白T&ジーンズ姿の女性が何気なく髪をかきあげる仕草
普段厳しい上司が、ふとした気遣いを見せる瞬間 等
現代の日常生活の風景の中にある「クールさ」「おしゃれさ」。「江戸の粋」から私たちが想起する「いき」とは少し違うかもしれませんが、その根底には同類の「美感・美意識」があります。
このような、俗っぽさがある「いき」を、抽象的な「思想」から、目に見える具体的な身体的「しぐさ・芸術表現」にわたって論じたのが、九鬼周造の著書『いきの構造』です。近代日本哲学が生んだ最も独創的な著作として高く評価されています。
今回紹介の角川ソフィア文庫「ビギナーズ 日本の思想」シリーズ 版は、わかりやすさ重視で現代語訳化されています。過去、別文庫シリーズで読んで挫折しましたが、本書はとても読みやすかったです。
今回は、九鬼周造の著書『いきの構造』からの学びを紹介します。
目次
九鬼が考える「いき」とは
九鬼は、「いき」には、日本人の民族性や歴史を反映した日本人独特の「美感・美意識」があると指摘します。そして、日本人の内面的な「心構え」や「感性のありよう」が具体的なな表現となるのが「しぐさ」「美術芸術」だと指摘します。
私なりに九鬼の考える「いき」のポイントは次のようになります。
・「いき」には民族性が反映される(心構え、感性などは民族に特徴があるため)
・「いき」は、異性を惹きつけようとする「駆け引きの美意識」がある
・「いき」の美意識が、形となったものが、言葉遣いやしぐさ、芸術表現
以下では3つのポイントを、個別に見ていきます。
【概念】「いき」に反映される民族性
言葉は生活の中から生まれるものです。言葉には、その民族の特質(過去から現在までのありよう)が現れます。「いき」という言葉もその例外ではありません。
故、西欧の言葉に「いき」と類似した語を見つけることはできても、まったく同内容の語は見出すことはできません。「いき」は、大和民族に特有のありようを示す特別な表現であり、「日本文化」とも言えるのです。
【概念】「いき」とは、男女の駆け引きにある美意識
九鬼は、「いき」な意識を構成する三要素に「媚態」「意気地」「諦め」があり、そこには「男女がたがいに相手をひきつけようとする駆け引きに発する美意識」があると指摘します。
媚態(びたい)
媚態の原則は、異性を惹きつけようとする「恋の駆け引き」であり、「男女の緊張関係」です。自と他がたがいに相手とかかわろうとしながらも、決して束縛、固定されることを許さない、緊張のある関係です。
それは「不安定」な関係であり、だからこそ、❶束縛されない「自由」があり、❷男女が次のステップに進む「可能性」を秘めています。九鬼は、この「自由」と「可能性」を追求することが「いき」の原則だと言います。
「意気地」と「諦め」
残りの「いき」な意識を構成である「意気地」「諦め」は、「いき」の原則を守るために心得なければならない「態度」です。
■意気地
恋心のままに動かされて、やすやすと相手の虜になってしまうことを自分にゆるさない誇り。
その禁欲性と自負の念は、武士道に通じます。また、「いき」には品のある「思い切りの良さ」や「勇ましさ」が必要です。野暮ではいけません。
■諦め
恋心にひきずられて相手に執着し、醜態をさらさないために必要な心構え。
自己の独立性を高く堅持することが求められます。「所詮この世ははかないもの」という境地に立ち、未練、執着をきっぱり断ちきる姿勢が求められます。あっさり、すっきり、スマートにが基本です。
3要素を満たす「いきな恋」は、純愛、情熱的な愛、永遠の愛などとは対極にあります。男女の間の「駆け引き」「遊戯」に美学を見出します。それは、大人の恋、一度限りの恋であり、アバンチュールです。とても面白い考察ですね。
いきの構造「美意識の六面体」
九鬼は、「いき」が持つ「美意識」を6ワードで上図のように構造化しています。
人間性一般に基づくもの (立方体の「底面」) | それ自身の価値 (価値あり⇔価値なし) | 上品⇔下品 |
他人に対するあり方 (積極的⇔消極的) | 派手⇔地味 | |
異性との関わりに基づくもの (立方体の「上面」) | それ自身の価値 (価値あり⇔価値なし) | 意気⇔野暮 |
他人に対するあり方 (積極的⇔消極的) | 甘味⇔渋味 |
これを理解すると、例えば「いき」が「上品⇔下品」の中間に位置することの理由も見えてきます。上品に「媚態」の要素をほどよく加えると「いき」ですが、その加え方が過剰だと「下品」になります。
また、地味は本来、他人に対して消極的な立場で「いき」の要素である媚態とは相容れないように思われますが、そこには一種の「さび」があり、それが「諦め」につながります。
【目に見える表現】言葉遣い・しぐさ・姿勢
前節では「いき」を美意識など概念的・抽象的な側面から見ましたが、これが、目に見える表現として現れるのが「言葉遣い」「しぐさ」であり「芸術表現」と九鬼は論じます。
以下では、身体的表現でのみを取り上げてポイントをまとめます。
言葉遣い・しぐさに現れる「いき」
身体表現に現れる「いき」。これらは、内面意識の表れです。そこには一貫して、媚態の根本である「つかず離れず」、「緊張感」「絶妙な崩し」があります。
項目 | 特徴 |
---|---|
言葉遣い | ・甘えるかと思えば、はねつける⇒長く引く抑揚、言い切り表現 ・甲高い高音よりも、ややさびの加わった少し低めの音が粋 |
姿勢 体つき | ・左右均斉な姿のバランスをわずかに崩すした不安定な姿勢 ・相手に離れずとも近寄りすぎない微妙な距離感 ・緩やかに湾曲した曲線 ・姿がほっそり。デブではダメ |
衣装 髪型 | ・薄物をまとう ・見えそうで見えない ・きっちりすぎない軽妙な崩し | 顔 表情 | ・丸顔より面長 ・異性へ働きかける眼(流し目、 横目、 上目、 伏目 など) ・ゆるみと緊張 ・笑顔よりやや悲しみをたたえた表情 |
化粧 | ・薄化粧 |
ここでは割愛しますが、「芸術表現」は、服装などにも表れます。例えば、柄、色デザインがその例ですが、ここにも「いき」が現れます。これは、センスの良さにもつながります。
私が今後「恋の駆け引き」をするか否かは置いておいたとしても、「異性に対して品よくありたい」、「異性から異性として扱われたい」と思うなら、読んでおいて損なしです。
最後に
今回は、九鬼周造の名著「いきの構造」からの学びを紹介しました。
俗っぽくサブカルチャーとして、低く取り扱われがちな「いき」をとても哲学的・学問的に説明されていて、非常に面白く読めました。異性と品よく、適度な緊張感をもってお付き合いする上で、参考になることもいろいろ学ぶことができました。
なお、本書の最後には「九鬼周造の生涯と思想」に関するまとめが掲載されていますが、九鬼の実母と「茶ノ木」で有名な岡倉天心が不逞な関係にあり、スキャンダルかつ泥沼であったこと、また、当の九鬼自身も妻を持ちつつも、女性と恋愛遊戯を楽しむ元来の遊び人であったなど、男女関係で波乱な人生を送ったことが解説されています。なぜ、九鬼が「いき」に注目するに至ったのか、その感性的、官能的な生き様が大きく関与していたこともわかって面白いです。
是非、本書を手に取って読んでみていただきたいと思います。