、多くの人は、この意味を「プライベートを充実させるために仕事と生活の時間配分を行うこと」と取り違えています。つまり、「仕事とプライベートをきっちり分けることが良い」「会社に必要以上に時間を奪われてはいけない」と考えています。

しかし、本来の意味は、「仕事と私生活の両方を充実させること」です。仕事も、会社に服従するのではなく、「江戸の商い」のように裁量権・主導権を握って働けば、仕事は単なる「生きる手段」ではなく、「生き方」になります。そして、「こころの余裕」も生まれるはずです。

落語に学ぶ「しなやかな生き方」

【書評/要約】落語はこころの処方箋(立川談慶 著)

落語・江戸時代に学ぶことは「働き方」だけではありません。

みんなお互い様、迷惑をシェアしよう

江戸時代にあって、現代にないものの筆頭は「人情」です。商売であっても、困っている人がいれば「しょうがねえな」とおまけする。弱い立場の人を切り捨てるのではなく、みんなで助け合う文化です。

現代社会には、生活保護など弱者支援策はありますが、「人が払った税金で生きやがって!甘えるな」と、手厳しい非難を受けますし、そもそも、行政が行わなければ、周囲が支えてくれることはないでしょう。

しかし、生きていれば迷惑をかけるのが人間です。現代日本人は、人様や世間様の目を気にして、迷惑をかけることを異様に恐れていますが、「お互い様」と思えばいいのではないか。その代わり、困っている人には手を差し伸べる、共感する心を持つことが大事なのではないかと、談慶は訴えます。

しなやかさを与太郎に学ぶ

与太郎は、ダメ人間ですが、とても素直でしなやかです。仕事を紹介されれば、素直に応じて、まずやってみます。目の前のことを一生懸命、愚直に「愚直にコツコツ」続けます。

現代人はアドバイスをもらっても、「俺には合わない」などといって、素直に受け入れない人が大半です。素直さ、しなやかさは、与太郎の愛されポイントであり、現代人に欠けている部分です。

また、現代は「愚直にコツコツ」より「効率主義」です。努力よりいかにラク&得するかを考えます。しかし、この行きつく先は、「お金至上主義」です。今、現代日本は、「お金至上主義」に陥ったことで、お金より大事なもの、気概とか恥とか、人として失ってはいけないものを失ってしまっているのではないか、と、談慶さんは憂います。

なぜ、落語は心の処方箋なのか

最後に、「落語がなぜ、心の処方箋なのか」をまとめます。

落語は「人類のミステイク大全」。落語の話には、「何とかなるさ」という呑気な生き方、「しょうがねえなあ」折り合いをつける世界があります。勝ち負けにこだわりすぎることもなく、お金にとらわれ過ぎることもなく、仕事にも人情を持ち込んで、社会の中でおおらかに、かつしなやかに生きるヒントがあります。「人はみんなドジ」だと共感できれば、人様に対しても優しくなれますし、自分も甘え上手になれます。

単なる笑い話として楽しみつつ、同時に「人間の本来の姿」にも関心を寄せる。すると、落語には様々な学びが見出せるはずです。

最後に

今回は、 立川談慶さんはの『落語はこころの処方箋』に、日本人らしいしなやかな生き方を学びました。

人生辛く感じるのは、他人のせいより、自分のとらえ方によるところが大きい。それを笑いながら学べるのが落語です。落語から、いろいろ学んでみたいですね。