【書評/要約】車輪の下(ヘルマン・ヘッセ 著)(★4) ~一人の友との出会いから始まる没落人生。落ちぶれ、挫折し、最後には... ノーベル文学賞受賞作家作品

ノーベル文学賞を受賞したドイツの小説家・詩人のヘルマン・ヘッセの代表作「車輪の下
タイトルは知っていても、ストーリーは知らないという方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

「車輪の下」は、元々エリート少年だったハンスが、一人の友人との出会いをきっかけに、自分の生き方に疑問を持ってしまったがゆえに始まる不幸のストーリー。敷かれたエリートコースを外れて、自分らしく生きようとした結果、落ちぶれ、挫折し、最後の最後には死に至るという全く救いようのないお話です。

そんな救いようのない話が、現代でも読み継がれるのはなぜなのか?

それは、現代の多くが、ハンスに自分を重ねて、共感してしまうからに違いありません。今回は、小説「車輪の下」からの気づき・学びを書評として記します。

車輪の下:あらすじ

【書評/要約】車輪の下(ヘルマン・ヘッセ 著):あらすじ

ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい少年ハンスは、周囲の人々の期待にこたえようとひたすら勉強にうちこみ、神学校の入学試験に通った。
だが、そこでの生活は少年の心を踏みにじる規則ずくめなものだった。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、学校を去って見習い工として出なおそうとする……。

子どもの心と生活とを自らの文学のふるさととするヘッセの代表的自伝小説。
──── 「BOOK」データベースより

本作は、ドイツを代表する小説家ヘルマン・ヘッセの自伝的小説です。

ヘッセ自身も、主人公のハンス同様、美しいふるさとに生まれ、神学校に進学。しかし、「詩人になれないなら、何者にもなりたくない」と言って神学校を脱走し、15歳の時に自殺未遂を起こしています。

作家本人の原体験がもととなった作品であるが故、主人公が学校・社会に疑問を感じる気持ちの変化など、心理描写にはリアルさがあります。そして、読者に主人公に自分を重ねてしまうのです。

車輪の下:感想

【書評/要約】車輪の下(ヘルマン・ヘッセ 著):感想

車輪の下のネタバレになるような内容を多く含みます。予備知識なく作品を読みたい方は読まないでください。

「車輪の下」とは何なのか

タイトルにも出てくる「車輪の下」という単語は、ストーリー内で(多分)1回しか登場しません。しかも、ハンスの素行を注意する校長先生の会話の中に、さらりと出てくるだけです。

しかし、さらりと出てくる単語ではあるものの、タイトルになるぐらいだから、意味がある。

私が考えるに「車輪の下」というフレーズが意味する内容は、「学校や社会などの中にあって、人を縛り、追い詰める制度やルールのような存在の象徴」。

うまく距離を保って付き合わないと、「車輪の下敷き」になって、苦しむことになる。最悪の場合は、ひき殺されてしまうということを、暗に示していると思います。

しかし、ハンスは、「少年時代の壊れやすい心」と「少年特有の反抗心」、そして、「彼が感じてしまった理不尽(納得できない事柄)」を折り合いをつけて調整することができず、どんどん、道を外していきます。そして、車輪の下敷きになっていくのです。

一人の人間との出会いが不幸への始まり

ハンスが道を踏み外していく転機となったのが、進学校で同室となったヘルマン・ハイルナーとの出会いです。

ハンスは、進学校に入るにあたって、周囲の期待に応えようと寝る間も惜しんで勉強をした勉強家。一方、ヘルマンは、天才肌。自由奔放で少し変わった生徒でした。そんな彼と時間を共にし、ハンスは、勉強ばかりの自分の人生に疑問を感じます。そして、勉強にも身が入らなくなりと同時に、精神を病み始めます。

そんなハンスを見かねた周囲の人たちは、ヘルマンとの付き合いをやめるように忠告しますが、むしろ、彼は益々ヘルマンに惹かれていきます。

しかし、度重なる校則違反と脱走の末にハイルナーは退学。ハンスも体調不良によって、神学校を退学してしまうことになるのです。

「1人の人間との出会いが人生を変える」ことがありますが、ハンスにとって、「ハイルナーとの出会いは、人生を悪い方向に狂わせる出会い」となってしまったのです。ハンスにはそれを軌道修正する器用さがありませんでした。

再出発でも困難

神学校を退学したハンスは故郷に戻り、父の勧めで機械工としての人生をスタートさせます。
しかし、神童から脱落したハンスを見る街の眼差しに、ハンスは心を病んでいきます。そして、それを忘れたいがゆえに、仕事に打ち込みますが、ある日、仕事帰りに酒を飲んだ彼は、酔って川に落ちて命を失ってしまうのです。

本当にただ酔っぱらって足を滑らせたのか、それとも、人生に疲れて死にたい衝動に駆られて、自ら水に入ったのか?

本書ではその部分は明確に語られていません。人生に悩み苦しんでいたことが「死」の原因となっていることは、間違いありません。

本書が読み継がれる理由は何か

【書評/要約】車輪の下(ヘルマン・ヘッセ 著):本書が読み継がれる理由は何か

上記の感想でも述べたた通り、本書のストーリーは、全く救いようのないストーリーです。まるで未来への希望がありません。

にも拘わらず、今なお読み継がれているのでしょうか?

考えるに、悩みが多い現代人が自らをハンス少年に重ねてしまうからではないでしょうか。

・勉強・規則でがんじがらめな人生
・自分がやりたいことではなく、周囲の目(期待)に自分を合わせて生きる人生
・一度踏み外したレールから、なかなか再起できずにもがく人生 ….

ハンスの苦しみが、自分の苦しみと重なるため、共感してしまう。現代にもうつに悩まされたり、ひどい場合は自殺で命を閉じてしまう方もいますが、状況はよく似ているのではないでしょうか。

最後に

今回は、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」からの気づき・学びを私なりにまとめました。

ハンスの苦悩に共感するだけでは、本書からの気づきは自分の人生に活かされません。車輪の下の下敷きにならないように、自らの解を見つけることが求められます。

一つの解は、何者にもならなくてもいい」「自分らしく生きよう」と割り切れるか否かでないか。そんな風に感じずにいられません。