【書評/要約】すぐ死ぬんだから(内館牧子 著)(★5) 人生100年時代の痛快「終活小説」。面白くてしかも、生き方を考えさせられる

人生100年時代が現実となった今、老後どう生きるかは、大きな課題。
薄汚いジジババとして生きるか、心も体も快活に生きるか――。

人生が長くなればなるほど、老後の二極化も拡大。「すぐ死ぬんだから」を免罪符に生きた人と、免罪符とせずにある意味、自分を甘やかすぎずに老化・衰退とともに生きたかで、人生が大きく二分します。

小説「すぐ死ぬんだから」の主人公は、夫と営んでいた酒店を息子に隠居生活をしている78歳の忍ハナ。
薄汚いジジババなんてまっぴら。人間60以上になったら実年齢に見られない努力をするべきという信条を持ち、「年相応にナチュラルが一番」という同年代の友達に対しては、それは単なる無精なだけだろうと、心の中で毒づいています。

そんなハナに起こった想定外は、突然の夫の死。葬儀を終えた後は呆然自失で自慢の外見を気にする気力も失う。そして、発覚したとんでもない事実。
それを機に、ハナさんの人生、そして、人生観が変わり始める―――。

人生100年時代の痛快「終活小説」。定年退職を迎えた男性のドラマを描いたベストセラー「終わった人」も面白かったですが、本書も痛快!おもしろい!。そして、老後の生き方を考えさせられます。どう生きるかのヒントを得るためにも読んでおきたい良書です。

今回は、内館牧子さんの就活小説すぐ死ぬんだから」の簡単なあらすじと感想を紹介します。

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すぐ死ぬんだから:あらすじ

【書評/要約】すぐ死ぬんだから(内館牧子 著):あらすじ

終活なんて一切しない。それより今を楽しまなきゃ。

78歳の忍ハナは、60代まではまったく身の回りをかまわなかった。だがある日、実年齢より上に見られて目が覚める。「人は中身よりまず外見を磨かねば」と。仲のいい夫と経営してきた酒屋は息子夫婦に譲っているが、問題は息子の嫁である。自分に手をかけず、貧乏くさくて人前に出せたものではない。それだけが不満の幸せな老後だ。ところが夫が倒れたことから、思いがけない裏を知ることになる――。
―――Amazon解説文

ハナの夫 岩造は、ギャンブルも女遊びもせず、「人生で一番よかったのはハナと結婚したこと」と妻への愛を気恥ずかしいほど表現していた愛らしい夫。しかし、そんな、岩造が、突然死。
何をする気力もなくなったハナに、さらに想定外がやってくる。

なんと、岩造には、見知らぬ女性との間に子どもの存在していたことがが、岩造の遺書で明らかになるのです。しかも、その女性との関係は、40年余も続いていたのでした。

この事件をきっかけに、ハナの人生・生き方、考え方は大きく転換していきます。

人生75年を過ぎても、想定外は起こる。その想定外をどう乗り越え、新たな人生を歩むのか―――。

ハナの生き方は、人生の晩年であっても、何が起ころうと、「どうせ死ぬんだから…」を免罪時にしない生き方をすることの大事さを教えてくれます。

本書のラストはとても素敵。温かい気持ちになると同時も、「自分も頑張らなくちゃ!」「負けちゃいけない、幸せをつかみに行かなくちゃ」と励まされます。

是非、その陣🈹とした感動を、本書を読んで味わってほしいです。

すぐ死ぬんだから:感想

【書評/要約】すぐ死ぬんだから(内館牧子 著):感想

「すぐ死ぬんだから」というセリフは、高齢者にとって免罪符。

作家の内館さんは、「すぐ死ぬんだから」と自分を甘やかしすぎない生き方をしたほうがいいという思いをストーリーに込めています。

確かに、「すぐ死ぬんだから」と発すれば、大体、他人に許してもらえる。さらに怖いのは、自分への許し。楽な方、楽な方へと自堕落が進行します。

そして気が付いたときは時すでに遅し。この免罪符のもとで生きる人と、外見を気づかってきた人には、とても取り返すことができない圧倒的な「差」となって、自分を苦しめることになるのです。

以下では、小説から、覚えておきたいと思ったフレーズなどを、私なりに修正・抜粋して紹介します。

「ナチュラルがいい?それ単なる無精でしょ

手をかけない女が好きな「ナチュラル」。「ナチュラルが好き」という女どもは、何もしないことを「ナチュラル」と言い、「あるがまま」と言っている。何のことはない、単なる無精です。

自然に任せていたら、年齢相応の汚なくて、緩くて、シミとシワだらけのジジババになる。孫の話と病気の話ばかりになる。それに 抗ってどう生きるかが、老人の気概というものではないだろうか、とハナさんは考えます。

「人は中身」も免罪符

「すぐ死ぬんだから」と同様、免罪符となる「人は中身」というフレーズ。

その言葉が好きな人は、たいてい中身がない。外見や成果で褒められる点がないから「中身」となる。

そうなりたくなければ、外側から変えることだ。外が変わると中も変わっていく。中身を変えようと変わるのは難しいが、外が変わると中は自然と変わる。

「年齢は忘れてるんです」の言葉の裏側

『年齢は忘れてるんです』というフレーズ。年齢を忘れるのは本人じゃなくて、「他人」に忘れさせなきゃ意味がない。
年の取り方のうまい人に、外見がみすぼらしい人などいない。それが上手な年の取り方の基本。

「お金がない」という老人

確かに、本当に貧困にあえぐ人たちもいるが、一般老人が金がないのは「貯金」するからだ。
年金をやりくりし、生活を切りつめ、「老後のために」と貯金する。まったく、今が老後だろうが。若いうちに切りつめて 蓄えたお金は、今が使い時だろうが。八十間近の、さらなる「老後」に何があるというのだ。葬式しかないだろう。

私はハナさんの考え方、非常に好きです。私も、この考えを元に人生を終えたいと思っています。
この考えに基づいた、私の生き方戦略は以下の記事にてまとめています。

セルフネグレクト

セルフネグレクトとは、自分を放棄しちゃうこと。人は生きていく意欲がなくなると、そこに行き着く。特に、身近な人の死で引き起こされることが多く、周囲がフォローしようとしても、『放っといて。迷惑かけたくない』と頑固に断る。

こんな状態に陥ってはいけません。

厳しく言えば、外見に構わないバアサンたちも、或る意味、セルフネグレクト。「自分が自分に関心を持っている」ということこそ、セルフネグレクトの対極。高齢者がおしゃれをすると「年甲斐もなく…」と思われがちですが、高齢者も外見への意識を持つことは大事。

金銭的に許される範囲で無理く「意識」すればいい。それがもたらす 微かな変身が、生きる「気力」にも直結します。

日本人は特に老後の生き方・楽しみ方が下手。フランスに行ったとき、カフェでおしゃれしてお茶するおじいちゃん・おばあちゃんが多くて驚いた。彼らは、そんな自分を楽しんでいます。

赦す

妾とその子の存在に怒り心頭したハナ。しかし、彼らそして家族との付き合いを通じて、考え方が変わっていきます。そして、悟ったことが以下。

色んなことが赦せるようになると、赦した数だけ、自分の身から怒りや恨みやストレスや、色んなこだわりが剝れ落ちる。これは何という解放感だろうか。

腹を立てて怒ってばかりの人生はストレスだらけ。外見を意識ことは大事でも、老化を受け入れられずに「若さ」や「若返り」にもがいていては息苦しい。歳をとってやってくる「衰退」も受け入れることが大事です。

正し、そうだとしても、「年齢相応がいい」という小汚ないジジババにはなってはいけない。それは、「衰退」ではなく「老衰」。 「衰退」を受け入れた上で、何か他人のため、社会のためになること・すべきことをしていく生き方が求められます。

ハナは、いろいろ思い悩んだ挙句、本小説の最後で、とても素敵な「自分の役割」を見つけます。

ホント素敵です。こんな風に、いくつになっても、前向きにチャレンジする生き方をしていきたいです。

最後に

今回は、内館牧子さんの就活小説すぐ死ぬんだから」の簡単なあらすじと感想を紹介しました。

前半はハナさんの毒舌が超痛快、そして、後半は、自分の生き方を考えるヒントがいろいろと詰まっています。面白いので一気に読めるので、是非、手に取って読んでみることをおすすめします。