生きていくうえで避けて通れない「リスク」。投資をしている人なら、リスクの取り過ぎに注意して「資産を減らさないようにする」ことが求められます。
リスクを避けて生きるためにも「心配」は必要です。しかし、過剰に心配するとコストとストレスがかかりますし、心配しなさすぎると危険から身を守ることができません。つまり、「心配」の度合いは「本当の確率」からずれないように感度を磨く必要があります。
そんな、リスクの正体とリスク回避のヒントを探るべく読んでみたのが島崎敢さんの著書「心配学~「本当の確率」となぜずれる?~」です。今回は本書からの学びをまとめます。
目次
なぜ心配するのか?
確率の大小はさておき、わからないから心配に感じる。これが心配の本質であり、その心配の源は「リスク」です。
心配の本質
わからないから心配に感じる。だから、結果が確定した瞬間に心配はどこかに行ってしまい、安堵、絶望、悲しみ、怒りなど、別の感情があなたの心を支配することになります。
投資家が、金融市場が暴落した後に心配してのは、「暴落という事象そのもの」ではなく、「お金を失ってしまった絶望感」です。この段階では「事故に遭った確率」は100%。「暴落したらどうしよう」というもともとも心配から、別の心配へと心は移り変わっています。
本当の確率と未来の確率
では、私たちの心配の源になっているリスクの「本当の確率」を、私たちはどのぐらい正しく認識できているでしょうか?
まず、これまで起こった確率は数値に基づいて明確に求められます。これは「本当の確率」です。ただし、私たちが心配なのは「未来の確率」、完全に正確な確率はわかりません。
さらに、私たちは不幸なできごとが起きる「本当の確率」が高いほど心配になり、「本当の確率」が低いほど安心するのかというと、実はそうでもありません。
では質問です。解いたら、回答を確認してみてください。
タミフルの副作用で死ぬ
※実際に並べ替えを実施した方が、あなたの確率認識がどの程度間違っているか実感できます。
交通事故で死ぬ
インフルエンザで死ぬ
火事で死ぬ
食中毒で死ぬ
癌で死ぬ
サメに食べられて死ぬ
落雷で死ぬ
飛行機事故で死ぬ
殺人事件で
2位 インフルエンザで死ぬ………8.3人
3位 交通事故で死ぬ………………3.3人
4位 火事で死ぬ……………………1.7人
5位 殺人事件で死ぬ………………0.52人
6位 飛行機事故で死ぬ……………0.013人
7位 食中毒で死ぬ…………………0.004人
8位 落雷で死ぬ……………………0.002人
9位 タミフルの副作用で死ぬ……0.001
10位 サメに食べられて死ぬ………0.0001人
自分の予測とあまりに異なったのではないでしょうか。
本当は危ないのに心配しなさすぎると、危ないものから身を守ることができません。一方、実際にはほとんど危なくないことを、過剰に心配するのも不幸です。
つまり、「心配」の度合いは「本当の確率」からあまりずれていないほうがよい。とんちんかんな行動を防ぐためにも、そこそこ正確に本当の確率を計算するスキルが必要です。
なぜ世の中は悲劇的な状情報は溢れているのか
さて、日々生活をしていて、「世の中かは悲劇的なニュースばかりだ…」と、ひどく人生が不安になったことはないでしょうか。しかし、しばらくすると忘れてしまいます。本当に危険なことであれば、忘れてしまうと被害が拡大しそうですが、実際は忘れてしまっても、大した問題は起きません。なぜでしょうか?
報道では危険は強調される
理由は、リスクに関する情報の多くは、危険性が強調されて報道されることが多いからです。理由は主に3つあります。
❶滅多に起きないことのほうがニュースバリュー(価値)が高い
❷ショッキングな内容や、感情に訴える内容のほうが興味をひける
❸リスクを高めに報道しておけば、あとで批判を浴びずにすむ
簡単に言えば、「視聴率(金儲け)」と「バッシング回避」で情報がゆがんでいるのです。これを、「実際のリスク」と思ってしまうと、必要以上に不安になったり、誤った判断をしたり、対処のためにコストを使ってしまうことになります。
平均値と心配
さて、私たちがとかく気になってしまう「平均値」も、時に心配を増長させる情報です。例えば、平均的年収、平均身長・体重などです。
例えば身長などは、分布が左右対象となる事象です。この場合、「心配することになる人(平均以下の人)」は全体の半数で済みます。しかし、年収のように、一部の大富豪が平均を引き上げるようなゆがんだ分布の場合は、心配をあおられてしまう人の割合はぐっと増えてしまいます。
心配し過ぎないためにも、平均を見るときは、分布の幅、つまりベル型の曲線がどれくらいの幅で描かれるかを考えてみることが大切です。
世の中にあがる声とは…
「世の中の声」というものがありますが、多くの人は、心配事があっても、愚痴を言う程度で、世に声を上げたりしたいサイレントマジョリティ(黙っている大多数の人)です。
つまり、世の中にあがる声の大部分は、分布でいう端っこにいるの意見です。サイレントマジョリティを意識しておかないと、一部の極端な意見に影響されて余計な心配をしてしまったり、多くの平均的な人が不利益を被る場合があるので注意が必要です。
リスクとは何か?
私たちは、一体何を心配しているのでしょうか?
ここからは、心配の中身や、私たちの捉えかたや判断・行動の特徴を見てきます。
リスクとは
リスクとは、「不幸なできごとが起きるかもしれないこと」です。
不幸なできごとは様々ですが、共通するのは「何かを失う」ということです。その対象は、お金、健康、命、仕事、財産、時間、愛情、信用、環境、利便性など、あげればきりがありません。
ここで、失ったものが物理的なもの、例えば、ペンであるなら、それは金銭で代替できます。しかし、「信用が傷ついた」という場合、「信用」は主観的な概念で、誰もが納得できる数値などに置き換えることができないため、事態はややこしくなります。
リスクは「数学的」で「客観的」だという印象がありますが、人間の評価が入っている時点で、心の問題を抜きには語れません。つまりリスクは、「主観的」で「人間的」で「心理学的」な概念でもあります。
結果の重大性の解釈
リスクは「発生確率×結果の重大性」で計算できます。
「発生確率」は、そのメカニズムが明らかになったり、計測技術が進歩したり、統計情報が整備されたりすることで、より「本当」に近い値がわかるようになります。
一方、「結果の重大性」は、人間の主観が評価の基準になる部分があります。完全な意味での客観的な値では求められません。
例えば、投資で資金を失った場合、額面100万円でも、1億円資産がある人と、資産200万円の人の「結果の重大性」は全く異なります。また、飛行機事故と自動車事故で死ぬ確率を見れば、飛行機の方が安全ですが、多くの人が飛行機の方が強いと感じてしまいます。
リスクの過大評価/過小評価・同調行為
私たち個人が感じるリスクと、本当のリスクは、以下の2つのパターンでずれます。
❶リスクの過大評価:「本当のリスク」>「個人が感じるリスク」
❷リスクの過小評価:「本当のリスク」<「個人が感じるリスク」
❶も❷も行き過ぎはいけません。
❶の場合、「しなくていいリスク回避のために余計なコストをかけてしまうこと」になりますし、❷は「大丈夫だろう」とリスクを軽んじることになります。そして、実際にリスクに遭遇した場合、最も避けるべき「パニック」に見舞われることになります。
また、❶❷には、「同調行動」も大きく関与することを忘れてはいけません。つまり。私たちは危機的な状況から逃げるべきかどうかを決める場合、近くにいる人の行動を参考にします。周りの人が落ち着いていると、危険を軽んじることがありますし、周りがパニックになっているとつられて自分もパニックになります。同調性の高い日本人の場合、特にこの危険が高くなります。
投資で急落した場合も、自分の意見がないと、周りの意見に飲み込まれて、最悪な決断をしてしまった経験は多くの人が持っているはずです。
人はリスク計算が苦手
では、なぜ、私たちは「リスク」を把握することが苦手なのでしょうか?
人は定量評価が苦手
私たちは、リスクを回避したいと思いながらも、リスクが発生確率を定量的に考えるのが苦手です。私たちは、リスクが起こる確率がどのくらいの量で、その数値がどんな意味を持っているか、ということは考えません。故、リスクへの感度は鈍いまま。だから、「リスクがあるのか」「ないのか」と2択で専門家に意見を求めがちです。
また、私たちが感じるリスクの幅は、現実のリスクの幅よりも少し狭いことが知られています。具体的には、リスクが比較的高い喫煙や交通事故などに対しては、実際よりも低めに、リスクが比較的低い飛行機事故のようなものに対しては、実際よりも高めに感じる性質があります。なんとなく当たるような気がして買ってしまう宝くじもその一つです。
自分は論理的だと「勘違い」するリスク
さらに、確率などの定量評価が比較的得意な人も、「自分は物事を客観的に捉え、論理的・理性的に判断している」と自分を信じるのは危険です。
理由は、脳の発達の歴史上、私たちは、どうしても「感情・直感」に支配されるからです。
客観的・論理的・理性的な思考は、脳の外側のほうで行われます。「意識」の大部分はこちらです。
一方、感情的・直感的な処理は、脳の中心に近いほうで行われています。しかも、無意識的に行われ、考える労力が小さく、ずっと高速です。
人間の脳は、 脳は外に向かって進化しました。つまり、どうしても「感情的・直感的」な判断に支配されます。このことは、押さえておかなければなりません。
避けられないリスク。どう付き合うか?
このように、リスクを正しく見積もることは極めて難しい。では、リスクを取らないように生きればいいのでしょうか?
一つの考えとして、とにかくリスクを取らないという生き方もあるかもしれません。しかし、リスクをすべて回避すると、ビジネス・投資・結婚など、リスクを冒したりして得られる「利益」や「自分にとってプラスなこと」な「ベネフィット」を得ることができません。リスク・コスト・ベネフィットのバランスを考えて行動を選択することが求められます。
リスクを避ける最も大きな目的は、個人の問題においては、「危険なことを避けて、なるべく長生きしたい」ということです。そうだとすれば、お金や時間は目の前にあるたったひとつのリスクを下げるために使うのではなく、自分に降りかかるかもしれないリスクの「合計値」を下げるために使うことが求められます。
心配を克服する方法。リスクを回避する方法
最後の説では、どうやって心配を克服するするか、危険を回避するかを見ていきましょう。
定量的な視点を持つ
前節では、私たちは心配なことがあるとき、つい、「結局どうすればいいの?」とか「あるの? ないの?」という0/1的(質的)な結論を求めがちです。しかし、リスクは「定量的」に理解することが大事です。そして、これらの積み上げで、比較軸を持っておくと、リスクを感覚的にとらえられる感度は高まっていきます。
小さく失敗する(痛みを経験する)
直接的な「痛み」は、頭の中で危ないことを想像するのに比べて遥かに強力で、直感的・感覚的な危険回避能力を身につけるのに役立ちます。
だからこそ、最初は小さな失敗を経験しましょう。投資も経験の積み重ねで、うまくなっていきます。だからこそ、退場になるようなリスクを取ってはいけません。小さな失敗を積み重ねて、糧にしていくことが大事です。
その他
上記2点以外の、リスク回避・軽減方法をリストにまとめると次のようになります。
・リスクへのアンテナを張る
・あらかじめ仕入れられる情報は仕入れておく
・危険な時にとるべき行動を事前に決めておく(マニュアル化)
・できることは先にやっておく
・「どうするか」を共有しておく
・ 安心し過ぎない
最終的に、大切なのは、自分でどうやったら危険を回避できるのか考える癖をつけること、そして、考えてもわからない場合は、調べたり人に聞いたりして解決する癖をつけることです。自分の頭に汗をかくことが大事です。
最後に
今回は、島崎敢さんの著書「心配学」から、心配・リスクとは何か?心配を減らし、リスクを回避するにはどうしたらいいかについて、まとめました。
リスクを回避するスキルは、日頃から、リスクについて考える癖があるかどうかにつきます。そこそこ正しくリスクを見積もり、対処策を日頃から講じれるようになれば、おのずと心配も減らせます。
投資で急落・暴落を経験したときは、現実を見るのがつらくて、自分の取り過ぎていたリスクに対して、真摯に向き合う姿勢を放棄しがちです。しかし、次回のリスクに備えるには、一回一回の失敗を定量的に評価し、今後の糧にすることが欠かせません。
2022年、米国の金融正常化により、今までのように、ただバイアンドホールドをしておけば、儲かる相場は終焉しています。今後、ますます、リスクを軽減する努力が求められるので、今回の学びを今後の投資に活かせるよう努めたいと思います。
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