お金の使い方は、あなたの心を映しだす鏡です。
確かにお金は生きていくために必要不可欠ですが、❶ 今、いくらのお金が欲しいか、❷なぜそれだけのお金が欲しいか、答えられますか?
今回紹介の著書「人生の流れが美しくなる 禅、お金の作法」の著者である枡野俊明さんは、この2つのお金に対する質問が「その人の生き方」に大きく関わっていると説きます。
お金と人生は、必ずどこかでリンクしています。お金との向き合い方や考え方は、すなわちその人の人生そのものと言えるかもしれません。その人の生き方が美しいかそうでないか。
今回は、著書「お金の作法」から、禅の教えをベースに、お金に執着しすぎることなく、本当に充実した人生を生きるための「お金の作法」を学びます。
禅が教えてくれる「知足」の心
人は執着が強い生き物です。ないものを求めることは、不満やストレスを生み出します。苦しまないためには、「知足=足るを知る」ことが大事です。
足りないものを求めるのを辞める。そして、今、手元にあるものを工夫し、大事にする。これが、足るを知るの基本です。
お金を巡らせる
仏教の根本に「諸法無我」という考えがあります。これは、「この世に生きとし生けるものはすべて、つながりのなかで生かされている」という教えです。
私たちはけっして、一人の力では生きていくことはできません。人だけでなく、大自然・動植物とも縁を結ぶことではじめ生きることができます。その温かなつながりを大切にすることを忘れてはいけません。
これは、お金についても当てはまります。「お金を巡らせる」ことは、すなわち「縁を巡らせる」こと。もし、すべてのお金を自分のところに留めておこうとすれば、新しい縁は生まれず、その結果として、新たなお金も自分のところに巡ってこなくなります。
ただ自分のためだけに貯めこまず、自分にも相手にもプラスになり、いい縁を生むお金の使い方をする。そうすれば、美しい生き方にもつながっていくはずだと枡野さんは私たちに教えてくれます。
誰かの幸せは、自分の幸せにつながる
禅には、「誰かのために尽くすことが、結局は自分の幸せにつながっていく」という教えがあります。相手は最も身近な家族でもいい。自分のことばかりに心を配るのではなく、周りの人を思って幸せを与える、そうすれば、必ず自分のもとに幸せが返ってきます。
神社や寺では「お賽銭」を投げ入れますが、仏教ではこれを「喜捨」というそうです。喜んで捨てるということであり、寄付とは少し考えが異なります。
お金にばかり執着している心を賽銭箱に投げ入れる。自分さえ良ければいいという邪な心と執着心を捨て去ることで、自分自身の心を浄化する。
神社・お寺で目を閉じて手を合わせると心が穏やかになります。心が洗われた気持ちになる大事な行いです。
執着を捨てる・減らす
この「喜捨」の心は、「お金」に限ったことではありません。日常生活の中で自分に取りついている執着心を捨てながら生きることが大事です。
何かを得たいという欲望ばかりに目を向けるのではなく、ときにその欲望を捨ててみる。
自分の損得ばかりに縛られるのではなく、誰かのためを思って生きる喜びと共に生きる。
そんな「喜捨」の心を持って生きれば、心は軽やかなはずです。
お金と価値観
お金の使い方は、生きる姿勢を反映する
自分にとって大事なものは何なのか。自分が本当に好きなことは何なのか。
この2つの質問に答えられますか?
人は自分が思っているほど自分のことを知りません。<自分自身としっかりと向き合い、自身の心と自問自答すること。そうすることで、自分にとっての生きたお金の使い方は見えてくるかもしれません。
お金に対する価値観は変えられない
お金に対する価値観は、自身の生き方そのものです。つまり、お金に対する価値観を否定されることは、すなわち自分自身を否定されたと同じに感じてしまいます。
一度身についたお金に対する価値観は、簡単には変わりません。無理をして変えようとすれば、大きなストレスとなります。だから、お金の価値観が違う相手との付き合いは続きません。
使い捨てに慣れ過ぎた弊害
私たちは、日々、消費社会の中で生きています。枡野さんは、現代人はあまりにも使い捨てに慣れすぎていないかと警鐘を鳴らします。
物を使い捨てにする、役に立たなくなればすぐに捨てる、安易に新しい物と取り替える。そんな心が身についてしまうと、人間に対しても同じ発想を抱くことにつながります。
役に立たない人間は排除してしまえばいい、代わりはいくらでもいる。こんな考えが巣くった社会は幸せでしょうか?
欧米文化な価値観の弊害
前項にも関係しますが、欧米的な価値観の浸透で、日本人は従来に比べ、物事を簡単に割り切って考えるようになりました。結果、思いやりの心が減り、すべてのことが「金勘定」がベースです。人のことは関係ない、やることだけやっていればいいという自分ご都合主義が加速しています。
感謝する心もない。誰かを大切にする心もない。一人勝ちすればいい。これでは、幸福とは縁遠くなります。仏教の世界には「一人勝ち」という考え方がないのは、それでは幸せになれないという考えが根本にあるからです。
仕事、それは、人生を全うするために必要
仕事は、お金を稼ぐためのものだけでなく、自分の人生を豊かにするものです。必死に取り組んだ経験は、必ずあなたの財産になります。
人は生きている限り、仕事をしなくてはいけないのは、単にお金のためでなく、自分自身の人生を全うするためです。定年退職した元会社員よりも、歳をとっても仕事をしている自営業の方、田畑を耕している方が、イキイキ元気なのはそのためです。
人生の優先順位と、お金の使い道
不満が多い人は、「人生とお金の優先順位」があいまいです。「あれもしたいこれもしたい。でもお金がない」という思考になるからです。しかし、本当に自分に大切なことがわかれば、優先度が低いことには自然とお金を払わなくなります。
以下の方法で自分を見つめ直しましょう。そうすれば、物欲の断捨離により、メリハリのある生きたお金の使い方ができると同時に、人生に芯ができます。
❶まずは今自分が置かれている状況を客観的に見る
❷そこから自分がやるべきことを冷静に見極める
❸今の優先順位を明確にする
(モノの場合絶対に必要なモノ、あればいいもの、特に必要ではないものに分類)
❹優先度一番目だけに集中してお金を使う(メリハリをつける)
優先順位付けを「モノ」に対して行えば、「人生に必要なものは少ない」ということがわかるはずです。
お金と暮らしを考える
「質素な暮らし」と「簡素な暮らし」。一見、同じようにも思えますが、枡野さんは全く異なると言います。
質素な暮らし:お金の価値観で生きる暮らし
お金がないから質素な暮らしをしているという人がいます。これはおそらく、できる限り安価な物を買う暮らしを指しています。例えば、食べ物なら体にとって良い物ではなく、安くてお腹がいっぱいになるものを選ぶという選択です。
これは、つまり、安価という「お金の価値観」で生活を選択している暮らしです。
簡素な暮らし:必要ななもののみ選んで使う暮らし
簡素な暮らしとは、自分の生活に本当に必要な物だけを厳選。必要な物には質も考慮してお金を支払う暮らしです。
食事の場合は、ただ安く腹いっぱいに満たすのではなく、身体が求めているだけの量を食べる。身体にとって無駄になるような量は食べない。「お金が価値基準」ではなく「自分にとっていいものか」が選択の基準です。
食べることは生活の基本であるため、雑な食生活をしていると、生活そのものが雑になっていきます。食欲に任せて食べていれば、その他の欲望も肥大化していきます。食べるという行為は、それほどまでに私たちの心身に影響を及ぼします。
さらに、私たちは、お金を使って利便性を手に入れるほど、「身体を使う機会」を失い、「健康」を失います。
簡素の中にある幸せ。幸せや不幸せというものは、心の持ちようによって決まります。不満・不幸の種ばかりを集めていても、幸せの花は咲きません。今すぐ、自分の心をプラスに切り替えていきましょう。
持たない暮らしで心はすっきりする
過分なモノは持たず、必要なモノだけに囲まれて暮らす。すると、心がすっきりします。
人間の思考は、どうしても視角に入ってきた物に左右されます。余計な物を目にした途端に、余計な考えが生まれてくる。つまり、目の前のことに集中できなくなります。
出歩く際に荷物が多い人は、不要な物に心をとらわれています。本当は不必要であるのに、必要だと思い込んでしまう。それが積み重なり、身の回りは不必要な物で溢れてしまいます。
ミニマリストは、過剰なものは捨て、本当に必要な物を厳選して大事に使う暮らしに切り替えた結果、様々なしがらみから解放されて精神的にも満たされ、余計な物欲・欲望もへると口をそろえて言います。これは、要するに、「お金の価値観」で生きる生活を離れた結果です。以下の本はそんな生活を手に入れるのに非常に参考になります。
【実践】まずは手放す
多くの人はタンス・クローゼットに着なくなった服を山ほど持っています。1着でもいいので「まず手放す」ことを勧めます。
実際に1着手放してみると、手放したところで何も変わらない自分がいることがわかります。そして、手放す清々しさがあることを知ります。
捨てることにも喜びがあることに気づいたとき、不思議なことに欲望は減ります。この気づきが「欲しがる癖を直す大きなきっかけ」になります。
お金と人間付き合い
人は見返りを期待しながら生きています。しかし、見返りを求めすぎると、いつしか心が卑しくなっていきます。大事にしたいのが、日本人が昔から持っていた「お互い様」という考え方です。
「お互い様」な姿勢を大事にする
「お互い様」とは、相手に10のことをしてあげても、その相手から10を求めない生き方です。100%のGive&Takeで、確実な見返りを求める生き方では、「温かな縁」は逃げていきます。これは、人間関係だけでなくお金についても言えます。
自分自身の満足や欲望のためではなく、誰かを思って使うお金。相手の喜ぶかを見て、「お金の尊さ」を実感することはありませんか。不思議なものですが、人を思い、邪心なく手放したお金は、必ず自分のもとへ戻ってきます。
みんなが少しずつ手放すことで、みんなが少しずつ幸せになっていく。そんな世の中は幸せなはずです。
無駄な付き合いはやめよう
人間関係が広くても、人生は豊かにはなれません。心を許せる関係、相手のことを心から思う気持ちを互いに持っている人間関係が少しあれば、それで心は満たされます。
「縁」も整理が必要です。付き合いを見直せば、お金にも時間にも余裕ができます。その浮いた時間で、独りになって自分自身と向き合う時間を作る方がはるかに大事です。
お金の使い方を正す
最後に、お金の使い方を正すに当たって、大事なことをまとめます。
お金の不安は、どこからくるのか
過去・現在・未来。生きるために最も大事なのは「現在」を重視することです。というか、私たちは「今を生きる」ことしかできません。しかし、私たちは現在に集中していません。人を苦しめる不安は「未来」に対するものですし、後悔は「過去」に対するものです。
人間は本気で本気で闘っているときには不安など感じません。むしろ、行動もせずに、ただじっとしているところに不安感は忍び寄ってきます。
今を真剣に行きましょう。そうすれば、真剣に向き合う時間が、余計な不安を忘れさせてくれます。
人と比べない
お金を見栄のために使っていませんか?また、誰かと比べていませんか?優劣をつける行為は 幸福感を遠ざけます。
世の中の幻想の一つに「平均」「普通」「常識」があります。具体的な人と比べずとも、人は、平均を気にし、根拠のない常識にとらわれ、それらと自分の比較し、喜んだり落ち込んだりしています。でも、世の中に蔓延する「平均」とは何なのでしょうか?平均・普通には「実体」はありません。これらに心をとらわれる必要はありません。
見栄を張るなら、他人ではなく自分自身に張りましょう。昨日の自分よりも、今日はワンランク上の自分になりましょう。
人それぞれに合う心地よいサイズ
人にはそれぞれに合う「心地よいサイズ」があります。このサイズは住む部屋の大きさ、持ちも、お金、様々なものに当てはまります。これが、「分相応」です。
分相応は、自分の力と努力でサイズを大きくして初めて、そのサイズのなかに幸せを感じることができます。他人の力で自分のサイズが大きくなったり、何の努力もしないままにサイズだけが膨張してしまうと、そこにはあるのは「落とし穴」です。
まずは、人と比べることなく、自分自身の幸せのサイズを知りましょう。今のサイズを大きくしたいという気持ち=向上心は大事ですが、それは、一挙大きくすることはできません。地道な努力を重ねながら、一歩ずつ大きくしましょう。そこに幸せがあります。
最後に
今回は、枡野俊明さんの「人生の流れが美しくなる禅、お金の作法」からの学びを紹介しました。
現代は「勝ち組」「負け組」という言葉が溢れています。資本主義社会である限り、そこに格差が生じることは避けることはできません。しかし、自分だけが「勝ち組になればいい」という姿勢では、きっと幸せな人生は遅れません。また、お金に執着すると幸せは党の着ます。
お金とは、人生を豊かに過ごすための道具にすぎません。そもそも、死んだら持っていくことはできません。だから、足るを知り、多くを求めすぎず、そして、時に、人の幸せのために労やお金を使って、人の喜ぶかをを見つつ生きたいと思います。この考えを心から受け止めるに当たっては、以下の本も参考になりました。私の生き方を変えてくれた本です。合わせて読んでみることをおすすめします。