あなたは詩を読んで心が震えた経験がありますか?
もし、そんな詩に出合ったことがないなら、詩人・茨木のり子の詩は、心震わす詩との出会いになるかもしれません。
茨木のり子は1926年、大阪生まれ。1945年 第二次世界大戦敗戦を経験したのは19歳。 虐げられた青春を生きねばならなかった女性です。
荒廃した国土の中で誰もが萎縮していたときに、自分と他人を勇気づけるメッセージ性の高いのり子の詩は、人の心を打つ。対話形式の詩が特徴ですが、時には、「ばかものよ」と喝を入れる。のり子自身が自戒の念を込めて喝を入れたり、自己を鼓舞するために書いた詩が、現代人の心をもわしづかみにする。
今も、詩集の重版が相次ぎ、世代や国境を越え人々を魅了する詩集。
今回は、金子みすゞ、中原中也などの著名詩人の詩集シリーズ「永遠の詩シリーズ(1~8巻)」から、2巻目「茨木のり子」をピックアップ。その中から、のり子の最も代表的な詩「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」を取り上げ、読んで感じた自分の気持ちを書き留めておきます。
目次
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ:感想
自分を苦しめるような生き方をしていないか?
自分を苦しめるような生き方をしていないか?
そして、それを他人のせい、世の中のせいと、人のせいにしていないか… と、自分の「生き方」を問わずにいられない。
のり子が青春を送ったのは戦時中~戦後の動乱期。人の命さえ軽んじられる時代に、自分の心は自分自身で守るしかできなかったはず。
一方、現代の私たちは、人権が重んじられ、家族・知人・自治体・国など、多くのセーフティネットに守られている時代に生きる。そして、いろんなものに甘え、自分に甘くなり、他人・社会のせいにしている。メディアを見れば、そんな「人のせい」が至ることろで渦巻いている。
他人を守れるのは自分を守れてこそ
自分を守れるのは自分しかいない。
口で「世の人のために…」と発するだけなら簡単。しかし、それは、自分の心が健全であってこそ、人を思いやり、人をサポートできる立場になれる。自分自身を大事にできて、自分のことを自分で守れてこそ、初めて、周囲の人、そして、世の中の人が守れるのではないだろうか、そんな風に私は思う。
自分らしく生きてこそ
では、「自分を守る」にはどうしたらいいのか?
自分らしく生きる
私は、そこからすべてが始まる気がする。人や社会にへつらうことなく、自分らしく生きる。その結果、自分の心が保たれ、自分が守れる。
最後に
今回は、茨木のり子の詩集「永遠の詩02」から、特に代表的な詩「自分の感受性くらい」に感じた、私の気持ちを書き綴ってみました。
本書には、自分に喝を入れるのり子の詩の特徴ともいえる強いメッセージがこもる詩以外にも、没後に発見され世の中に発表された、早くして死別した夫に対する「愛」をつづった作品も掲載も掲載。それら詩の対照的な柔らかな感情が溢れる詩に心揺さぶられます。是非、読んでみてほしいです。
また、永遠の詩シリーズで取り上げられる、他の作家の作品も合わせて読んでみてほしいです。金子みすゞ、中原中也の詩も格安で読めます。
金子みすゞ
明治の童謡詩人金子みすゞの詩の世界は、派手なことが一切ないない日常の風景。静かな女性が、ふと出会ったシーンを切り取り、言葉を紡いでいます。
代表作は、「こだまでしょうか」。震災時にCMで流れた有名な詩。この詩もとても心を打ち、目頭がうるうると熱くなります。
中原中也
中原中也の詩はとにかく悲しい…