【書評/要約】むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました(石川善樹、吉田尚記 著)(★4) ~日本人らしい「幸せ追求」の形とは

「あなたは今、人生に満ち足りていますか?」と問われたとき、「はい」と即答できますか?
即答できないとしたら、「幸せの追求の仕方」に問題があるかもしれません。

ウェルビーイングwell-being)とは、体も心も、社会的にも良い状態にあることです。イキイキ生きることです。

私たちは小さい時から、幸せになるために「上を目指せ、成功せよ」と教えられます。しかし、華やかな成功を追求する方法は、日本人にはマッチしていないから、多くの日本人は疲弊している→日本人らしい、ウェルビーイングの追求の仕方があるのではないか?と、著者は問います。

個人的にはなるほど納得な内容でした。

今回は、石川善樹さん、吉田尚記さんの共著むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました」からの学びを紹介します。

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ウェルビーイングと成功

【書評/要約】むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました(石川善樹、吉田尚記 著):ウェルビーイングとは

最新の研究から、ウェルビーイングには「❶選択肢がある」「❷自己決定ができること」という2つの要素が大事です。

つまり、「どう生きるか選択肢があり、その中から自己決定できる」状態にあり、これに「満足」ができると、ウェルビーイングな状態でいられます。

さて、ここで、私たちは、小さいころから「成功する」ことが幸せにつながると教えられて育ちます。しかし、現実は一握りの人しか成功できません。その他大勢は、金銭的、或いは、精神的に苦しさを感じています。また、一部の成功者はその地位を維持するのに苦しそうです。

つまり、成功しても必ずしもウェルビーイングは手に入りません

日本人にとってのウェルビーイング

【書評/要約】むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました(石川善樹、吉田尚記 著):日本人にとってのウェルビーイング

時代が変わり、環境が変われば、「満足を感じること」「幸福だと感じること」も変化します。同じ時代であっても、国・文化が異なると、幸せの形は異なります。

つまり、ウェルビーイングは海外からもたらされた幸せ追及方ですが、西洋の手法をそのまま日本に取り入れても、心身共に良い状態を目指すことはできません。著者らは、親が子供の教育に読み聞かせて教える「昔話」を取り上げて、その違いに迫ります。

西洋VS日本:昔話の違い

西洋の昔話の多くは子供が主人公。幼い子が悪い奴に騙されずに帰ってくる、冒険して宝物を見つける、結婚して幸せになるなど、成功・立身出世話が多い傾向があります。子供の教育も兼ねていると考えれば納得がいく内容です。

一方、日本の昔話はどうか。やけに「おじいさん、おばあさん=名もなき老人」が主役の物語が多い。しかも、主人公が成功・金持ちになる話も少な目です。さらには、物語のスタートとゴールでほとんど「変化がない」話も少なくありません。

西洋思想と日本思想

ここで、昔話に見る西洋思想と日本思想をまとめると次のようになります。

■西洋的思想
主人公は成功を目指す。
マイナスからゼロ、ゼロからプラスへ上を目指す。上昇するほど幸せになれる。

■日本的思想
主人公は成功も変化もしない。ヒーローにもならない。
ゼロに戻るをよしとする。プラスも行き過ぎはよくない。否定を受容する。

諸外国と比較すると、日本人の自己肯定は著しく低いことがよく知られていますが、これも、Nobody & Negative を愛でる文化が大きく関係していると著者らは分析します。

空間のとらえ方にも西洋・日本に差

空間に対する考え方も、西洋と日本では大きな差があります。西洋ではシンプルに「頂上(サミット)」を目指すのに対し、日本はひっそりとして奥まった「奥」です。「大奥」「奥院」などわわかりやすい例ですね。

日本人にとって厳しい「上を目指す思考」

上を目指す思考は、前へと進む駆動力になります。しかし、しかし日本人が元来持つ思想とは異なるため、この方法で、ウェルビーイングを追求するには無理が生じます。

日本の昔話に、お金持ちになってめでたしめでたしで終わる話が少ないのも、日本人はずっと昔から金持ちになることと、ウェルビーイングな人生を送ることは、別問題だと理解していたからだと、筆者らは指摘します。

また、前・上ばかりを見ていると、「今」がおろそかにもなります。

大人になると、なぜ、ウェルビーイングから遠のくのか

【書評/要約】むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました(石川善樹、吉田尚記 著):日本人にとってのウェルビーイング

多くの人は、本当に小さい時は毎日が楽しかったはずです。しかし、成長するにつれ、多くの悩みを抱えるようになります。では、なぜ、悩みが多くなってしまうのか?
本書では、子供と大人の友達の作り方・人間関係の築き方から、その違いを解き明かします。

子供は「いる」、大人は「する」が出発点

子どもの場合は、まずは「いる」が出発点。クラスや公園で、ただ一緒に「いる」時間があって、そこから自然とつながりができて、遊ぶようになります。一緒に「いる」から、友達に「なる」。そして、一緒に何かを「する」ようになるのです。

つまり、「いる(being)、なる(becoming)、する(doing)」の順番がごく自然な流れとして成立しています。

しかし、大人はどうでしょうか。大人の出発点は「する」。就職により一緒に仕事を「する」関係になり、次第に同僚に「なる」。その後、極々まれに、公私を超えて一緒に「いる」の関係を築ける友達になれる。順番が子供とは真逆です。

順番の流れが意味すること

人間関係の構築の順番が、本来自然な「いる(being)、なる(becoming)、する(doing)の順番」が逆転してしまうと何が起こるのか。

ただそこに存在するだけでは価値がない、
何をどの程度できるかといった優劣・能力のみで判断される、
厳しい世界で生きなければならない。

だから、仕事が嫌だ、辛いと感じる人が多いと著者らは分析します。

自己肯定感を高めたくても、今の時代の仕事は、「部分」を受け持つ働き方が多数派です。全体の一部しか担当しないから、自分がどういう価値貢献をしているかも分かりづらい。仕事の目的、ミッションを掲げられても、自分に結びつけて考えづらい。これでは、自分の価値を認めにくくて当たりまえです。

「何をするか、何者になるのか」が求められる現代

現在は、「何をするか、何者になるのか」が過剰に求められる時代です。

子どもの頃から「将来は何になる?」とずっと聞かれ続け、大人になると「あなたは何をしているのか?」と問われ続ける。そんなしんどさを、多くの人が無意識のうちに感じているのではないか。

「努力をすれば報われる。努力は必ず実を結び、幸せな人生を約束してくれる。」とも教えられてきましたが、行き過ぎた能力主義も人を不幸にします。

有能か無能か、能力というものさしで他者を判断する風潮が行きすぎると、社会には分断が生まれます。愚者を見下し、他人を出し抜き、パイを奪い合う、そんな競争社会を勝ち抜いたその先には殺伐とした世界しかありません。

日本の昔話のように「許しと寛容」が受け入れられ、また、落語の与太郎のように、どれだけ周囲に迷惑をかけ、騒動を引き起こしても「しょうがねえなあ」と、愚者を責めない風潮が、今現代も必要なのではないか。

「する(行動・スキル)」で相手を判断するのではなく、「いる」ことを許し合える寛容な社会の方がウェルビーイングな社会を実現しやすいのではないのか、著者はそう読者に問いかけます。

どうすればウェルビーイングな人生になれるのか

【書評/要約】むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました(石川善樹、吉田尚記 著):日本人にとってのウェルビーイング

ではどうしたら日本人がウェルビーイングな人生を送れるのか?筆者らは、読者にいくつかのアドバイス・ヒントを与えます。

無難な人生ではなく、有り難い人生、難が有る人生を

人は、人生における「困難」をできるだけ回避しようとします。しかし、有難い人生=「難が有る人生」を受け入れることが大事です。

例えば、病気をした時、健康であるありがたみが初めてわかるように、いいことも悪いことも交互に現れる(行き過ぎのゼロへの回帰)人生を受け入れて、ありのままに生きるのがウェルビーイングにつながります。

難がない人生「無難な人生」は短期的には魅力的に見えます。しかし、長期的に見ると深刻な苦境に陥る可能性は逆に高まります。なぜなら「難」=トラブルや痛手を受けたからこそ摑み取れることがたくさんあり、その経験がさらなる大きな難を回避することにつながるからです。また、一度、ミスをして落ち込むことが、次につらい出来事が起きたときの回復力(レジリエンス)となります。、

一方で、プラスの状態が行き過ぎると、油断が生まれたり、知らない間に高飛車になったりします。このような時も、一旦、自己を顧みてゼロ地点に戻ることが大事です。

ウェルビーイングは因果よりも因縁

「因縁」とは、もともと仏教から生まれた用語、そこに目に見える理由がなくとも生まれるご縁や関係性を意味します。簡単に言えば、「たまたま」「偶然」です。

人は周囲の人やものとの繫がりによって生きています。たまたま生まれた縁によって人生がガラリと変わり、そこから運命が展開していく。日本の昔話や文化に触れながら育ってきた私たちは、そうした因縁を肌感覚で知っています。

一方、「因果」だけで生きることは、「する」「なる」だけにまみれた人生です。 自分がそこに「いる」だけではだめで、何者かになって、何かをしなければプラスが生まれません。それが延々と続く人生は、息苦しくてつらいはずです。

だから、たまたま出会った縁をきっかけにしてどう「展開」していくか、という発想でいた方が日本人には適しているのではないか、著者らはそうアドバイスします。

上より奥を

成長至上主義が 跋扈 する現代社会においては、「常にアップデートしていかないと取り残されてしまう」という焦りが蔓延しています。向上心や成長意欲それ自体は素晴らしいことですが、「成長しろ」と過剰に外から強いられる人生は息苦しい。

上ばかりを見て焦るのではなく、あえて視点を外してみる。「奥」はどこだろうと考えをちょっとズラしてみる。それぞれの持ち場でこうした意識を持つだけでも、心持ちは少し変わってくるはずです。

自分より大切な存在

「自分よりも大切な存在を見つける」ことも大事です。正論や理屈ではない部分で心を下支えする大きなパワーを与えてくれます。

ただし、大切な相手とは見返りを求めるような相手であってはいけません。今の言葉でいうと「推し」の対象となるような存在を見つけることです。ファンや宗教的なものなどがよさげです。

旅をする

脳は将来のドキドキワクワクが好きですが、一方で、大きなサプライズは嫌いです。そのため、脳はサプライズを最小化するように働きます(目先のサプライズをあえて求めることで、長い目で見たときのサプライズを最小化して進化しています)。

だから、退屈を嫌がる一方で、予測不可能すぎる未来も避けようとします。逆に、安心を求めると同時に、サプライズも欲するのが脳の自然な状態です。

このような状態を簡単に作り出せるのが「」です。

旅して、移動すると、見える風景が変わります。新しい発見や出会いがあれば、それが短期的なサプライズとなり、ウェルビーイングにもつながります。そして、再び家に戻ることで、ゼロに戻れます。

近所のカフェに出かける。さらに、時々は創造性(クリエイティビティ)が高くなる移動距離が長い旅を楽しむ。これであなたの人生はイキイキできます。

人間の本質は「遊ぶ人」

移動とウェルビーイングの関係調査結果から、「いろんな場所で遊んでいる人はウェルビーイングが高い」 ことがわかっています。

しかし、現代を生きる私たちは仕事がまず先にあり、仕事をしていないときが余暇と考えます。しかし、本当は逆。人間の本質は「遊ぶ人」であり、移動を繰り返し、未知を追い求める姿こそが本来なのです。

最近「遊びを仕事にしよう」と叫ばれますが、このこともそれを象徴しているのかもしれません。 遊びは人間のウェルビーイングに深く関わっています。

最後に

今回は、石川善樹さんと吉田尚記さんの共著「むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました」からの学びを紹介しました。

本書には、上記で紹介した以外にもウェルビーイングな生き方を追求するヒント・アドバイスが紹介されています。

私にとって本書は、私にこれまで触れたことのない者の考え方を与えてくれた貴重な一冊となりました。本書の言葉をかみしめたいと思います。

今は圧倒的にBe=「いる」が足りていない社会です。目的に働きかけるDoだけで生き続けると、だんだんとBeがなくなり、Well-Beingもなくなっていきます。

今、本書から導かれた不思議な縁で、浅井リヨウさんの直木賞受賞作「何者」を読んでいますが、「何者かであろうとする就活生たち」の息苦しさが半端ない…
「何者かである生き方」を選ぶしんどさを痛切に感じつつ、読んでおります。また、読み終えたら紹介したいと思います。