昨今、著しい研究・開発の進歩を見せる脳・人工知能分野。
あまりに進歩が著しいので、この分野の昔の本を読むことはないのですが、良書として知られる本なので、いまさらですが読んでみました。
本書は、脳科学者の著者が、20年前に卒業した母校で、後輩である高校生たちに語った脳科学の最前線をまとめた本です。初版が2009年ですが、知的興奮に溢れています。
我々は一般的に、「脳は複雑。それに対し「私」は単純」と考えがち。「私」は自分のことなのだから、理解できるでしょ?と思いがちです。
しかし、本書を読み進めていくと、いかに「私」が複雑で扱いにくいものなのかが見えてきます。また、勝手に(自分でも気づかないうちに)だまされたり、最初は自分でも理由がわからず行動していたにも関わらず、さも、「自分は○○の考えのもと行動したのだ!」と後付で自分を納得させていたりと、「本当の自分」というものが、なんとも「空虚な存在」であることがわかります。
本書では、4つの章で、「シンプルな脳に対して、「私」はいかに複雑なのか」を明らかにしてくれます。
第1章:脳は私のことをホントに理解しているのか
第2章:脳は空から心を眺めている
第3章:脳はゆらいで自由をつくりあげる
第4章:脳はノイズから生命を生み出す
直感とひらめき、その違いは?
「直感」と「ひらめき」。「頭にパッと思いついた考え」という意味で、どちらも同じと考えられがちです。しかし、著者は、「直感」と「ひらめき」は違うと説明します。
では何が違うのか?
「ひらめき」は、思いついた後に理由が自分で説明できるもの。「こうだから、ああなるんだ!」と自分で説明ができるのです。
一方、「直観」は、自分でも理由がわからない。「ただなんとなくそう思う」という漠然とした考えなのです。しかし、そんな曖昧な感覚であっても、「直観は結構正しい」のです。単なる「まぐれ当たり」ではないのです。
その理由は?
直感は「学習」という努力の賜物だから。直観は訓練によって身につくのです。「経験に裏づけられていない勘は直感ではない」のです。例えば、私たちが箸を自然とミスせず持てるように、その理由が本人にはわからないにしても、直観によって導き出された答えは案外正しいのです。
直感を活用しよう。でも、脳は錯覚が多いことを忘れずに
脳は否認知的な情報処理を無意識で行っています。だから、自分の直感に素直に従うことが大事です。
しかし、脳は錯覚に騙されやすいのも事実(視覚の錯覚は代表的なものです)。認知的バイアスもあるので、それらを区別することが大事です。
自分の意思で行動している?
自分の行動は自分の意思で行動していると思っていないでしょうか。
しかし、それは違う。「自分の行動がまず先にあって、その行動の理由を探している」と著者はいいます。
確かに、はっきりした根拠があって行動している場合もあります。しかし、よく根拠がわからないままに行動ことは意外と多く、そういうケースの場合は、その行動の意味を後付で勝手に作り上げる。そして当の本人は、それこそが「真の理由」だと心底信じてしまうのです。
認知的不協和を解消=「感情と行動に内的一貫性を保とうとする」のです。だから自分がAを選んだ理由を後付で勝手に作ってしまい、それがさも真実のように勘違いしてしまうのです。
人は、行動や決断に「根拠がない」と人は不安でしょうがない、或いは居心地が悪い。だから、いつも脳の内側から一生懸命に自分のやっていること、もっと厳密に言えば「やってしまっていること」の意味を真剣に探そうとしてしまうのです。
これは、自分の記憶が曖昧であることも物語っています。
空気が読めない?
以前、「KY」という言葉が流行りました。空気が読めない人という意味です。気づく人から見ると「なんでそんなに気がつかないの(気が回らないの)」と憤慨するけど、気づかない人にとっては、「それがそもそも存在しない」。そういう世界に住んでいるのです。
会社でも自分の机の上が汚くても全く気にならない、自分の生活スペースにゴミが落ちていても全く気にならないなんて人がいますが、これも同じ理由かもしれませんね。